【歴史小説】第18話 九尾の狐③─鳥羽殿の魔物─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)
1
大型化け狐を見た次の日の夜。
清盛と義清はまた、土御門通り沿いにある泰親の屋敷を訪れた。
庭に生えているススキは月明りをうけて白く光り、秋風に吹かれる。その下をコオロギや鈴虫といった秋の虫たちが、鳴き声のコーラスを月夜の闇に響かせる。
安倍家の屋敷には人が誰もおらず、邸内は閑散としている。ただ、門が開いているので泰親がいることは確かだろう。
「しかし不思議だ」
「どうした、清盛?」
「この屋敷、人が誰もいないんだよな」
「そうだな」
泰親の屋敷には誰もいない。
彼ほどの貴族の屋敷ともなれば、常に使用人や警護の侍がいるものだが、泰親の家には、人の影すら見当たらない。
「でも、それはあの感じの悪い陰陽師に金がないだけじゃないか?」
「いや、服装を見てもわかるとは思うが、なかなかいいものを着てる」
「だからどうなんだよ」
「お客様ですか? ようこそおいでなさいました」
突然後ろから唐紅の童水干を着、目刺髪をした、こけしのような童子が現れた。手元には火のついた蝋燭がさしてある、持ち運び式の燭台を持っている。
「うわ、いきなりなんか出てきた! お前人間か⁉」
清盛は驚いて飛び上がる。
童子は首を横に振り、
「ようこそ、安倍家の屋敷へ」
案内を始めた。
「ほう、式神か」
義清は感心していると、童水干の童子はうなずく。
「何だよ、式神って?」
清盛は顔を青くして聞く。
「陰陽師が使役するアヤカシや精霊だ」
「へぇ」
「本殿でご主人様がお待ちです。ろうそくの蝋がもったいないので、早く行きましょう」
童子は早く御殿へ入るよううながす。
「そうだな、行くぞ、清盛」
「って、何でこんな得体の知れないものに屋敷の案内をされないといけないんだよ」
清盛は泣きそうな声で叫んだ。
2
「狐だったとはな。それで、件の狐はどこへ逃げていったんだ?」
泰親は狐の行方を聞いた後、箱膳の中の皿にあった煮干しに手をつけた。
「確か──」
清盛が答えようとしたときに、
「南の方だったな」
義清が答えた。
「ほうほう。となると、化け狐の棲み処は、もしかしたら巨椋池(おぐらいけ)かもしれないな」
「というより、なぜ巨椋池?」
「あの辺りは都の近郊でも、あまり開発は進んでいない。それゆえに、池を取り囲む森のどこかに狐の巣穴の一つや二つ、あってもおかしくはないだろう?」
「言われてみれば」
義清はうなずく。
巨椋池とは、木津川、桂川、瀬田川が交わる部分にできた大きな池のこと。平安京の風水においては、現在では干拓されてしまい、「巨椋」という地名しか残っていない。
「または、伏見の方か」
「あり得そうだ」
「君も気づいてはいるだろうが、あの辺りには、稲荷の総鎮守伏見稲荷がある。そこの眷属(けんぞく)の狐が関係していると考えても、おかしくはないだろう?」
「ふむふむ」
「あの……」
清盛は手を挙げる。
「どうした、清盛?」
「さっき、しれっと罰当たりなこと言ったと思うんだけど……」
「まだそうとは決まっていないから、いいではないか」
そう言って泰親は、箱膳の中にある小皿の中から煮干しをつまみ、口の中へ入れる。
「そうか」
泰親は煮干しをボリボリとかじりながら言う。
「まあ、都の郊外であることははっきりしたんだし、その辺りの村々を重点的に聞きまわればいいんじゃないか」
「わかった」
泰親は煮干しを食べ終えた後、忘れ物を思い出したかのように2人に聞く。
「尻尾の数は、何本だったか?」
「それなら覚えてる。確か、9本だったかな?」
清盛は答えた。
泰親は次に口の中へ入れようとした煮干しを畳みの上に落とし、
「これはマズいことになったぞ」
顔を真っ青にしてボソリとつぶやいた。
3
内裏。
「ふあぁあ」
宿直で詰めていた女官は、間抜けなあくびを一つして目を覚ました。
同じ部屋の女官たちは、すやすやと気持ちよさげにいびきをかきながら眠っている。
女官は体にかけていた着物から出て、厠へと行くため、部屋を出た。
「冷たっ」
冷たい秋の風で冷やされた廊下を、つま先歩きで渡る。
厠の前まで来たとき、
くちゃ、くちゃ、くちゃ……。
何かを食べている音が聞こえた。
女官は気になったので、音のする方を見てみる。
障子の向こう側には長い髪と瞳、頭に三角の耳がついた女がいた。
女官は今までに感じたことのない恐怖感を感じた。同時に体全体に寒気が走る。
全力で先ほどいた部屋に逃げようとする。
だが、大きな足音を立ててしまった。
──見つかっちゃう。どうしよう。
女官は今すぎにでも先ほどいた部屋へ逃げようとする。だが、見えない糸に縛られているかのように、体が動かない。どうして。
逃げようとしても逃げられないまま立っていると、戸が開いた。
狐耳の女がそっと出てくる。
髪と目の色は金で、口には鋭い牙、手足には血で濡れた長い爪が生えている。
女官はこの女の顔に見覚えがあった。だが、名前を聞こうとしても、口が開けないので、誰なのか聞くことすらできない。
狐耳の女は長い爪の生えた女官の体に触れ、
「次はお前の番だ。当面生かしておくからありがたいと思え。ただしこのことを言ったら、お前を喰ろうてやる」
耳元でささやいた。
狐耳の女は自分のいた部屋へと戻る。
戸を開けたときには、女官は気を失って倒れていた。
【前の話】
【次の話】