あなたはどっち? 「すっぱいブドウ」VS「甘いレモン」問題
こんにちは、アサです。
フルーツは、酸味と甘みのバランスが大事ですよね、
とかいう話ではありません(笑)
イソップ物語の「すっぱいブドウ(キツネとブドウ)」とくれば、
はい、そうです、心理学のアレです。
キツネさんが、食べたいのに食べられなかったブドウのことを
「どうせ酸っぱくておいしくないんだろう」と考えて、自らを納得させる合理化のはなしです。
欲しかったものが手に入らなかったときに、それをあえて低く評価し、もっともらしい理由をつけて自らを納得させ、自分を守る心の働きのことです。
私たちは、ちょいちょい合理化して、
心を「防衛」しながら生きているんですってね
例えば、職場で昇進をのがした人が「あいつは、どうせ上司に媚び売ったんだよ。管理職なんて大変そうだから、自分は別になりたくなかったけどね」などと言ってみたりする。
片思いしていた相手と結ばれなかった時、「実はあの人、そんなに魅力的じゃなかったかも」と思い込む。
友人の海外旅行が本当は羨ましいのに、「長時間のフライトが面倒だし、円安の今は行くべきときじゃない」などと言ったりする。
合理化は、簡単にいえば「……だから、まぁいいか」で終わらせるための思考で、精神的負荷が減るメリットがありますが、なんでもかんでも、このように考えていると、「自分に言い訳するクセ」がついてしまい、成長を阻むというデメリットもあるそうな。
そう言えばわたしは、テレビなどで、美しい女優さんやタレントさんに対し、「きれいだなぁ……」などと思いながらも一方で、整形の痕跡をじぃーーっと探すことがあります(笑)
そして
「まったく人前に出る商売は大変だねぇ、整形繰り返してさ……ああ、やだやだ。私、もしも美しく生まれても、芸能人なんかに絶対なりたくないよ」
これは、もしかしたら、彼ら彼女らが「持っている美しさや才能」が本当はうらやましいのに、手に入らないから合理化しているのかもしれません(笑)
そして
どうせ、エステ三昧なんでしょ
どうせ、高いクリーム使ってるんでしょ
わたしだって、そりゃ整形すれば、
高いエステに行けば、もっとキレイだよ!!
でも面倒だし、お金もかかるからやらんけども
「持っていない私」が、自分のポテンシャルの低さや努力不足を棚に上げ、「しょうがないじゃん」と片づけている(笑)
ん?
これは、「すっぱいブドウ」ではなくて、
ただのやっかみかぁ?(笑)
***
さて、「すっぱいブドウ」と、コインの裏表のようにして存在する「甘いレモン」の理論というのをご存知ですか。
これは、苦労して得た果実が、レモンのように酸っぱく、大したことがないものだった場合 (←レモンにあやまれ)
「苦労して得たものが、この程度なんて納得がいかない」という気持ちをごまかすために
「あぁ、このレモンは甘いな」と思い込む心理のことだそうですね。
つまり、すっぱいブドウが「得られなかった」ことへの合理化なら、
甘いレモンは「得たものに納得いかない」場合の合理化ですね。
人間の脳みそって、どこまで欺瞞に満ちているの……
「甘いレモン」の単純な例をあげると、
ネットで購入した商品が、実際に届いたらイメージと違っていた。
なんか、がっかり……
「……ううん! いや、これも悪くないよ。うん、これでいい! うん、結構いいかも!」
なんか 必死(笑)
「私は、幸せよ! そう、私は本当に幸せなの!! 本当に!」と叫んでいる人みたいだな(笑)
そういえば……
わたしは、学生時代に「別れた方がいいのかも」とうっすらと思いながら、ズルズルと長くつきあった恋人がいました。
話をしても、およそ分かり合える関係性からはほど遠かったのに、
「いいところもあるよ、楽しいこともたくさんあるよ!」
どうにかして、この関係性を肯定したかった。
本当は「恋人のいない自分」で生きることが怖かっただけでした……
そして、その人の浮気が分かったとき、わたしは泣きました(笑)
4年ほどつきあっていたため、まぁまぁの心的ダメージがあり、その日のうちに別れを切り出せたことは、「よく頑張ったなぁ」と自分を褒めてやりたいですが、
「別れた方がいいかも」と思いながら「いいところもあるから」と長年つきあったことは、
「甘いレモン = 私の合理化 = 私の弱さ」でした。
別れた後は、まだ22~23歳と若かったのに、
