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【歴史小説】第19話 九尾の狐④─作戦─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)


   1


 義清は伏見稲荷で聞き取り調査を行っていた。

 伏見稲荷の神官は束帯姿で、朱色に塗られ、ところどころに金箔が貼られた華麗荘厳な社の前で、ほうきを片手に掃除をしていた。

「あの」

 義清は掃除をしていた神官に声をかけた。

「おや、どうしましたか?」

 ほうきの手を止めた神官は穏やかな声で尋ねる。

「この辺で、狐にまつわる不思議なことはありませんでしたか? あ、大きな狐の巣穴もあったら教えてください」

 突然の質問に神主は困った表情を見せたあと、

「不思議なこと。そんなことはありませんでしたね」

 と答えた。

「では、狐火を見た、あるいは人肉の肉片が敷地内から見つかったといったことはありましたか?」

「うちの狐は神様の使いだから、人に危害を加えるようなことはしないと思うのですが」

「そうですか」

 言われてみればそうだ。神様の眷属ならば、多少のいたずらはしても、人を喰うような真似はしない。

「変なことを聞いて、すいません」

 義清は駆け足で伏見稲荷の境内を出て、次の目的地へと向かった。

 神主はきょとんとした表情で、義清を見送る。


 巨椋池の周辺の村。

 集落の前には秋晴れの空と大きな池が広がっていて、湖の真ん中では漁師たちが網を投げ、大量の鯉やフナが入った網を引いている。

 ここでも義清は、伏見稲荷で神官にした同様の質問を、船を浮かべ、漁に出かけようとしていた地元の漁師にしてみた。

「不思議なこと? そんなことないな」

 日に焼けて真っ赤になっていた漁師のオジサンは、とぼけた顔で答えた。

「では、狐火を見たとかは?」

「ないな。そんなことわざわざ田舎もんのおれに聞いてくるなんて、若いお侍さんも暇だね。それに比べておれは忙しいから、はよ往ね」

 漁師のオジサンは邪険な表情をしながら、手を払う。

「すいませんでした」

 義清は急いで馬を停めてある場所へと向かった。馬を出して、泰親の屋敷へと向かう。


   2


 鳥羽殿の寝殿。

 ここでは、風邪をこじらせた鳥羽院が療養をしていた。

 侍女たちはうちわでひたすら扇ぐ。

「ひぃ、ひぃ、ひぃ」

 見る限り、息をするのでもやっとだ。肺炎にでもなったのだろうか。

「院!」

 通憲が慌てた様子で駆けつける。

「おぉ、通憲か」

「はい。院の容態が芳しくないと聞いて、駆けつけてきた所存」

「大儀であったな。それで、余が亡くなった後のことであるが……」

 鳥羽院は息を切らしながら、自分の死後のについて語ろうとしたとき、

「院、なりませぬ」

 頼長が口を挟んできた。

「余はそうしたいのだ。決して、顕仁(あきひと)(崇徳帝)には皇統を、治天の君としての地位を、継がせたくはない」

「そんなわがままを申されましても。帝は和歌に優れたお方です。年下の四宮に皇位を継承させ、政を任せるのは、長幼の序に反します。それに四宮は、今様狂いのボンクラ。決して皇位を継がせようと考えてはなりませぬ」

「頼長よ、あいつが何なのか、知っておろう?」

「何なのか? 論点をずらすのもいい加減になさいませ」

「あいつは、忠盛の息子と同じ、亡きそ──」

 鳥羽院は崇徳帝の秘密を話そうとしたとき、激しくせき込む。

「院!」

 通憲と頼長、控えていた侍女たちは声を合わせて叫んだ。

「なぜ、顕仁をここまでいじめようとするのですか? おかげで璋子の居場所が、なくなってしまったじゃない」

 近くにいた藤原得子(ふじわらのなりこ)は、息が荒くなっっている鳥羽院にきつい口調で問いかける。

「あの尻軽女のことだ。私には関係ないではないか」

「でも、貴方が好いた女の人でしょう? 最後まで責任を持って愛してあげるのが道理というものでしょうに」

「私は自分の意思であの女を愛していたのではない。白河院に……」

 押しつけられたから、無理に愛していたのだと言おうとしたときに、激しいせき込みが鳥羽院を襲う。

「院!」

 三人は同時に叫ぶ。

「頼長と得子のせいで、さらに息苦しくなったではないか。帰れ」

 鳥羽院は辛そうな声と表情で、見舞いに来た二人と得子を一喝した。


   3


 清盛は鳥羽殿を出て泰親の屋敷へと向かおうとしていたとき、通憲とばったり会った。

「おー、清盛ではないか、久しぶりじゃ。宋国の言葉の練習ははかどっておるか?」

「はい。なんとか。でも、最近は時間が取れなくて」

「ほうほう。もしかして、陰陽頭さまと物怪のことについて調べていることか?」

「そうそう」

 清盛はうなずく。

「最近院が病気がちになられたことは、私も不思議に思っていたのだ。最初は季節の変わり目に体調を崩してしまわれたかと思っていた。だが、いつも健康に気を遣っていらっしゃる院にしては、おかしいと思っていたんだ。それで、〈院がいつ病気がちになったのか?〉ということを考えてみると、どうも、〈玉藻〉という女官を手元に置くようになってからだと感じがするのだよ」

