「女」であることにうんざりする瞬間
夫のお母様(90歳)と、その娘(夫の妹さん・私より10歳年上)が、この秋に、東京観光にいらっしゃると言う。
ホテルも予約し、観光したいスポットをあちこちあげては、夫と電話で打ち合わせているようである。
私たち夫婦は都内在住なので、お二人の旅行中、どこかで合流して、道案内をしたり、食事などをご一緒するんだろうな。
そんな風に思っていた。
しかし、数日前の電話で、
「(私たち)ふたりが暮らす家も見たい」と言ってきたらしい。
夫はさらっと、「別にいいよ」と受け応えたと言うから、
私は反射的に
「えーーーーー!!」
抗議の雄たけびをあげてしまった(笑)
男側の夫が思っていることは、分かっている。
「そんなに、気にすることないじゃん。いつも通りで」的なヤツである。
イヤ、そうはいかねぇのよ
事程左様に、日頃から「女」と「男」のジェンダー差について、対話を重ねても、しょせん夫は男なのである。
わたしが男の「感覚」を真には分からないように、女のわたしの「感覚」を、夫が分かりっこないんである。
あわあわ。
予期せぬことに、頭が高速回転をはじめる。
玄関やトイレなどの掃除を徹底せねばならない。
やかんが黒くなっているから磨かねば。
ガス台がカピカピですぞ。
年末にやろうと思っていた換気扇掃除は、前倒しするか。
タオルがヨレヨレだから、新調した方がよいのか?
緑茶でいいのか? コーヒーか?
お茶菓子は何がいいんだ?
歯が悪いみたいだから、やわらかいものを用意しないとだな。
え、まさか、食事していくことにはならないよね?
あとは、あとは……。
うぉーーーーーっ!!
せっかく、脳梗塞を発症した実母が退院し、介護認定も済んで、少し落ち着いたところだったのに。
凪いだ暮らしが、遠のいてゆく。
イ――ヤ――だ――!!
どのくらいイヤかと言うと、今すぐフルマラソンを走らされるくらいに、もしくはバンジージャンプを飛ばなければならないくらいに、イヤである。
なぜ、こんなにも、イヤなのか。
それは突き詰めてしまえば、
「女として査定されるから」に尽きる。
「査定」「評価」。
女は、悲しいくらいに、存在そのものが「見られる性・品定めされる性」なんである。
(ちなみに男は「見る性・品定めする性」である……この非対称性の理不尽……ひどすぎないか)
それは、容姿だけのことではない。
ひとたび結婚してしまえば、嫁として、妻として、母として、「まっとうであるか、否かを、見られる・査定される」立場に立たされる。
それが、錯覚であろうとも、まぼろしであろうとも、令和のこの時代になっても、「私自身が、その観念にとらわれてしまっている」限りにおいて、私の苦しみは、消えることはない。
家事全般に育児に、夫の家のこと。あらゆることに全方位的に気を配り、配慮せよ。
かつて多くの女性達が、そんな風にして、自らを全投入しながら、必死に「良妻賢母」であろうとしてきた。
プライドやアイデンティティーとも密接につながるそれらは、一方で呪いとなって、女たちを自縄自縛に陥らせている……と私は思うのだが、女性のみなさん、いかがであろう。
私はフェミニズムのことは門外漢であるが、こういうとき、「女」である自分に、自らが刃を突き付けているような気持ちになる。
若い女性のみなさんは、早くこの「ナゾの呪縛」から、解き放たれて欲しい。
え? もう解き放たれているの?
それならよいが。
***
話を戻そう。
我が家に、夫のお母様たちがやってくる。
女にとっての「家」は、男にとってのそれと、まったく意味合いが異なる。
男のマイホームは、「箱」として、「それを手に入れた一人前の男」という意味合い以外にはないのではないか?(よくは知らんが)
一方、女にとって、「家」とは、外観というより、「家の中=自分」である。
本来なら、自分の満足できる美しい部屋に、自分の趣味に合う、心地よいモノたちを散りばめ、「女のわたし」が満たされるような風景を創り上げたいところである。
それが叶って、初めて自信をもって、お客様を部屋の中に招き入れられるというものだ。
「こんなわたし(の家)いかがですか?」と。
しかし、こんなに狭く、ボロい部屋。
築年数が進み過ぎて、あちこちガタがきているが、賃貸であるため、ごまかしながら暮らしている。
単に引っ越すことが面倒なのもあるが、
私は「広くきれいなマイホームを手に入れること」を、ほぼ自覚的に放棄して生きてきた。自分の「女」の欲求を、二の次にしたと言えよう。
夫も、男として立派な家を所有する満足感など、端から欲していない。
そういう二人であるから、普段はこの家がボロくても、私たちは愉快に暮らしてきたのである。
しかしお客様が来る段になって、突如として、「女のわたし」が顔を出す。
「あら、あなた、やっぱり、この家のこと、恥ずかしいと思っているんじゃないの。ほほほ、おかわいそうに」
……と、もう一人の女の私が、私をせせら嗤ってくる。
女のわたしは、ボロく散らかっている部屋を人に見られれば、自尊心が傷つく。「だらしのない女性」と思われることに、「きぃぃっ!」と心がきしんだりもするのである。(だらしがないのが実情であったとしても)
それは、例えば「化粧をすれば、私だってもう少しキレイなんですよ!!」というような、女の悲しい叫びにもどこか似ているだろう。
「見られる」ということから、逃れられない、この煩わしさを、どうしてくれようか。
だったら、キレイにお化粧したらいいのだし、キレイなおうちを作るために頑張ってお金を稼いだらよかったじゃないの。
いや、私はそんな風に生きたいわけじゃない…
(以下、ループ)
***
「そんなにイヤなら、断ろうか? 確かに片方が嫌がっているのに、もうひとりが断行することはできないよな」
夫がそのように気づかってくれる。
「いや、それは、ダメ。息子が暮らす家を見てみたいお母さんの気持ちは、至極あたりまえ。絶対に断らないでね」
私は本当は死ぬほどイヤであるにも関わらず、「断ったら私は自分のことを許せなくなるぞ」という、「わたしのカッコつけた意志」がギリで勝ち、今現在、身悶えしながら、死刑囚の十三階段を一段一段上っているのである。(大げさか)
普段から嫁らしいことを何もしていない私。
こんなときくらい、お願いごとを聞けないでどうする。
イヤなことからは、「何かの学び」という褒美を受け取り、元をとってやるしかねぇ…うぬぅ
「虚栄心」を脱ぎ捨て、このしょうもない部屋を、丸腰になってさらけ出す。それ以外に、道はない。
この部屋を見て、逆にお母様を心配させてしまうのではないかと、それが心配ではあるが。
あ、あの、お母さん!!
大丈夫です、私たち、これでも楽しく暮らしています!!
そうやって、ナゾの主張を大声で張り上げたい思いである。
なんにせよ、noteを書いている場合じゃない。
はやく掃除をしろ、掃除を!!!
……と書きつつ、まったくやる気が起きない。
掃除したからって、知れている(笑)
だから、こうして現実逃避でnoteを書いている。
「嫁」を務めてきた諸先輩方、何かいいアドバイスがあれば、ご教授いただけませんか。
駄文をお読みいただき、ありがとうございました。