「もう一生、恋人なんてできない!」と、
本気で落ち込んでいました(笑)
今から考えると笑えるほど視野が狭く、視座も低かったのですが、でも若いってことは、未来が無限に広がっている分、先が見えなすぎて不安だったりするんですよね。
だから若者さんよ、安心しなはれ。
これを読んでいるあなたが20代前半なら、まだ脳みそが完全には成長しきっておらず、「不安も増大して感じる」ことになっています。
もう少し、大人になれば落ち着いてくるから、それを楽しみに、いったん不安は脇に置き、青春を謳歌してください(^^)
***
話が少しそれましたが、「甘いレモン」に戻りましょう。
「彼氏と合わないかも」と知りつつも、長くつきあったわたし。
つまり、
わたしは今あるもの・ある状況に対して、
「YES! これでいいのだ!」と思いたい心情が強めなのだと思います。
今あるモノ・環境に「価値がない・問題がある」のに、そのことを「分かっていながら」過ごす人生に耐えられない。
だから、まず「私が持っているモノは、良きものである」と思おうとするバイアスが働いてしまうのです。
このような私でありますから、
必然「今あるもの・今ある状況」に文句を言うのが、あんまり好きじゃないんですよね。
これは想像のはなしですが、
たとえば、温泉旅行に行って、旅館で出てきた料理がいまいちだったとき。
食べながら「高い料金を払ったのに、おいしくないね!」などと言う人がいるかもしれませんよね。
この場合、それが真実かもしれないけれど、
「今の楽しい気分(=価値ある時間)」に水をさしたくないため、多分わたしは言いません。
私「確かにちょっとイマイチかもね……でも、ほら、これなんか結構おいしいよ……あとさ、部屋の感じはすごくいいよね」
こんな風に、私は「甘いレモン」の合理化をするような気がします。これは私が、そう考えた方が幸せだからですね。
合理化して、ごまかしているとも言えるし、
よく言えば、プラス思考で、その場を楽しもうとしている。
逆に、文句を言わずにいられない人は、その方が気分がいいのかもしれません。「この料理は、まずい!」と正直に言った方がストレスがたまらず、幸福なのかな?(笑)
「まずい」と言うことと、「結構、おいしいよ」と言うことの、
どちらにも正解はありません。
「そう言った方が、自分のこころが安定するから」という内的な理由から発せられる言葉なのだと思います。
わたしの乳がんの経験もそうです。
「この経験があったからこそ!!」と得られたものを数えて、合理化する。
失ったモノもあるけれど、
でも、得られたモノも、山ほどあるよ!
……と考えないと「やってらんない」から(笑)、私は「甘いレモン」方式で合理化をしているのです。自分の幸福を維持するために。
よくスピリチュアルなどでも、
物事の良き面を捉えよ・プラスの解釈をせよ
などと言われますよね。
仏教なんかも、そうなのかな。少欲知足「足るを知れ」ってね。
わたしも基本的に、その考え方に賛成します。
その方が機嫌よく生きられますし、現状に言い訳ばっかり、文句ばっかりの人生は、今ひとつだなと感じます。
でもこれって、注意が必要ですよね。
今暮らしている環境、
例えば、勤めている職場や、つきあいのある友人関係、恋人やパートナーに
あきらかに問題がある
……のに、それらに眼をつぶり、「いや、いいところもある!」と必死に合理化する。
無理やりポジティブに考えて、
「うん、私はこれで幸せよ!!」
そんなバランスを欠いた無理な合理化をしていないか、ときどき自分の脳みそを点検した方がいいかもしれませんよね。
なにしろわたし達は、他者のことは客観的に眺められますが、自分のことは盲点になりがち。
自分で自分の心を、ごまかしていることにすら気づかないかもしれません……
「鏡よ鏡、わたしは、わたしをごまかしていないかい??」
「ちょ、ちょっと、ごまかしているやもしれません……」
そう気づいたなら、しめたもの(^^)
合理化をすべて手放すのではなく、適当に合理化しながら、大切なところでは、真実から目を逸らさない。
えらそうに書けるほど、わたし自身が実践できてはいませんが(笑)、みなさん適宜、バランスよく合理化しつつ、幸福に生きましょう(^^)
きっと自分を幸せにできるのは、自分だけですもんね。
あなたの「すっぱいブドウ」や「甘いレモン」、ありましたらぜひ教えてください。