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【歴史小説】第23話 西行③─あとしまつ─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 後日、佐藤家に義清宛の文が届いた。

 送り主は、帝であった。

(帝が下賎の身の自分に、わざわざ文をお書きになられるとは……)

 突然送られてきた文に、義清は不審に思った。

 開いて、中を見てみる。文には、従兄弟憲康の死を悼む書き出しと、いつも一人寂しくしている母璋子の話し相手になってくれていることへの感謝が記されていた。同時に、あらぬ誤解を立てられるといけないので、近づくのは時々にしてほしい、ということも書かれていた。

「その方が、いいよな……」

 義清は自身が身分不相応なことをしていたことに気づかされた。

 和歌の会に出ていたとき、璋子だけが寂しそうにしていた。義清は、そんな彼女に元気になってほしいと考え、たまに話し相手になってあげたりしていた。

 彼女と言葉を交わしていくうちに、身分不相応な思いを抱くようになった。会う頻度も増えていった。

 思い返してみれば、確かにこれは、皇太后と一介の武士との、道ならぬ恋である。客観視してみると、そう受け取るのは必定。いろんな意味で許されることではない。

「困った……」

 弱っているところへまた面倒なことが来て、義清は頭を抱えることしかできなかった。


   2


 憲康が亡くなって1週間が経とうとしていたころ。

 義清の夢の中に、憲康が出てきた。

「約束を守れなくてごめんな」

 憲康は残念そうな表情で言った。

「何で先に逝ってしまったんだよ、一緒に出家するんじゃなかったのか」

 義清は恨み言を言ってみた。

 目の前にある憲康は悔しそうな表情で、義清の恨みごとに答える。

「残酷なことに、生きる者が死ぬのは、命を持って生まれた者の宿命なんだよ。それが、遅いか早いかの違いであって」

「でも、やっぱり辛い。大切な誰かが、突然目の前からいなくなるのは」

 義清はこぼれ落ちる涙の雫を、直垂の袖で拭う。

 憲康は義清の手を握り、

「うん。おれだってそうだ。いきなり逝くとは思ってなかったし。でも、生きているお前なら、選べるじゃないか。出家するのも、そのまま武士として生きるのも。だから、出家してくれよ。そして、おれの分までがんばってくれ」

