España!・・・スペイン国民楽派の夜明け〜そしてファリャへ
スペインってどんなイメージ?
スペイン・・・それは「情熱の国」。ヨーロッパであってヨーロッパではないような独特の雰囲気がある。
インターネットサイト「みんなのランキング」によると、スペインと聞いて思い出すもののベスト5は「サグラダ・ファミリア」「FCバルセロナ」「レアル・マドリード」「フラメンコ」「闘牛(闘牛場)」だそうだ。以下、「パエリア」「イベリコ豚」などが続く。概ね僕が抱くイメージもそのようなものだ。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)はスペイン第2の都市バルセロナにある建築で、アントニオ・ガウディが手がけた。市内にはグエル公園やカサ・ミラなどのガウディ建築が多く残っている。
一口にスペインといっても、国内の各地域はそれぞれ独特の風俗や文化、歴史歴背景がある。最近ではバルセロナが中心都市であるカタルーニャ地方の独立運動などがニュースで大きく取り上げられているのでご存知の方も多いだろう。この多様な文化の混在はスペインの地理的な位置や歴史と密接に関係がある。北はピレネー山脈を挟んでフランスと接し、南は海を隔ててアフリカと接する。東を行けばイタリア半島がある。そのような地勢学的な理由で古くから多くの民族が侵入し、盛衰を繰り返してきた。古代ローマの文化、イスラムの文化、キリスト教の文化・・・特に800年もの長きに渡ってスペインのあるイベリア半島の大部分を支配してきたイスラム教文化がスペインに与えた影響は大きく、このことが「ヨーロッパであってヨーロッパでない」印象の理由といえるだろう。またイベリア半島でも地域によってさまざまな気候・風土があり、それもまた各地方の特色の違いに影響している。
そのような渾然一体の文化形成の中で、音楽や舞踊も独自のものが誕生した。フラメンコに代表される舞踊とその音楽は「スペイン的」なものとして代表的なものだろう。スペインには多くの舞踊形式があり、それぞれが地域性や歴史をバックボーンにしている。またロマ(ジプシー)が多く住み着いていたことも、他に見られない独特な民族音楽を持つ所以だ。
その舞踊音楽は東洋的な音階を持ち、東洋的な細かい音程を多く利用している。音律的なものだけでなく、リズムも非常に生気に富んでいる。宮廷的な音楽に由来するものが多い西ヨーロッパとは異なるものがスペインの音楽にはあるのだ。その音楽は大衆には多く知られ親しまれていたのだが、実はクラシック音楽にそのスペイン的なものが「利用」されることはほとんどなかったのである。オーケストラの作品でも「スペイン風」のものが利用されるのは意外に歴史が浅い。バレエ作品の曲には「お約束」として「各国の踊り」を踊る部分がある。その中の一つに「スペインの踊り」というものが挿入されることが多い。代表的なものといえばチャイコフスキーの「白鳥の湖」ほか「三大バレエ」と呼ばれる作品やグラスノフの「ライモンダ」などで、スペインを象徴する楽器としてカスタネットとタンバリンが登場する。また、ビゼーの代表的オペラ「カルメン」もスペインを舞台とし、さまざまなスペイン舞曲を取り入れている。闘牛士やロマも登場する「ザ・スペイン」的なオペラと言える。ビゼーの他にもフランスの作曲家は特にスペインへの憧れが強かったのか、スペインを題材とした作品が多い印象がある。
シャブリエの狂詩曲「スペイン」やラヴェルの「スペイン狂詩曲」などが有名だ。この2作品は名前が似ているので注意が必要だが、「スペイン」が後に来るのか先に来るのかで覚えておくといいだろう。ラヴェルの場合はベラスケスの絵画にヒントを得た「亡き王女のためのパヴァーヌ」や舞踊の形式である「ボレロ」もスペインに想を得た作品と言える。
スペイン国民楽派の萌芽と成長
