考えるネコ クルミドの朝モヤ
クルミドコーヒーの、哲学対話「朝モヤ」に初参加🌼
朝はやくに集まって温かいミルクハーブティー(珈琲、ミルクコーヒー)を抱えながら、日頃のモヤモヤについて問いを投げ合い考える。
クルミドの朝モヤはこれまで幾度も開催されてきた(参加して10年目だという方もいた)けれど、
20名とすこし、2時間弱の時間の中では、問いを出すだけでおわることもあれば、なんとなくその場で答えのようなものまで辿り着きそうなこともあるという。
でも結局正解はなく答えもない…モヤモヤを共有する場。
この場での唯一のルールは、話すよりきくことを重視すること、話している人を尊重すること。
🐈⬛ 🐈⬛ 🐈⬛
年齢、性別、職業も違う人たちから、いろいろな問いがでた。
〈出た問い〉
・やる気がないのはそんなに悪いこと?
・甘えるってわるいこと?
・健康っていいことなの?
・人は見た目を気にしないことはできないのか。
・なぜ悪意に惹かれるのか。
・自分もしてしまうかもしれない罪を犯した人を責められますか?
・芸術とは何か。
・傷つかないのはいいことなのか。
・人によって寿命が違うのはなぜ。
・働くってどういうこと?
・大人になるってどういうこと?
etc…
問いが出揃ったら、みんなで考えてみる問いを1コ(だったと思う)決めてみる。
それぞれに、気になった問いを語っていく。
人の問いから、自分の問いが生まれてくるというのもあって。
ちなみに わたしが立てた問い↓
*どうして猫だと生きてるだけで肯定できる(される)のに、人間だと「生きてるだけでいい」を肯定しずらいのか。
*消極的でコミュニケーションが下手なのは、なぜ働くのに不利とされるのか。
*人生に物語(イミ)は必要か。
🐈⬛にゃー
この日みんなのモヤモヤを1つにまとめられる問いは。。。?
紆余曲折しつつ、「健康とはいいことなのか」に決まった。
ある人は、「心身二元論主義でアナーキストだから、肉体は健康、精神は不健康がよい」と言い、ある人は、「心と身体は繋がっている=心身一元論主義だから、健康であることはいいことだ」という。
対話していく中で、そもそも健康ってなんなのか?という問いが生まれ、ある人は「健康は自分よりも他人(自分にとって大切な人)にそうでいてほしいと願うものだ」といい、またある人は、「誰かにとって都合がいいから、健康はよいものとされるのだ。自分が不健康だと誰にとって都合が悪いか?を考えるべきだ」などという。
そして、ある人は、「この問い自体、いいことはほんとうにいいことなのか?という問いを含むから、問いとして破綻している」という。
そして健康から派生して、「生きるとは幸せになることである。できること、やりたいことが増えることが幸せである」という人、それに対して、「どうして幸せでなきゃいけないのか」と問う人がいて。。。
「そもそも健康でいるためには、幸せでいるためには、苦労や我慢が必要なのか?」という問いもあり。。。
そうして終わりの時間が近づいてきて、誰かが「誰かがさっき猫のことを言っていたけど(ワタシです🙄)自然界(の生き物)は、そもそも体調が悪いと何もしない(よければ生きる、わるければ死ぬ)。だから、健康はいいことなのか問うのは今の社会構造を問うことになる」という。
こうして他の人の話を聴いていく中で、わたしが問いにすることはだいたい、今の人間社会の構造を疑うことに通じているのだと腑に落ちた。
そもそも今の人間社会でよしとされることをしたからって、それが本当に自分にとっていいのか?というモヤモヤ。
こういう問いって、自分が日々求人媒体をみて感じることだったり、社会で働くということに関して居場所をみつけられない、というゼツボウとか、自分の物語を創って生きていくことに価値があると思っていたのに、「人生にイミなんてないのよ」「考えすぎないことよ」と言われショックをうけたこと。。。そんな至極個人的なことからの問いだったのに、実は全然違う問いだと思っていた「健康っていいことなのか」と根底のところで重なっていたとは。
哲学対話は、問うことで地球全体と根本のところで繋がるような、そんな営みなのかもしれない。
その場にいた人が普段どんなことをしているのか、どんな性格なのか、何が好きなのか。。。そういう具体的なことは分からなくても、そこでは繋がれなくても、ゆるやかな孤独からの解放があった。
問うことは、自分らしさやこだわりを大事にすることで、それが人と人の違いを浮き彫りにするのに、人の間に連帯をつくる。
問うことができれば、人と繋がれるし、問う人たちがお互いの話を聴くことができれば、世界だって変えれちゃうのかも。
個人主義がすすむ、孤立化がすすむ現代にほんとうに必要なのは、ほんとうに個人になれる対話と、個人になれるからこそ全体になれる対話なのかもしれない。
人と違うことは、孤独になること、寂しいことではないのだ。
そして、たとえこの世界に意味はないのだとしても、物語を創って生きていきたいと思う今日この頃。
ネコ人間の、生きる意味。
PSけっきょく、ほんとの猫の気持ちはわからないからさ。だから考えちゃうんだよ。