戦国時代の命は軽い(菊池寛レビュー)
戦国時代の人命は非常に軽かったと、「三浦右衛門の最後」という作品にて菊池寛が執筆しています。
個人的には大河「どうする家康」は好きですが、戦国時代にしては「甘い」(特に瀬名の理想)とも感じていたのでこの話のエグい描写に納得したり…。
もののけ姫の、ジブリらしからぬアシタカ対侍の戦慄は納得出来るとも思ったり。
あと、さすがに文豪の描写力は凄い。凄惨で残酷。昔読んで、ショックを受けたのを思い出しました。
浅井了意の狗張子に元となった翻案が掲載されてるらしいので、菊池寛が手に取ったであろう時代の古書を注文しました。
原作は中国古典で、日本の戦国時代に話を移したそうです。楽しみ!
〇三浦 真明(みうら さねあき)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。仮名は与次。通称は右衛門大夫。(wiki )
〇今川氏真はどう家の病的な相のイケメンですね…覚えてます。
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下記、菊池寛による。
「それほど命が惜しければ助けて得さそう。しかし、ただは助けられぬ。命の代りに腕一本所望じゃ。それ承知とあらば助けてやろう」といった。太刀取りは右衛門のそば近く寄って、
「殿のお言葉を聞いたか。否か応か、返事せい」といった。右衛門は返事の代りに縛られている左の手を動かした。
「ならば左の手を切れ」と刑部がいった。太刀取りの刀が閃くと、右衛門の手は鈴ヶ森の舞台で権八に切られた雲助の手のようになった。
「片手でも命は助かりたいか」と刑部がまたきいた。右衛門は恐ろしい苦悶を顔に現しながら頷いた。刑部の君臣はまたどっとわらった。刑部はまた口を切って、
「片手では安い、両手を切ってなら助けてやろう」といった。右衛門にも言葉の意味はわかったらしい。太刀取りは、「否か応か」と聞いた。右衛門はわずかに頷いた。太刀取りの声が再びかかると、彼の右の腕は血糊を引きながら三間ばかり向うに飛んだ。右衛門の姿は、我々にとってはかなり残酷に思われるが、戦国時代にはこのくらいな光景を見て憐憫れんびんを起す人間は一人もいなかった。刑部はまた叫んだ。
「両手でもまだ安いわ。右の足も所望じゃ。右の足を切ったなら、命だけは助けよう」といった。生きた埴輪はにわのように血の中に座らされている右衛門の顔は、真蒼になりながら泣き続けている。
しかし緊張した神経には刑部の言葉はわかったのであろう。彼は切れぎれに「命ばかりは助けて下され」といった。刑部の君臣はまたどっとあざわらって、この人間の最高にして至純たる欲求を侮辱した。大刀取りは左の手で右衛門の身を上へ持ち上げるようにして右足を剪そいだ。太刀が余って左足へ半分斬り込んだ。
「右衛門、それでも命が助かりたいか」と刑部がいった。しかしもう右衛門には聞えなかったらしい。太刀取りは右衛門の耳に口を寄せて、「命が惜しいか」といった。右衛門は口をもぐもぐさせた。その時、刑部は「それ」と目配せをした。太刀取りは四度太刀を振り直して、えいと首を刎はねた。
首は砂の上を二、三尺ころころと転げて、止まった所で口をもぐもぐさせた。肺臓と離れていなかったら、きっと「命が惜しゅうござる」といったに違いない。
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軍記
『小田原北条記』巻六「三浦右衛門佐」
高天神(現小笠郡大東町)に着き、小笠原与八郎に縛り上げられた際は、
切り手の足助長久郎が近づいて、助願のためには、耳鼻は削がれてもよいかとたずねられ、
「耳鼻は削がれても良いから助けてほしい」と命乞いをするも、それを聞いた小笠原は、
「その心ゆえ恥を忘れて、ここまで来たのだ」と言い返し、即斬首された。
(wiki )