このように外に対して刺激を与え続けてきたスペインの音楽は、国内において19世紀の後半まではクラシック音楽にほとんど利用されなかった。あまりに身近すぎてその良さがわからないということはよくあることだ。とはいえスペインでは16世紀以降、何人かの作曲家が活躍していた。しかし大体の場合はそれは「娯楽」に結びついていたもので、それを「芸術的な領域」として捉えるまでに至らなかったのである。日本にも多くの素晴らしい民謡がある。しかしそれも祝祭歌や労働歌として、そして娯楽的なものとして親しまれてきた。最近はその芸術性に注目し、評価も高まっていると思うが、古今東西そのような事例は多く見られるのだろう。
そのスペイン音楽が大きな転換点を迎える時が来た。それは意外に思われるかもしれないがロシアの「ある人物」がスペインを訪れたことがトリガー(引き金)となったのである。その人物は「ロシア五人組」の回に登場した「ロシア国民楽派の父」グリンカ。ロシアだけでなくヨーロッパ各国で「国民楽派」の運動が盛んになっていたが、グリンカのスペイン訪問に刺激をされ、スペインでも「俺たちの音楽作ろうぜ!」運動の機運が高まってきたのである。どの地域、時代でも「ファーストペンギン」的な先陣を切る人物がいなければ何も始まらないわけだが、スペインの国民楽派運動でその先駆者となった人物がフェリペ・ペドレルという人物であった。彼こそが「スペイン国民楽派の父」と言える人物である。彼は作曲者という面よりは「教育者」「啓蒙家」「研究者」的色合いが濃い人物といえる。スペインの古い曲を収集、編纂しそれを紹介することで、彼の後の世代に大きな影響を与えた。ペドレルの不断の努力で花開いたスペインの民族主義音楽の実を結ぶ過程において、二人の作曲家の名前を知っておきたい。グラナドスとアルベニスである。
大学時代に指揮者の先生に随行してレッスンに来る男性二人がいた。その先生の弟子のような人物たちであったのだが、友人が密かに彼らにあだ名をつけていた。それは「セバスチャンとロドリゲス」というものであった。話が脱線してしまったが「グラナドスとアルベニス」という語感にそれと似たような印象を持ってしまったが、この漫才コンビの名前にありそうな二人がスペインのクラシック音楽において多大な貢献をしたことは忘れてはいけない。彼らの作品はジャンルを問わず「スペイン的」なリズムや音階に溢れ、聴くもの演奏するものの心を捉えて離さない魅力を持っている。アルベニスはドイツで、グラナドスはフランスで音楽教育を受けた人物で、それらの影響もありながらスペイン的香りのする作品を多く残した。
この二人に続く作曲家として、そしてスペインのクラシック音楽の作曲家として最も有名な人物がマヌエル・デ・ファリャだ。
ファリャの先輩、後輩格の作曲家は多くいる。だが、このファリャを語らずしてスペインのクラシック音楽を網羅し俯瞰することはできない。スペインにおいて画家といえばピカソ、ゴヤ、ダリ、ベラスケス・・・ギリシャ人ではあるがスペインで活躍したエル・グレコ、そして建築家ではガウディがいる。文学の世界では「ドン・キホーテ」の作者セルバンテス、女優はペネロペ・クルス、テニスはナダル・・・そして作曲家といえばファリャである。
スペインのクラシック音楽作曲家番付において「大横綱」であるファリャ・・・どのような生涯を過ごし、どのような音楽を作曲したのだろうか?たっぷりと味わい尽くしていこう。
スペイン最初の「国際的作曲家」ファリャ
演奏会のプログラムノートにも専門的で簡潔な素晴らしい文章が掲載されているのでそちらを読んでいただくのが一番だろう。ネット上でも多くの情報が発見できるのでファリャの人生について改めてなぞることもないとは思う。ここではまず、世界的権威である「ニューグローヴ世界音楽大辞典」という全巻揃えると20冊以上にもなる音楽事典において、彼がどのように書かれているかを引用したい。
もはやこの紹介が全てではある。しかしここは情報と読み応えの「オトの楽園」だ。これで終わるはずはない。
ファリャの人生は大きく分けて3つのパートに分かれる。それは「誕生から修行時代」「円熟期」「アトランティダ時代」である。僕たちがよく知るファリャの作品の大部分は「円熟期」に作曲されたものである。
