【歴史小説】第2話 二人の両親②─白河院─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)
1
桜が散りかけ、少し少し暑くなる3月16日。京都の南西にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で臨時祭が行われた。
臨時祭には白河院とその愛人 待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)をはじめ、鳥羽院(とばいん)と皇太后の得子(なりこ)、藤原摂関家の当主忠実と二人の子どもたち、院近臣の中でも、「富裕の近臣」として知られる藤原家成(ふじわらのいえなり)といった、壮々たる面子が顔を揃えていた。
儀式が終わりを迎えるころ。
舞人に選ばれていた清盛は、頭に烏帽子を被り、朱色の着物の上に白い狩衣を身にまとい、紺色の指貫(さしぬき)を履いた姿で、神楽殿へ上がる。
その姿は、武士の質素ななりではなく、完全に大和絵(やまとえ)に出てくる公達(きんだち)のそれであった。
笙(しょう)や笛を持った官人たちが、間の長い厳かな音を奏で、朱塗りの柱、青や緑に着色された彫刻、眩しいくらいに金箔が貼られた社殿の中に響き渡る。
清盛は音楽に合わせ、ゆっくり動きを取り始めた。
それに合わせるかのように、桜の花びらは爽やかな春風に乗り、花吹雪となって吹き付ける。
舞がクライマックスを迎えるころ。清盛は白河院の隣にいた、自分と同じ年ぐらいの、みづらに結った茶色い少年と目が合った。
(院の隣にいる少年。あのお方が確か、六つのころに即位した、新しい帝(みかど)だっけな?)
清盛は不思議に思いながらも、神楽を舞い続ける。
「平忠盛の長男清盛でしょう?」
葉室顕頼は小さな声で白河院に耳打ちする。
「いかにも」
「私が清盛を舞人に任じた理由、知りたいか?」
「あの少年が、院が忠盛に下賜した、祇園女御の妹の子、だからでしょう?」
「いかにも」
「それが、どうかなさいましたか?」
「後で忠盛と清盛を呼べ。話がある」
「わかりました」
秘密のやり取りを終えた白河院と顕頼は、再び舞の鑑賞に戻る。
2
儀式が終わった後、平忠盛と清盛は家貞らの供周りを連れ、石清水八幡宮を出ようとしたときに、
「平忠盛とその息子清盛。院が境内でお待ちだ」
使いにやってきた顕頼に声をかけられた。
「これは顕頼殿。今すぐそちらへ向かいます。行くぞ、清盛」
「はい」
親子は顕頼に案内され、白河院のいる場所へ向かう。
清盛親子は、白河院の御前にいた。
紫の法衣を着た白河院は、後ろに白い直衣を着、紺色の袴を履いている北面の武士数人を従えている。
清盛親子は一礼する。
「今日はき──」
白河院は、清盛に話がある旨を伝えようとした。
そのとき、清盛は一歩前に進み出て、
「院、聞きたいことがございます」
長い間疑問に思っていたことを聞いた。
「これ、清盛!」
忠盛は質問しようとした清盛の袖を強く引っ張り、制止する。
「何だ? 遠慮なく申せ」
どんと来い、と言わんばかりの態度で、白河院は清盛の話を聞こうとする。
「私の本当の父親は、院なのでしょうか?」
「おい、何を聞く!」
忠盛は怒鳴りつける。
「忠盛よ、しばし黙っていろ。今日はお前の息子に用があってきたのだ」
「これは失礼いたしました」
忠盛は頭を下げた。
白河院は清盛の方を向いて聞く。
「少年よ。今日はお前の出生について、話しに来たのだ。知りたくないか? お前の本当の親のことを?」
「はい」
「そうか。結論から言えば、私がお前の、本当の父親だ」
白河院は真顔で衝撃の真実を口にした。
「えっ」
まさか、噂話は本当だったとは。清盛は驚きを隠せなかった。今までずっと、実の親は、忠盛だと思っていたからだ。
「驚くのも無理はない。忠盛やその周りが黙っていたからな。そうだろう?」
忠盛はうなずく。
「はい。私に仕えている郎党たちや一門の者たちには、絶対に話すな、と強く言っていましたので」
「と、なりますと、おれは、院のお力添えで、従五位の位をもらったことに?」
清盛はいきなりもらった、高すぎる官位の謎についても聞いた。
「全然違う。これは、お前の親父の力だ。それゆえ、お前の親父に感謝するんだな。まあいい、本題に移ろう。あれは、12年前。夏の初めの夜だった」
白河院は語り始めた。
3
