なぜ一天四海皆帰妙法がいつ迄たっても実現しないのか?
【なぜ一天四海皆帰妙法がいつ迄たっても実現しないのか?】
釈尊の、さとりには相反する2つを離れて、それらは別のものではないのだという。もし相反する2つのうち、片方の1つを取り上げ、これに執着すれば、例えそれが良いものであっても、例えそれが善であっても、例えそれが本門であっても、例えそれが正しいものであっても、誤ったものになると言う。
この世は、移り行く、移り変わると言う理に捉われてしまうと、この見方、考え方も誤りであり正しく見ているとはならない。片方に寄る、偏見ではなくどちら