「痩せて背の低いスペイン人、いつも黒い服を着て、頭は若い頃から禿げている。一見、目立たない風采の人ではあるが、人の心を射るような目の光にこの人の持つ才の一端を想像することができる」(ギルバート・チェイス)というのがファリャの風貌と人物評である。
果たして、どのような生涯を生きた人物なのだろうか。
誕生から修行時代
ファリャが生まれたのはスペインの南部、アンダルシア地方の都市カディス。この街は古くから港湾都市として栄え、美しい海岸が多く見られる地域である。現在この地には「ファリャ劇場」がある。
現在のカディスの人口は11万人ほど、我々が知っているスペインの都市で最も近いセヴィーリャまでは電車で2時間、首都のマドリードまでは電車で5時間ほどの土地である。そのような土地でファリャは生まれた。父はカタルーニャ、母はバレンシア出身だ。ファリャが生まれた「アンダルシア地方」は我々がイメージする「スペインらしいスペイン」の風景が広がっている」地域である。この環境もまたファリャの音楽に大きな影響をもたらしたといえるだろう。
「アンダルシア」といえば思い出すのは、近藤真彦の歌う「アンダルシアに憧れて」という曲だ。現在は「ザ・クロマニヨンズ」のメンバーとして、そして「THE BLUE HEARTS」のメンバーして知られる真島昌利の作詞・作曲によるもので、真島のソロデビュー作である。
この歌の歌詞の中には「スペイン」を想起させるワードがいくつか登場する。「アンダルシア」「カルメン」「フラメンコ」「グラナダ」など・・・。この歌を最後まで聴くと、舞台はスペインそのものではなく他の土地であるようだし「ボルサリーノ」というイタリアの帽子や、「ボス」「コルト」という英語の言葉が登場する。主人公とカルメンという酒場の踊り子がアンダルシアに憧れていたのだろうと想像できる。主人公のボスが敵に囚われて、呼び出された先の廃屋の倉庫で射殺されてしまう。結果的には主人公とカルメンという名の踊り子は二人でアンダルシアに行くことはできなかった・・・という悲しく切ない話だ。主人公は意識が遠のくなかで「グラナダの詩」が聞こえてきたと歌詞にはある。これも「グラナダ」というスペインの土地の名前ではなく、有名な「グラナダ」というタイトルの歌であるという説が有力なようだ。実際のところは真島さんに聞いてみないとわからないことではあるが・・・。
この歌の主人公のように「アンダルシア」という「スペイン」を代表する土地に憧れを持つものは多いという一つのエピソードでもある。歌に出てくる「グラナダ」という地名も頭の片隅に片隅に置いていただきたい。
サルスエラの作曲家としてのスタート、そしてペドレルとの出会い
ファリャは最初の音楽教育を母親から受け才能を開花させた。その後は地元の教師に習うなどしてその素養を育んでいった。その後首都のマドリードで音楽教育を受ける。実はファリャの両親が経済的に困窮しファリャの住むマドリードに移住してくるのだが、その経済的困窮を少しでも緩和するために、ファリャは大衆の音楽として人気のあった「サルスエラ」の作曲家として活動する。サルスエラとはスペイン語で書かれたオペラの一種である。その名の由来は「サルスエラ宮殿」で王の前で上演されたことに由来し、また魚介を用いたスペイン料理にもその名前を残している。さまざまな登場人物が歌を歌い交わすという、音楽のサルスエラに由来した名前だ。
サルスエラの作曲をしていた頃にファリャは一人の人物と出会う。前半でも登場したスペイン国民楽派の父、ペドレルである。ペドレルの影響でファリャはスペイン民族音楽への興味を強め、それをクラシック音楽に「利用」した作品を書くことになったのだ。特にファリャが関心を示したのは「アンダルシア地方のフラメンコ」。「アンダルシアに憧れて」の中に登場する踊り子「カルメン」が踊り、憧れていたものだ。
