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10年経って初めて映画館で鑑賞できた、少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録
この度ようやくアドゥレセンス黙示録を映画館で鑑賞することができた。今回は「好きな過去作が再上映される機会があったら、可能な限り足を運んだ方がいい」と思ったので書き記す。ずっと映画館で見たかった作品を鑑賞でき、それも極上爆音上映で体感できたので本当に良かった。ウテナに限らず好きな作品の再上映に行こうか迷っている人に言いたい、再上映には行った方がいいと。
私にとっての少女革命ウテナ
筆者が「少女革命ウテナ」を初めて見たのは今から10年前。「輪るピングドラム」は幸運にもリアルタイムで視聴でき、幾原監督の作品に初めて触れたきっかけとなった。厳密には子どもの頃にセーラームーンを視聴しているのだが、その頃はまだアニメの監督についてなど意識していなかった。ウテナが有名なのは知っていたが、ピンドラを見てから数年後ようやくみる機会を得た。当時の周りの友人は誰も見ていなかったが、独りでのめり込み数日のうちに映画を含め全部見てしまった。ウテナは抽象度が非常に高いので、正直10年前の自分にはあまりにも難しかったし、今でも「わけがわからん」と思うシーンは多々ある。でも、なんとなく感覚で「面白い」と思っていた。画角は斬新かつオシャレでカッコよかったし、キャラクターは皆美しく、音も気に入っていた。普遍的でいつまでも色褪せないテーマは言うまでもない。また、ウテナはこの10年間でも思い出したらちょくちょく見直していた作品の1つだった。
最近、「サブスク全盛期の現代において映画館で映画を見る価値とは何か」について考えていて、そのとき頭に思い浮かんだのがウテナの映画だった。ひょんなことから今年の夏はウテナへの熱が高まっていたので、「アドゥレセンス黙示録」終盤のウテナカーの轟音を映画館の高品質な音響で楽しみたいと思っていた。調べてみると過去にも爆音上映など催されていたが、これまでは住居や時間の都合上参加できなかったので残念に思っていた。いつになったらウテナを再上映してくれるのかな、何年でも待つからその時は必ず行こうと思っていたのだが、まさかこんなにタイミングよく再上映の告知が来るとは夢にも思っていなかった。
ウテナファンの熱量を痛感できたイベント
映画館で鑑賞できるだけでも朗報なのに、憧れの幾原邦彦監督が登壇するスタッフトークショーイベントまで催されたので嬉しかった。頻繁に催されるイベントでもないだろうから、この機会を逃すと次にいつ参加できるかわからないと思い、この日に行くしかないと考えた。
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が、実をいうと筆者はこのイベントの競争率をかなり侮っていた。プレミアム会員になって余分にお金を払わないといけないし、立川シネマシティに行く予定も当分ないからである。上映3日前になれば一般会員に販売開始になるし、そのときにチケットはまだ余っているだろうと思っていた。ウテナは1990年代の作品ということもあってX(旧Twitter)の公式アカウントのフォロワー数も8000と他の有名タイトルより少なめだし、いいねやリポストの数も数百ぐらいだったからだ。でも、別の作品で同じようなスタッフトークショー付きのイベントで、チケットが開始数分で完売した苦い思いをしたので、後悔するぐらいならベストを尽くそうと判断した。
結果的に、万全を期す判断は全くもって正しかった。当日のイベントの司会進行の方は「販売開始3分でチケットは完売した」と言っていたと思う。X(旧Twitter)で調べると5分で完売と言っている人もちらほらいたが。とにかく、ものの数分もしないうちに380席のチケットが枯れてしまった。Webでの操作に手間取ってしまい、ギリギリでなんとか座席を確保できたものの、あっという間に埋まっていく座席に青ざめてしまったのを覚えている。正直ウテナファンの熱量を舐めていたのだ、本当に反省している。ウテナファンの熱量は30年近く経過しても全く衰えていなかった。
当日の立川でもファンの熱量を感じることができた。客層がどのようなものか、自分以外のファンはどんな感じなのか、それを知ることができるのもリアルイベントの醍醐味だと思う。印象としては、男性もいるがやはり女性が多い。それも、ウテナの世代から考えてそれなりの年齢の「お姉様方」が特にいらっしゃった。おじさんもちらほらいて、若い人も勿論いた。若い人は服装のセンスがよく、いかにもクリエイターという風貌に感じた。肝心なのは、目の前にいる人たちは(私もそうだが)皆「3分間の地獄の争奪戦を勝ち抜いてきた面々」だということ。某漫画の有名なコマでいう、面構えが違うのである。騒がしくなく落ち着いた人たちばかりだったが、彼らが放つ圧がビリビリと伝わってくるようだった(気のせいか?)。