 そう言い残し、雲の切れ間から差し込む光へと向かい、飛んでいった。


「行くな、憲康……」

 義清はそう叫びながら、目を覚ました。

 手には誰かに触られた感触と温もりが残っている。

 頬の辺りが湿っぽく感じた。触ってみると、温い涙の感触が伝わってくるのがわかった。

「憲康、もう彼岸(あのよ)へ旅立ったか。俺は決めた。出家すると。だが、その前に後始末をしなければいけなそうだ」

 義清は着物を畳み、枕元に置いていた紺色の直垂に着替えた。


   3


 京都伏見。鳥羽殿。

 この日鳥羽院は、徳大寺実能や藤原家成といった院近臣、関白藤原忠通を招いて、桜をめでる宴を行っていた。

 母屋の前に咲く桜は満開に咲き誇り、花びらを散らし、地面を積もった白雪のように染め上げている。

「桜という花は、いつ見ても趣のある花でございますな」

 忠通は空になった鳥羽院の盃に酒を注いだ。

「そうじゃな。いつ見ても美しい花であること。この花を見ていると、この前出家した、璋子を思い出す」

「おや? 桜に思い入れがあるのでございましょうか?」

 鳥羽院は先ほど忠通が入れた酒を飲んだ後、

「余がまだ帝であって、璋子が皇后であったときに、一緒に吉野へ桜を見に行ったことがある」

 と答えた。

「そうですか。楽しかったでしょう?」

 実能が聞くと、鳥羽院は首を振って、

「全然」

 と答えた。

「そんなわけありませんよ、院のお顔は今真っ赤です。もしや、璋子のことが、本当は好きであらせられるのでは?」

「そ、そんな。よ、余はただ酔っているだけじゃ」

 鳥羽院は全力で否定する。

「院、殿!」

 酒盛りをしているとき、鳥羽院と実能を呼ぶ声がした。

 二人は声のした方向を見る。

 そこには紺の直垂を着た義清が、顔を真っ赤にし、息を切らしながら立っていた。

「おぉ、義清。そなたも宴に参加せぬか?」

 鳥羽院は上機嫌そうに徳利を持ち、宴に誘った。

「院から直々に誘われることなど、滅多にありませんよ」

 実能は上がってくるようにうながす。

 だが義清は御殿へは上がらずに、

「長い間、お世話になりました」

 深々と頭を下げた。

「突然どうしたのだ?」

 鳥羽院は不思議そうな顔で、義清に聞いた。

「私佐藤義清は、出家をすることにしました」

「正気か」

 義清はうなずいて、

「正気です」

 と答えた。誰が言おうが、出家の意思は絶対に曲げる気はない。

「もう一度考え直してみてはどうだ?」

「もう決めたのです。院が何と言おうが、私は出家します」

 義清はそう言い終えたあと、治天の君と貴人三人の前を去ろうとする。

 鳥羽院は千鳥足で義清の元へ走り、

「そんな……。待ってくれ」

 引き留めようとした。

 未練がましく義清を追いかけようとする鳥羽院を見かねた実能は、鳥羽院の手を取り、

「止めてはなりませぬ。院」

 制止した。

「義清、行きなさい。大切な人のところへ」

「ありがとうございます」

 そう言って義清は駆け出した。璋子の元へと向かうために。


   4


 ──あれ、ここはどこだろう?

 璋子は目を覚ました。辺りを見回すと、満開の桜木が大量に咲き誇る山の中だった。

「なつかしい」

 璋子はこの光景に見覚えがあった。まだ皇后であったとき、鳥羽院と一緒に訪れた吉野の山だった。

 花びらで白く染まった中を、璋子はゆっくりと歩いてゆく。

 目の前から、若草色の直垂を着た青年が近寄ってきた。

「お迎えに上がりました。一緒に桜を見ませんか?」

 義清は優しく手を差し出した。

「えぇ」

 璋子は義清の手をつかんだ。

 山桜の咲き乱れる山道を、義清と璋子は手をつなぎながら、いつものように他愛もない話をしながら、花見を楽しむ。

 気がつけば日は西へと傾き、空と白い花々を茜色に染め上げていた。

 義清は急に立ち止まり、

「もう行かなければいけません」

 とどこか悲しげな声で答えた。

「そうですね。もうこんな時間」

 璋子は夕焼け空を見た後、義清の顔を見たとき、あっ、と声を漏らした。

 先ほどまで若草色の直垂を着た武士の姿をしていた義清は、墨染の衣を着、首には袈裟と数珠をかけ、右手に錫杖を持った僧侶の姿へと変わっていた。髪もしっかり剃ってある。

「私はこれから、あまたの衆生を救うための、長い旅に出なければいけません。では、さようなら」

 義清は璋子を置いて一人、歩き出した。

 錫杖が鳴らす鐘の音が、義清の一歩と共鳴するかのように儚げな音を鳴らす。

「行かないでください!」

 璋子は追いかけようとした。だが、巻き起こった突風と花吹雪に阻まれ、立ち止まってしまう。


「行かないで!」

 経机の上で居眠りをしていた璋子は、そう叫んで目を覚ました。

 起きると同時に、今までに感じたことのない胸騒ぎがした。足元もそわそわする。

 じっとしていられなくなった璋子は、外へ出た。

 池の前に咲く満開のしだれ桜はいつもと変わることなく、春風に揺られる水面に花びらを一枚、二枚と散らしてゆく。

「夢のように、突然義清がいなくなったりしませんよね……」

 璋子は、目を覚ました時に感じた、得体の知れない不安と胸騒ぎに戸惑っていた。

「そうだったとしたら、どうしますか?」

 池の対岸に、義清の姿があった。

「義清!」

 草履も履かないまま階段(きざはし)を降りた璋子は、池の中にある真ん中の島、そして義清のいる対岸とを結ぶ橋を走って渡った。

 義清は今にも対岸へと駆け出してきそうな勢いで飛び出してきた璋子を、優しく抱きしめる。

「待賢門院さまには、伝えなければいけないことが、2つあります」

「伝えたいこと、とは?」

 璋子は首をかしげる。

「一つ目は、私は貴方のことが好きです」

「私も好きです。ですが、私は人妻で、前は国母の身。そして今は、見ての通り、都の外れで尼をやっています。それでもあなたを好きでいることは、罪を作ってしまうこと。ですから、心の中では貴方のことが好きでいても、義清とは結ばれることはできません」

 璋子は茶色く澄んだ大きな瞳に、涙を浮かべながら言った。

「わかっている」

 義清は強く抱きしめ、低く、小さな声で、

「そして二つ目は、佐藤義清という一人の男が、この世から消えてしまうことです」

 とささやき、璋子を引き離した。

「それは嫌です。これが禁断の愛であることがわかっていても」

「人間には、その人とはもう二度と会えなくなる別れがあります。今がそのときなのです」

 義清はそう言い捨て、号泣する璋子の前を去る。


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