そのような状況で作曲されたオペラ「はかなき人生」がファリャの本格的クラシック作品の一つである。スペインは当時政情不安などもあり、この曲は上演が企画されたいたのだが当初は実現しなかった。その不幸な出来事も、後々のことを思えば運命的なものであったといえる。
パリ・・・そして円熟期
1907年にファリャはフランス、パリへ渡る。当時は音楽も美術も「印象派」が大きなムーブメントとなっていた。アール・デコなどの美術も当時のパリで花開いた文化で、ファリャのみならずフランス、パリは「憧れの都」であったに違いない。パリでファリャは多くの作曲家と知遇を得る。「魔法使いの弟子」で知られるデュカスは未発表のオペラ「はかなき人生」を激賞、上演を実現するために奔走した。その尽力もあってオペラ・コミック座での初演が実現する。この上演がファリャの存在を多くの人に知られる」きっかけとなった。その後は同郷のアルベニスや、ラヴェルなどの名士と親交を深めて芸術家のサークルにも参加する。またそれとは別ルートで印象派の旗手ドビュッシーとも親交を持ち、大いに薫陶を受けた。パリはファリャにとって「第2の故郷」だったといえる。
ドビュッシーにはパリに渡る以前に手紙を送ったりしていたのだが、その当時はファリャをあまり評価せず、注目もしていなかったようであるが、パリでの活躍する頃にはドビュッシーもファリャを評価するようになったという。話によれはドビュッシーはなかなかユニークな性格、言い方を変えたら「難物」であったようで、そのドビュッシーと親交を深められたというのだから、ファリャは音楽だけではなく人格も素晴らしい人物だったのだろうか。
そのような充実のパリ時代であったが、世界の歴史が水を差す。第1次世界大戦が勃発したのだ。フランスはドイツ他枢軸国と戦争状態に入る。そのためファリャは1914年、祖国スペインに帰国する。
帰国後のファリャの創作意欲は旺盛で充実の作曲がおこなわれた。この「円熟期」に作曲された曲が「スペインの庭の夜」「恋は魔術師」、そして「三角帽子」である。これらの作品は印象派の影響を受けながらも、ファリャの特徴である「スペイン的民族主義」的色彩が見事に調和している。ここにスペインクラシック音楽の金字塔が打ち立てられた。これらの作品はスペイン的風情に溢れ、音階やリズムの点においても「スペイン的」である。
なかでも「三角帽子」は広く知られたバレエで、この作品は当時大人気を博していた「バレエ・リュス」のために書かれたバレエである。「バレエ・リュス」とはロシアの興行師ディアギレフが主宰していたバレエ団で「バレエ・リュス」は「ロシアバレエ団」という意味で、ストラヴィンスキーの「春の祭典」「ペトルーシュカ」「火の鳥」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」などもバレエ・リュスのための作品である。決して長いとはいえない活動期間に残した音楽史上の功績は大きい。それはバレエ、音楽にとどまらず美術や舞台機構の発展にも大いに寄与した。以前東京で開催された、バレエ・リュスの衣装を一堂に展示した展覧会に足を運んだが、その衣装の先進性やセンスの高さに大いに感激したことを思い出す。
「三角帽子」のバレエ・リュスの初演はイギリス、ロンドン、オーケストラの指揮はスイスの名匠エルネスト・アンセルメ。彼はフランス音楽のエキスパートとして現在でも人気のある指揮者である。そのアンセルメに教えを受けた人物が、音楽評論家志鳥栄八郎が「今様アンセルメ」と呼んだシャルル・デュトワ。来月新日本フィルと共演する現代の巨匠だ。
また「三角帽子」の衣装と舞台美術を担当したのが、あのパプロ・ピカソである。時代の最先端、そして超一流の真打が揃い踏みしていたのがバレエ・リュスだったのだ。
「アトランティダ」・・・グラナダ、そしてアルゼンチンでの晩年