私が祇園女御(ぎおんのにょうご)の屋敷から自宅に帰るとき、私は忠盛と家貞、為義と一緒に屋敷を出た。
曲がり角を曲がろうとしたとき、笠を被った人物がこちらへ近づいてきた。
その人物は光っていて、右手には小槌のようなものを持っていた。
「オイ、みんな。あれが噂に聞く鬼じゃないよな? 光ってるし、右手に小槌をもってるし」
為義(ためよし)はブルブル震えながら、目の前にいるモノを見ていたな。今思い出しても、面白いことこの上ない。
「為義殿、源氏の武士が、鬼ごときで怯えるでない。しっかりせい」
家貞は為義の肩を叩く。
これは怪しいと思った私は、近くにいた忠盛に声をかけ、あの光っている物怪(もののけ)を殺せ、と命令した。
だが、忠盛は首を横に振って、
「院、冷静になってお考えください。もしかしたら、ただの人間かもしれません。殺したあとにそれがわかったら、どう責任をお取りになるつもりで」
私を諫めた。
しばらく黙り込んだ後、私は、
「好きにしろ」
裁量を丸投げした。
忠盛は前に進み出て、右手で光るモノの腕をつかみ、左手で首を押さえつけた。そのとき、
「痛い! お命だけはお助けを」
老人のしわがれた声が聞こえた。
声を聞き、命乞いをしている時点で鬼ではない、と判断したのだろう。忠盛は手を放した。
笠を被った光るモノは、こちらを振り向いた。その正体は、ボロボロになった墨染(すみぞめ)の法衣(ほうえ)を着た、70ほどの老僧だった。
「イテテ……そこの若いの、もう少し年寄りをいたわらんか!」
老僧は怒鳴り付けた。
「すいません……」
忠盛は頭を下げる。
申し訳なさそうに謝る忠盛に悪態を言って、その場を立ち去ろうとしていた老僧を引き留めた。
老僧はこちらを振いて、はい、と答える。
「お主、夜の京に明かりを灯す坊主だな」
そう私が聞くと、老人は、
「もしかして……い、院!」
私が法皇であることに気づき、慌てて平伏した。
ひれ伏す老僧に私は、
「お前のおかげで、夜の都の平和は保たれている。職務を怠慢することの無いよう」
と労いの言葉をかけた。
「お言葉、ありがとうございます!」
老僧はうれし涙を流し、頭の上より降ってくる私の言葉を聞いていた。
「時間がもったいない。行け!」
「はい!」
老人は大喜びで、行燈の明かりを灯しに行った。
「忠盛よ、そなたの冷静な判断で、私は殺戒(さつかい)を犯さずに済んだ。礼として、私の愛人祇園女御をやろう」
私は忠盛の前で頭を下げ、感謝の意を述べた。後になって、私は、出家者、いや、人としてやってはいけない過ちを犯そうとしていたことに、気づかされたからだ。
忠盛は謙遜する。
「そんな、恐れ多いことを」
「ただし、条件がある」
「条件とは?」
「祇園女御は私の子供を宿している。生まれてくる子供が女であったなら、私に返してもらいたい。男であったなら、お前にくれてやる。その代わり、立派な武者に育てよ」
「承知いたしました」
私は約束通り、祇園女御を忠盛に与えた。だが、婚礼の前に流産してしまった。
これでは恩賞の意味がないと思った私は、同じく私の皇子(みこ)を孕(はら)んでいた、祇園女御の妹を忠盛にくれてやったのだ。そして、清盛、お前が産まれた。だが、お前の本当の母親は、亡くなってしまった。お前を産んだと同時にな。
4
「そうだったのですね」
清盛は納得した表情でうなずく。
「そうだ。時々、お前の伯母にでも会いに行くとよい。流れた子と妹の菩提を弔うため、嵯峨野に隠棲しておる」
「行ってますよ」
「それはよかった。元気か、祇園女御は?」
「おばさんは元気にしてます。嵯峨野で枯れ果てているとは思えないくらいに」
「よかった。私は老いているうえ、近ごろは体調も悪い。次に会うときは、棺桶の中かもしれない。縁があったときに会っておかないと、もう二度会えないし、伝えたいことも、伝えられない。だから、お前を呼んだのだ」
「なるほど。お大事になさってください」
「立派な武者になるのだぞ、我が息子よ」
白河院は笑顔で右手を差し出した。
「はい」
それに応ずる形で清盛は手を差し出し、堅い握手を交わした。
そしてこの年の夏、白河院は77歳で崩御した。
空になった「治天の君」という名の玉座に座ったのは、白河院の孫にあたる鳥羽院。新たな世の中が始まる。
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