「玉藻……あ、あの女か!」

 清盛は「玉藻」という名前を聞いて、ピンときた。最近家貞が懸想していたあの女官だ。垣間見に付き合わされたとき、一度その姿を見たことがある。

「玉藻って確か、小さくて、赤みがかった髪の女であろう?」

「左様」

「それがどうしたんだ?」

 清盛は聞いた。

 通憲は持っていた檜扇を開いてそれを口元に当て、小さな声で答える。

「実はあの女官が実は物怪ではないかという話を先ほど耳にしたのだ」

「詳しく聞かせてもらえないか?」

「まあ、こういうことだ」

 通憲は語り始めた。


 ──私は先ほどまで、院のお見舞いに参っていた。途中寝殿へと向かおうとしていたときに、20ほどの女房たちがこのような噂をしていたのだ。

「この前、入りたての女官が、狐耳の物怪を見たらしいわよ」

「へぇ、どんな感じだったの?」

 女房の一人は聞く。

「その女官の話だと、玉藻ちゃんそっくりだったらしいよ」

「そんな、あの玉藻ちゃんが? いい子なのにね」

「そうよ。いくら玉藻ちゃんが憎いからって言って、嘘を流すのはどうかと思いますよ」

「ねぇ」

 そうして、井戸端会議をしていた女官たちは、再び仕事へと戻っていった。


「なるほど。あのいけ好かない陰陽師、あ、いや、陰陽頭に伝えておこう」

 清盛は廊下を駆ける。

「気をつけてな」

 急いで土御門にある泰親の屋敷へ向かい急ぐ清盛を、通憲は見送った。


   4


 夕方。清盛と義清はまた、土御門の泰親邸に集まっていた。

「疲れた」

 義清はひどくだるそうな表情を浮かべながら、柱に寄りかかっている。

「その様子では、巨椋池や伏見には手がかりはなかったようだな」

「その通りだ。みんな口を揃えて、〈知らない〉と答えたからな」

 義清はそう答え、柱に寄りかかりながら、座りこむ。

「そうか。となると、宇治の方という可能性も出てくるな。とにかく」

 活動範囲を広げた方が良さそうだ、と泰親が言おうとしたとき、清盛は、

「実は院近臣高階通憲さまから、このようなお話を聞きました」

 通憲から聞いた噂話を話した。

「清盛、それは本当か⁉」

 泰親は化け狐の正体について、大きな声で聞く。

「まだ本当かどうかはわからないけど」

「どうやら予想が外れたようだ。まさか、鳥羽殿の女官のうちの誰かだったとは。でも、まだ彼女が犯人と断定するのは難しい。そこで、私に作戦がある」

 二人は目を大きくして、作戦の内容を聞く。

「作戦とは?」

 泰親はにやりと笑い、作戦の大まかな概要を伝える。


   5


 8月15日。宮中では月見の行事が行われようとしていた。

 鳥羽院は重度の肺炎のため欠席。代理として崇徳帝が招かれた。

「今日はいい月夜だ。金色に光る丸い月を肴にして、皆々宴を楽しもうではないか」

「そうですな」

「明かりをつけていては、星月が本来持つ魅力を感じにくい。召使いたちよ、明かりを消してくれないか?」

「わかりました」

 崇徳帝の命令どおり、召使いたちは、燭台についていた明かりを消した。

(良かった。式神を使わずに済んだ)

 泰親は懐から赤色で点や線、墨で「急急如律令」と書かれた札を取り出そうとしたが、幸い崇徳帝の召使いたちが消してくれるというので、式神を出す必要はなくなった。

 真っ黒な漆器の上にまぶした金粉や銀粉のようにところどころできらめく星、大きな金貨のように大きく輝く月。この二つが放つ優しい光は、灯火を消して真っ暗になった屋敷の中を優しく照らす。

「今年の中秋の名月もきれいだね。そうだ義清、何か一首詠んでくれないか?」

 酒が回って気分が高揚していたのだろう。紳士のように穏やかな風貌をした義清の主君 徳大寺実能(とくだいじさねよし)は、義清に歌を詠むよう促す。

 義清は一瞬、えぇ、と言いたげな顔をしたが、引き受ける。

「いいですよ」

「じゃあ、頼むよ」

 義清は顎に手を当て、考えた後、一首詠みあげる。

嘆けとて月やはものを思わするかこち顔なるわが涙かな

 詠み終わった後、喝さいが巻き起こった。

「さすがだね」

 実能はにこりと微笑みかける。星月の薄暗い光のためか、白く面長で上品な顔かたちが神秘的に見える。

「いや、それほどでも」

 義清は照れ臭そうに言った。

 御殿の中が喝さいに包まれる中、玉藻の近くに座っていた貴族は、

「ひ、光ってる!」

 大きな声で叫んで飛び上がった。

 義清への喝さいが一転、ざわめきへと変わる。

「一体何があったんだ?」

 清盛と義清は、貴族たちの視線が一点に集う場所へ目を向ける。

 視線の先には、体全体が金色に光る玉藻の姿があった。

 光る玉藻の姿は神々しくもありかつ、不気味に見える。

 神仏の化身と捉えて、ありがたや、と拝むものや、物の怪が化けた姿と見て怯えるものまで、反応は三者三様だ。

「清盛、噂話は事実であったようだな」

「あぁ」

「でも、戦おうにも武器がない」

「困ったものだ」

「ここで戦うのは避けたい。別の場所で戦おうか」

 泰親は懐から鏡を取り出し、呪を唱える。

 すると、泰親が持っていた鏡から閃光が出て、御所一帯を包み込む。


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