その後1921年にグラナダに移住する。「アンダルシアに憧れて」の歌詞にも登場した名前だ。ここでもまた日本の歌謡曲と不思議な符合を見せる。グラナダ時代のファリャの作品はスペイン帰国後ものとは様相が変わり、表面的な「スペインらしさ」はみられないものが多い。「新古典主義」というストラヴィンスキーなども作曲家人生の後半生において転換したスタイルだ。しかし内面的に「スペイン的なもの」は体内の血液のごとく確実に流れている。「温故知新」・・・「優れた能力がなければ、古いものを新しく感じない」と語った作曲家がいたそうだが、まさにファリャはそのようなことを感じる優れた能力があったのだろう。スペインを代表する文学作品である「ドン・キホーテ」の中に登場する人形劇の部分を音楽にした「ペドロ親方の人形芝居」や、スペインの古くからの宮廷音楽のスタイルに倣った「クラウザン協奏曲」など知的な作品が多いのは、グラナダ時代のファリャの交友関係が影響しているという。上流階級の知識人がファリャにそれらの曲を作曲する示唆を与えたのだ。「人付き合い」とはなんと大切なのだろうか・・・。
スペインという国は現在、国王がいる。ファリャが生きた時代は王政から共和政へ、そして独裁的指導者の登場と目まぐるしく変化していた。そのなかで内戦が勃発する。内戦中も内戦後も海外へ滞在する時期はあったもののスペインで過ごしていた。内戦後フランコ将軍が実権を握り軍事独裁政権が発足した。その際にファリャはフランコ政権からスペイン音楽を研究する機関の長に指名されたりしたのだが、ファリャは特に革命を支持しておらず、内心は気乗りするものではなかったのかもしれない。彼にはこの内戦が両勢力の「権力闘争」にしか見えなかったようである。彼は戦争を憎み、内戦の時期に書かれたファリャの手紙には必ず「平和」と文頭に記していたそうである。元々病弱であったのだが、この精神的な苦痛もファリャを傷つけていったことは想像に難くない。
そのようななか、アルゼンチンのブエノスアイレスにあった「スペイン文化協会」の招聘に応じ、ファリャは南米アルゼンチンへ渡る。アルゼンチンは元々スペインの植民地であったためスペイン語圏であり、多くのスペイン関係者がいた。その地がファリャの「終の住処」となった。
アルゼンチンでもファリャはいくつかの作品を作曲し発表もしたが、晩年のファリャが病苦と戦いながら作曲に執念を燃やしたのが、カタルーニャ語で書かれた歌詞による、大規模かつ長大なオラトリオ「アトランティダ」の作曲であった。元々グラナダ時代から作曲を始めたものであるが、病苦の中で少しずつ作曲された。その全曲をファリャは完成させることができなかった。死後、弟子がオーケストレーションや補筆をして上演されたのはファリャの死後、約30年後の1975年のことであった。ファリャはアルゼンチンで1946年に没している。70歳目前、音楽に愛され、音楽に捧げた生涯であった。フランコ政権の政治的意図や体面があったのだろう、ファリャの遺体は祖国へ戻され、故郷で国葬が営まれた。その意図やセレモニー性は別にして「国葬」が執り行われたことは、スペインにとってのファリャの業績と尊敬を窺わせる。ファリャは生前、フランコ政権からの帰国要請を拒否していたそうだ。ファリャの霊魂はこのことをどのように感じていただろうか。
平和な故郷・・・アンダルシアへの憧れをファリャは終生持っていたと僕は信じたい。人は恩讐を超えた先に「故郷に対する憧憬」を持っているはずだから・・・。
(文・岡田友弘)
♪♪♪演奏会情報♪♪♪
すみだクラシックへの扉 #07
【日時】
2022.05.13 FRI 14:00 開演
すみだトリフォニーホール
2022.05.14 SAT 14:00 開演
すみだトリフォニーホール
【指揮】井上道義
【和太鼓】林英哲
【オルガン】石丸由佳
【プログラム】
サン=サーンス:糸杉と月桂樹 op.156より、月桂樹
新実徳英:和太鼓とオルガンとオーケストラのための「風神・雷神」
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」より、第1組曲&第2組曲
ラヴェル:ボレロ
公演詳細、チケットは新日本フィルWebサイトをごらんください!