夫とのエアコンバトルについて熱く語ろう(笑)
日本に夏が来た。
地域にもよるのでしょうが、連日の蒸し暑さで、早くもバテそうな今日この頃である。
みなさま、せっせと「リモコンピッピ」をしておられるでしょうか?
えーと、「リモコンピッピ」というのは、「自分の快適さ」を求めて、我先にと、リモコンをピッピし合う、温度設定の争奪戦のことを言います(笑)
今回は、私たち夫婦の、長年の「エアコンピッピ」をご紹介します。
(どういう話題なんだ……)
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エアコンバトルは二段構えになっていまして、ひとつめに、まずシンプルな「戦いの図式」がございます。それは
「寒がり VS 暑がり」
我が家の場合、超絶寒がりの私 VS 超絶暑がりな夫。
嗚呼。
何度バトルを繰り広げたことでしょう…
(遠い目)
私はあるとき、はたと気づいた。
暑がりも寒がりも、言ってみれば「ただの体質」なわけで、どちらが正しいとか間違っているとか、ないわけだ。
温度設定に「正解」って存在しないんだな。
政府は、「冷房は28度」と推奨していますが、これだって
「とりあえずそういうことにしてみましたけど、なにか?」
に過ぎませんし、29度や27度じゃいけない理由なんて、存在しっこない。
そもそも、クーラーの機種によって「同じ28度」がぜんぜん違ったりします。
そして職場などでも、営業先から汗だくで戻ってくれば、社内が「暑すぎる」と思うでしょうし、ずっと社内に居て、カーディガンを羽織って震えている方もいらっしゃいますよね。
結局「正しい温度」は存在せず、あるのは「個人のカラダの感覚」のみ。
ただの好き嫌いとも似ていて、例えば、納豆が大好きな人と大嫌いな人がいて、「ああ、あなたは、そうなんですね」以外の、結論は存在しない。
だから二人以上の人が同じ場所で過ごす場合に、エアコンの温度は、妥協し合って、折り合う温度に設定する以外に、この問題を解決する方法はない。
そんなわけで、私は寒ければ「羽織るモノを増やす」「他の部屋に行く」などの対策をとりますし、私の様子を見て、夫が「寒い?」と気を遣い、設定温度を上げてくれたりする。
逆に冬場など、私が煮物などをグツグツと煮込んでいるとき、「ああ、部屋があったまっていいわ~」などと快適に過ごしていると、夫が上着を脱ぎ始め、半袖になってしまうときがある。
私の快適は夫の不快であり、夫の快適は私の不快である(涙)
こういうとき、女性同士や男性同士のカップルのことを、ちょっぴり羨ましく思ったりします。
もちろん女性でも暑がりさん、男性でも寒がりさんはいるだろうけれども、相対的に体感温度の差を感じにくく、ストレスが少ないのではなかろうか。
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そして、エアコンバトルには、「暑がり VS 寒がり」とは別の問題がもうひとつ存在します。
ある夏の日のこと。
部屋のエアコンの調子が今ひとつで、温度を下げても室内がうまく冷えないという時期がありました。
夫が、温度を下げまくる。
ぴっぴっぴっぴっぴっぴっぴっぴーーーー。
え、何回ピッピするの。
私は、リモコンの設定温度を確認して叫びました。
「16度て! やめて!!」
それに対して、夫が言いました。
「リモコンの数字で判断しないでよ」
……へ?
「数字で判断するんじゃなくて、自分の体感で判断するべきだろう? 自分の体感はどうなの? 今この部屋が本当に寒いと感じているの?」
うぬぬ……
実際、確かにこの部屋は寒くない。
16度なのに(笑)
悔しいが、夫の言う通りである。
私は16度というリモコンの数字を見て、とっさに、お金の心配をしたのだ。
(そんな温度にしちまったら、電気代食うでしょーがっ)と。
クーラー問題は、表向き「暑がりVS寒がり」の様相を呈しながらも、実は「金のバトル」でもあるわけだ。
どうだろう。
もしエアコンをいくら使っても「0円」だったなら、私は今ほど「リモコンの温度」に敏感にはなっていないだろう。
電気代は「安ければ安いほど、いいじゃん」という感覚がある。
電気代というのは、私たち庶民から金を搾取しようとする「悪」のごとき存在である(笑)
この感覚が、本当はおかしい。
冷蔵庫で食べ物を保存できることや、電子レンジで温めてアツアツをのモノを食べられること、自動で洗濯をしてもらうこと、そしてエアコンで快適な室温にしてもらうこと。
これらが当たり前になされている日本のインフラに対し、「高い高い」と喚いている私ってどうなのか……ほんと、すみません(笑)
私たちは「快適に過ごす」ことにすっかり慣れ、快適さを当たり前の権利だと思って生きているが、日本が他国に比べ「特別に整っている」ことを、忘れちゃならんのだろう、その点は反省したい。
しかし「金を使って、部屋を快適な温度に保つ」という、ごく自然の行動を、貧乏性の私は、なかなか適切にできない。
おそらく夫がいなければ、「暑いな」と思いながらも電気代を気にしてクーラーの温度を下げることを躊躇してしまうのだろう。
私は数年前、ガンになり、あと数年の命かもしれないと思ったとき、老後のために節約に励んだ自分に、はっきりと虚しさを感じた。
貯蓄額を「目的」にするのではなく、お金は自分の幸福を得るための「手段」にするべきだという気づきは、命の終わりを突き付けられたときに、私が心の底から実感した、大切な真理だった。
それをまた、このぬるい日常によって、忘れがちな今日この頃である。
お金(幸福の手段)と命(時間)のバランス。
夏本番、それぞれにバランスとって快適に過ごしましょう。
みなさま、どうかご自愛くださいませ。