【歴史小説】第45話 御代変わり②─冤罪─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
近衛帝の葬儀と、後白河帝即位の儀礼が一通り終わった後、鳥羽院の近臣たちの中で、
「先帝は関白殿下に毒殺された」
という噂が流れ始めた。
出どころは、あの検非違使ということもあり、半信半疑だ。そのため、噂に手ひれ尾ひれがついて、
「関白殿下が御典医を買収して先帝を毒殺した」
「関白殿下が先帝を毒殺したのは、新帝を即位させるためだ」
という、あり得なそうであり得る噂が、都中で流れていたのだ。
朝の六波羅平家屋敷。
かつて忠盛が座っていた場所には清盛が座り、その下に、時子、重盛、経盛、教盛、基盛、宗盛、知盛、重衡といった順に、お膳が並べられている。
ちなみに池禅尼は、同じ六波羅にある別の屋敷で、息子の頼盛と同居している。
食べている途中、経盛は、近衛帝は本当に毒殺されたのか? という話題を出してきた。
「うーん。前にここに来たときは、そんなことをする人に見えませんでしたけどね」
「俺もそう思うな」
清盛はうなずいて、
「むしろ、あの陰気臭い弟の方が、そういうことしそうなんだよな」
と答えた。
「あの左府殿が? いやいや、いくら父上が左府殿のことが嫌いだからって、それは無いだろうと思いますよ」
そう言って、重盛はため息を一つつく。
「そうですよ、貴方」
時子は重盛の論調に同調した。
「みんなで寄ってたかって俺のこといじめてよ」
清盛は大きなため息を一つついた。
「みんな元気なようだな」
時忠がやってきた。
「おはよう、時忠! また時子の様子でも見に来たか?」
「そうに決まってるじゃないか」
「やめてよ、もう」
こっちへ来るな、と言わんばかりの表情で、時子は兄をにらみつける。
「そんなことより、清盛の兄貴が言ってることは、間違いじゃねぇ」
「兄上まで、人の好き嫌いで判断するような人間だったのですね。正直、見損ないました」
大きなため息をつく時子。
「この前御所に行ってきたとき、おもしろい話を聞いてきたんだ」
「どんな話か?」
清盛は訊く。
「実は、この前の事件の真犯人は、崇徳院を支持している誰かかもしれない、という話だ」
「なんでそんなこと」
「俺だって、これでも一応堂上家の貴族なんだぜ兄貴。信用してくれよ」
「大した仕事もしてないくせに」
時子は兄にツッコミを入れた。
彼女の指摘通り、時忠はろくに仕事もしていない。内裏に来ても、居眠りをしている。その態度が問題視されたことで、父から大目玉を喰らったこともあるくらいだ。
「そんな。ひどいよ」
今にも泣きだしそうな声で、時忠は言った。
「それで、その崇徳院を支持している誰かで、一番怪しいのは誰なんだ?」
清盛は訊いた。
「あぁ、そうだった。取り乱して失礼」
大きな咳ばらいをして、時忠は続ける。
「実はその犯人、左府殿らしい」
「だろうと思った」
清盛は真顔で答えた。
「でも、証拠がないと、時子と重盛が信じてくれなそうだから──」
時忠は清盛の耳の近くで、
「これから摂関家へ忍び込もう」
とささやいた。
「面白そうじゃないか!」
「というわけで、お昼に出発な!」
元気よく時忠が言ったところで、時子は、
「あほらし」
とつぶやいて、従者に空になったお膳を渡して、部屋を出た。
2
時忠と清盛は、従者に身をやつし、頼長の住んでいる東三条殿へと潜入した。
寝殿の前には大きな池が広がっていて、その真ん中にある島と島の間には、橋が架かっている。池の向こう側に建っているのは、大きな御殿。かの有名な藤原道長の父兼家以来、藤原氏当主の邸宅として引き継がれただけの威容はある。
「しっかし、摂関家のやつら、でっけー屋敷に住んでんだな」
贅を尽くした大きな邸宅を見た時忠は、感嘆の声を漏らした。
「そりゃあ、皇族以外で摂政や関白になれる家柄だからな」
清盛の言ったとおり、皇族以外で摂政や関白の位に就けるのは、藤原摂関家しかいない。
「へぇー。どうりでデカいと思ったら、そういうことだったのか」
「それよりも、様子を見ようぜ」
鼠色の水干を着、揉み烏帽子を被った清盛と時忠は、仕事をしているふりをしながら、屋敷の中へと入り、頼長を探す。
だが、頼長の姿はどこにも見つからない。
「おかしいな、左府殿の姿を見ない」
時忠は小さな声で言った。
