夫の自己肯定感が高い理由は、すばらしい(?)お義父さんにあり⁉
私の夫(50代)は、精神がどっしりとしていて、自己肯定感も高め安定の人なんですよね。
私は、自分の、底辺だった自己肯定感を、夫と共に過ごすなかで高めてもらってきた感があるのですが、そんな夫の「安定感」が、どのように作られたのかに興味があり、夫の昔話を聞いては、そのエピソードに驚いてきました。
今日は、夫(50代)のお父さん(80代)について、感心した話をひとつご紹介したいと思います。
ただの美談で終わらないこの話、どうぞ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
*****
それは、夫がまだ7~8歳の小学校低学年だったころのこと。
小学校で、年に一度行われる父親参観なるものに、お父さんがやってきました。
50年近く前の父親参観に、どのくらいの人数のお父さん達が出席したのかは定かではありませんが、40人以上のクラスメイトたちの後ろに、ずらっと並ぶお父さん達。
その中に、夫のお父さんも立っていた。
今の夫より、ずっと若い30代のお父さん。
国語だか、算数だか、何かの授業が終わりました。
(ふう、無事に終わったぜー。)
少年の夫も、クラスメイト達も、ホッと一息。
その後、そのまま父親たちを教室の後ろに残したまま、男性教師によってホームルーム的な時間が設けられました。
「あとは先生の話を聞くだけだなぁ」と、少年の夫も、気楽に教師の話を聞いていたのでした。
そのときに、話の流れで、その男性教師が、後ろに立っている大勢の父親たちに、こう問いかけました。
「あの、お父さん方にちょっと質問させてください」
「自分のお子さんを、100点満点だと思っているお父さん、いらっしゃいますか?」
子供たちは、一斉に後ろを振り向いて、父親たちが誰ひとり手を挙げないその光景を見守りました。
……かと思いきや、夫のお父さん、ただ一人がピーンと手を挙げたというのです。
引っ込み思案で恥ずかしがり屋の、今でいう陰キャだったという夫は、顔から火が出るほど恥ずかしかったと振り返ります(笑)
この瞬間、お父さんは、少年だった夫の「生涯忘れ得ぬシーン」を作り上げた!!(笑)
その教師は、本当は、「100点だと思っている親なんていないものだから、それでですね……」と話を続けようとしていたらしい。
そういう流れの中での、予想外の、お父さん一人の挙手(笑)
しかも、おずおずと挙げたのではなく、当たり前みたいに腕を「ピーン」と挙げたのだそうだ。
「うちの息子は100点ですけど、それがなにか?」的な挙手(笑)
まさかの出来事に、先生も「あ……えーと……」と、しばし固まったらしい。
「誰の父ちゃんだ??」
クラス中の視線がお父さんに降り注いだあと、少年の夫へと降り注ぐ。
短い人生の中で、これほど困惑し、恥ずかしかったことはなかったという。
*****
私は、その話を聞き爆笑しながら、「お父さん、すごい!!」とお父さんを讃えました。
夫が、100点満点の少年だったはずもないことは、いわずもがなであるが、そんな「いろいろ足りない、普通の息子」を、おそらく「存在しているだけで100点」と考えていた、当時のお父さんの姿を想像して、私はちょっと泣きそうになりました。
私はただ純粋に、うらやましかった。
親にそんな風に、全面的に肯定されるって、どんな気分かな。
もちろん、教室でされた「お父さんの挙手」は、子供にとっては迷惑行為(笑)だし、さぞかし恥ずかしかったろう。
しかし、夫のカラダのどこかに、「自分の存在を100%肯定されている刻印」が押されたのではなかろーかと、私は感じた。
***
しかし、話はまだ終わらない。
夫のお父さんの「ほんわかエピソード」をご紹介したところで、一方の影の部分も話そう。
昔、夫のお父さんは、自分の妻を殴った。
突き飛ばしたり、蹴とばしたりした。
それを見て、夫は育った。
カッとなって手が付けられない父と、傍らで涙を流す母、恐怖でギャン泣きする妹。
まだ幼かった非力な夫が、どれほど傷ついたのだろうかと想像し、胸が痛む。
DVなんて言葉がなかった時代で、「そういう家庭は、珍しくなかった」と夫は振り返るが、世界で一番大切な人を殴る父親から「息子は100点満点」などと思われても、ちっとも嬉しくなかったのも無理はない。
夫は、小学校にあがる頃にはもう、父親のことを軽蔑し、憎んでいた。
できればいなくなって欲しい存在となっていた。
夫は、ずっと父親のことを反面教師としながら生きてきた。
お父さん。
ホント、心の底から、バカだねぇ……。
「息子を宝物だ、100点満点の存在」と堂々と主張する、すばらしいお父さん。
一方で、自分の妻を殴らずにはいられなかった、弱く情けないお父さん。
息子のことを、純粋に愛する力がありながら、また妻のことも同時に愛していながら、殴ってしまう「動物」だったお父さん。
でも同時に、こんなめちゃくちゃなお父さんが、今の夫を作ったとも思っている。夫の「反面教師」であり続けたことに「ありがとうございました」という気持ちもある。
夫の中には、「無条件に愛された」という記憶がありながらも、片方で「一切尊敬できない、甘えたクソ野郎」として存在する、アンビバレントな父親像が形成されている。
夫の「安定感」「自己肯定感」「ゆるぎのない信念」
それは、親の教育や育て方というよりは、夫自身がコツコツと、レンガを積み上げるようにして、自分で作ってきたものなのだろうと私は感じている。
「どういう親から生まれたとか、どんな風に育てられたとか、俺は関係ないと思ってるからねー」
そんなことを、当たり前のように言う夫。
そんな夫の言葉に、「人は生まれながらに決まっている」というような遺伝を謳われて育った私は、いつもハッとされられ、「そうだよな。人はなりたい自分になって、生きられるのだ」と思わされるのでした。
クソ野郎のお義父さん、どうもありがとうございました。
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