Q+A=I / Q-A=P この公式は覚えておくとよいですぞ
ここ5~6年ほどでしょうか。
本を読んだ際、覚えておきたいことをメモることが習慣となっています。
紙のノートに、せっせとカキカキ。
昔は、本は本屋で買っていたのですが、我が家はいくつも本棚を置く広さがないため、ある時期から「本は図書館で借りる」にシフト。
すごく気に入った本は、読んだ後に本屋で買い直しますが、基本的には手元に本が残らないので、かわりに「メモを残す」という方式に、変わっていったのです。
これが、とてもよかった。
時々、昔のノートをパラパラ見直すと、過去の私から、「今こういうことに注目して生きていますけど、そちらのあなたはどうですか」と、現在の私に向かって問いかけてくるんですよね。
例えば、2020年に「ほぅ」と思ったからこそ、メモってある公式。
分かりますか?
答えは、
つまり、
①何かの問いや課題に、「実質的な行動」を伴わせれば、それは「イノベーション」を生み出す可能性がある。
②何かの問いや課題を立てた後、「行動」を伴わせず、頭で考えて答えを導き出した場合には、そこには「哲学」が残る。
どちらにしても「適切な問いこそが大事ですよ」的な内容でした。
数年前、「これからは『問題解決』じゃなくて、『問題発見』が重要な時代がやってくるよ」などと言われた時期がありましたよね。
そのころに、読んだ本だと思われます。
当時、「問いが大切なんて言われても、漠然としておるなぁ……」などと思っていましたね。
「問題を正しく解け」とばかり教育されてきた私たちにとって、「正しい問いを立てよ」とは、要するに「無限の可能性」の中から、自分に必要な問題・課題をあぶり出して言語化せよと言っている、なるほどとても難しいことだと思いました。
そして、「問い」に言及していたこの公式ですが、当時、メモりながら、
私はこの公式の「クエスチョン」よりも、「アクション」のワードの方にひっかかったのでした。
私は②「マイナス アクション」の人間だな。
……「耳が痛いな」と思ったことを思い出しました。
イノベーションを起こすには、アクションがプラスされてこそ……
そりゃそうだわな……
私には、行動力が必要なんだろうなぁ
(……うじうじ)
noteを書いていらっしゃる方の中には、わたしと同じような方がいらっしゃるかもしれませんね。
でもね、ノンノン!
noteを書いていることそのものが、
すごいアクションだから大丈夫
どういうことかと言うと、私からしてみれば、
この記事を読んでいるほとんどの人が、私より先に、noteをはじめているわけですよ。
私は自他ともに認める、超絶アナログ人間なのですよね。
だからアカウント作りから、ほぼ地獄
ですから何年も前に、noteを「ちょちょいの、ちょい」で始めたあなたはすごいし、「ちょちょいの、ちょい」じゃなくても、私より先に始めている時点で、すでに「アクションが早い」わけですよ。
そして、noteをはじめる程度のことを「アクションとは呼ばない」と考える人なども、私からしてみれば、それこそ見上げる存在です(笑)
私は、「書きたいことがいっぱいある」と思いながら、何年もはじめることができませんでした。
まぁ、2020年当時は、抗がん剤治療中でそれどころじゃなかったのだと思うのですが、治療が終わっても、数年間に渡ってnoteに着手せず。
そんな私が「ちょっとは行動せんとな」と思って、今年になって重たい腰をあげ、ものすごーーーーく頑張って、noteを始めました。
アナログ人間の私が、ノートに書くんじゃなくて、noteに書くんだから、とてつもない「イノベーション」を生み出した。
誰かが自分の記事を読んでくれる喜び。
記事に共感してもらったり、示唆に富んだコメントをもらえたりするありがたさ。
人の記事を読みにいって、「おもしろー」と笑いがあり、「なるほどー」「すげー」と学びがある。
「イノベーション」などと聞くと、イーロンマスクさんなんかを思い浮かべますが、その10000000000分の1くらいの規模でも、私の暮らしにとってはまさしくイノベーションでした。
そんな私が、今度は有料記事を書いてみようと準備中ですよ。
普通に考えて、こわすぎるアクション
しかし、どうしても書きたかった内容なので、近々アップすることに決めました。
「良好なパートナーシップ」を築くための、本質的なノウハウを書いた記事なんですけれどね。
私は、身近な人との関係が良好であることは、とてつもなく大事であり、幸福に直結すると考えているんですよね。
しかし、身近な人であるほどに、その良好さを保つこともまた難しいというジレンマを、人は抱えながら生きているものです。
その難題を解決するための、本質的な回答に迫ってみました。
膨大な量になってしまい、もう少し凝縮できぬかと、現在画策中ですよ。
「一生涯を通じて、ぜったいに価値がある」と確信して書いた内容ですが、その価値のある・なしは、みなさんに委ねようと思います。
この記事をアップしてしまえば、「有料記事へのアクション」から、私はもう逃げられません……自分をこうして追い込んでみました(笑)
こわいけど、やって失うものも何もないからやってみるべし
(……と自分に言い聞かせています)
アクションしない理由の裏側には、いつだって「恐怖ちゃん」がぶるぶる震えてうずくまっていますね
「恐怖ちゃん」は脳みそにとって、不可欠な感情でしょうが、しばし気絶しててもらいましょうか。