ウテナファンの熱量は尋常ではない。それを今回改めて痛感した。たしかにウテナは同年代のエヴァンゲリオンやセーラームーンのように社会現象になったわけではない。客観的にみても、あらゆる世代の人が知っているような知名度はない。しかし、アニメの話題になると時代を代表するタイトルとして名前が挙がる作品の1つであり、コアなアニメファンなら間違いなく一度は耳にしたことがあるだろう。特にウテナは少女向け作品なので、「ウテナに人生を変えられた」という女性をインターネット上でたくさん見てきた。ウテナが自分の人生にどれほど強烈な影響を与えたか熱く語っている記事をいくつも知っている。なによりウテナはアニメファンだけでなく、どちらかというとクリエイターに絶大な影響を与えた作品だと思っている。近年のアニメを見ていても、ウテナから影響を受けたと察することのできる作品は見ていてすぐにわかるし、ウテナに影響を受けたと公言するクリエイターは枚挙に遑がない。ウテナは観た者に対して鮮烈で決して消えることのない衝撃を与えるのである。
幾原監督曰く、ウテナは「時代によって見方が変わる作品」
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某作品の爆音上映で有名になった映画館らしいが、立川シネマシティは初めていく映画館だった。各席に灯っていた蝋燭のようなライトが印象的で、座席も心なしか普段よく行くシネコンの物より重厚だった。モタモタした結果最良の席は取れなかったので座席はかなり後方で、音響的に最良の席ではない。だが幸いにも中央なのでスクリーン全体は俯瞰できた。上映30分前にお手洗いで体制を整えていたのに、直前までソワソワしてしまった。今年は他作品で制作者登壇イベントに行く機会が多かったのに、それらの比ではないぐらい緊張してしまった。憧れの幾原監督が登壇することは頭になく、単純に映画に対する期待感だった。周りの観客(猛者)たちから放たれるプレッシャーも相まってか、手汗が止まらなかった。アドゥレセンス黙示録はこれまで何度も見た作品のはずなのに、である。
といっても最近は85分通しでは観ていなかったので、特に中盤のシーンは忘れいてる部分もあった。せっかくの極上爆音上映なので、音の比較に感覚のリソースを割きたいと思い、前日までに通しで鑑賞しようかと思った。しかし忘却した部分を劇場でもう一度鑑賞するワクワク感も大事にしたかったので、予習は序盤の山場である西園寺との決着までに止めることにした。しかし事前の予習としてはそれで十分だった。冒頭のスタッフクレジットから「20世紀の作品なのにまるで爆音上映での鑑賞を想定してるかのよう」と驚いたし、剣戟や『甦れ!無窮の歴史「中世」よ』の音響の差異も感じることができた。終盤のウテナカーは勿論、「絶対運命黙示録 -Adolescence of UTENA-」は想像を絶する音響の良さだった。「輪舞 -revolution ~アドゥレセンス・ラッシュ」のかかるシーンは特にお気に入りで感動できるのだが、あまりにも良すぎて映画館で涙ぐんでしまった。幾原監督曰く、「今日が今までで一番音の良い環境」とのこと。その音響で初めて映画館で鑑賞できた自分は幸運だなと思った。
最後に、この劇場とイベントに足を運ぶ直前に考えていた話題について述べる。別にこの議題は今に始まったものではないが、最近「現代はあらゆる業界でコンテンツ過多だな」と思っていた。同時に、「膨大な作品のなかで遠い将来も名前が残っている(イベントでのさいとうちほさんの言葉で「生き残っている」)作品とは何か」、ずっと気になっていた。これと関連する話題として、英文学者の外山滋比古さんが著書で述べている「時の試練」という概念がある。外山滋比古さんふうにいうと、時の試練とは何か、時の試練に耐えられる作品とは何か。この記事を書いていた最近ずっとそれを考えていたのである。
このように直近で考えていたことと、ウテナを映画館で鑑賞するイベントはとてもタイムリーにマッチしたように思う。念願の「ウテナを映画館で初鑑賞すること」が第一の目的だったが、副次的に「今の自分がウテナを見れば『時の試練』に耐えうる作品が何かわかるかもしれない」とも期待していたのである。結果的に、少しではあるが私にポジティヴな答えのカケラを提示してくれたように思う。
イベント内で幾原邦彦監督がおっしゃっていて特に印象に残っているのは、ウテナは「時代によって見方が変わる作品」という言葉。これを聞いたとき、なるほどと思った。時代によって見方を変化できるのは、ウテナという作品の抽象度が極めて高いからだと思う。具体的にありとあらゆる描写を説明しつくされてしまえば、解釈は固定されてしまいそれ以上議論の余地はない。しかしウテナは抽象度が高いからこそ、視聴者の生きている時代に応じてウテナで描かれたシーンを、視聴者がある程度自由に考察する・多角的に検討できる余地が残っているのだと思う。また抽象度が高い利点としては、年月の経過によって色褪せるものが少ないのは勿論だ。人間の、特に少女にとっての普遍的なモノを取り扱っているから、どれだけ時間が経とうが消え失せるテーマではないと思う。私は、ウテナはきっと「時の試練」耐え忍んでくれるだろうと信じている。
時の試練とは何か、時の試練に耐えられる作品とは何か。それは簡単に答えの出る物ではないし、これから長い時間をかけて考えていかなければならない物だ。ところで、2027年はウテナのTVアニメ30周年だし、その2年後にはアドゥレセンス黙示録の30周年である。その頃にもきっとウテナは生き残っているはずなので、今後の催しも楽しみである。
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