「もしかして、出かけてるのか?」
「いや、さっき入ったときには牛車はあった」
「なるほど」
「となると、可能性は二つ。一つは、俺たちがすれ違っても気づいていない。もう一つは──」
時忠がもう一つの仮説を言おうとしたときに、
「おや、お前ら見かけない顔だな」
藍色の鎧直垂を着、弓を持った背の高い屈強そうな青年武者に、声をかけられた。
「まあ、俺たちは最近雇われたばかりの従者なんですよ」
「そ、そうそう。だから、特に怪しいものではないですよ」
脂汗を流しながら、青年武者の尋問に答える清盛と時忠。
「先ほどから見ていたがお前たちは、きょろきょろと屋敷の周りを見ているな」
「いやぁ、あまりにも藤原邸が立派なものでしたから、見とれていたのですよ。さすが天下の摂関家」
傍から見ても下手くそだとわかる演技で、時忠は言い訳をする。
「そ、そうですよ」
「気に入ってもらえてよかった」
青年武者は爽やかな笑みを浮かべた。浅黒い肌の色ということもあってか、笑ったときに出る真っ白な歯が、より一層爽やかさを醸し出している。
「それにしても、立派なお侍さんだこと。もしかして、源氏のお人でございましょうか?」
時忠は、青年がどこの武者なのかを聞こうとしたときに、
「おい、白河院の御落胤、こんなところで何をしている?」
鎧を着た、小物臭溢れる面構えの中年男性に声をかけられた。為義だ。
「父上、この男が本当にあの、白河院の御落胤なのでしょうでしょうか?」
先ほどの威圧的な感じとはうって変わり、青年武者は為義に小さな態度で聞いた。
「八郎、お前の目は節穴か。間者が大きな声で、俺が間者です、と名乗るかボケ」
為義は八郎という青年武者の頭を思いっきり叩き、
「曲者だ! 出遭え!」
と大きな声で叫んだ。
四方八方からゾロゾロと現れ、従者に変装する清盛と時忠の周りを取り囲む、摂関家の侍たち。
(しまった、気づいてなかった)
不覚を取られた。検非違使の職に就いている為義が、犯罪者を匿ったとかで辞めさせられたのは聞いている。だが、また摂関家に仕えていることは知らなかった。それも、親子で。
「逃げるぞ」
「おう」
清盛と時忠は、築地を越えて逃げようとした。
「逃がさん」
青年武者は矢筒から矢を取り出し、弦を引いた。
弓は、逃げようとしていた清盛と時忠の袖に命中。そのまま摂関家の侍に捕まってしまい、屋敷の中にある座敷牢に監禁された。
3
鳥羽殿。
近衛殿にいた忠通は、近衛帝毒殺疑惑のため、鳥羽院に呼び出されていた。
この日、肝心な鳥羽院が体調不良で臥せっているため、後白河帝が代わりに聞くことになった。
「久しいのう、忠通よ」
「ご無沙汰しておりました、帝」
赤い着物の上に黒の直衣を着た忠通は、平伏した。
「巷では、そなたが先帝を殺したことになっているようだが、どうなのだ?」
先帝の死とは何ぞや、と言いたげな顔で、後白河帝は聞いた。
「私は帝の最期は看取りましたが、毒を盛る、といったことは、一切しておりません」
「ほう。では、御典医の方はどうなのだ? 巷では、そなたが御典医を買収し、私を即位させるために、体仁を殺したという噂が流れている」
「御典医を買収した覚えは、私には一切ありません」
「ほうほう」
後白河帝は、いつもの、人の話を聞いているのか聞いてないのかわからない態度で、忠通の話を聞いている。
「それに、帝のご即位は、信西が言い出したこと。私には一切関係はありません」
「そうであったか。では、そう言い切れる証拠はあるか?」
「証拠か……」
ない。子どものころから見続けてきた忠通は、近衛帝が病弱なのはよく知っている。そのため、近衛帝崩御に関しては、病気をこじらせ、それが後戻りできないところまで悪化しただけとしか見ていない。加えて、近衛帝のことを、自分の息子のように可愛がっていたので、殺せるわけがない。
「ないか。では──」
にこりと微笑んだ後白河帝は、手を二回ほど叩いた。
滝口の武者4、5人ほどがやってきて、忠通の手足を拘束しする。
「な、なにをする!」
「そなたには、牢にいてもらう。しばらくしたら出すゆえ、大人しくしていてほしい」
「どうして私を牢に!」
忠通は叫ぶ。
「後になったらわかる」
後白河院はそう言い残し、忠通の前を去った。
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