【歴史小説】第34話 摂関家の争い①─襲われた東三条殿─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
高野山から六波羅の自宅に帰ってきた次の日。
清盛は久しぶりに鳥羽殿へと出仕した。
「おぉ、清盛ではないか、久しぶりだな!」
信西はうれしそうに近寄り、清盛の手を握る。
「お久しぶりです、信西殿」
清盛は軽く会釈をした。
「それで、しばらく院に来ていなかったのは、やっぱり謹慎を喰らったからなのか?」
「それもあるし、長い間落ち込んでいたのもあります」
「そうか。じゃあ、今日から頑張って行こうな」
「はい」
元気を再び取り戻し、いつもの調子に戻った清盛は、武者所へと向かう。
2
時は経ち、2年後の久安6(1150)年9月。平家の六波羅邸に、清盛宛ての一通の手紙が届いた。
「どれどれ……」
使者が持ってきた手紙を清盛は受け取り、読んでみる。
送り主は関白藤原忠通。内容は、26日に東三条にある自邸に来てほしいというもの。
「なるほどな。でも、どうして一人の武士である俺のことを?」
忠通が自邸に来るようにといった旨の手紙をよこしてきたのか考えてみる。
清盛にとっては、行事などで顔を見たことがあるぐらいの認識しかない。
そこへ、後妻の平時子(たいらのときこ)がやってきて、
「誰からの手紙を読んでいたのですか?」
と聞いてきた。
清盛は持っていた手紙を時子に渡して、
「関白殿下から手紙が届いたんだ。26日に東三条の自宅に来いってな」
「そうですか。でも、なんで関白殿下から?」
「だろう? 俺もさっぱり──」
わからないんだ、と言おうとしたところで、
「おう、清盛、そして愛しの我が妹は元気なようだな」
青い狩衣と指貫を着た、子犬のような無邪気な顔に八重歯が特徴的な小男が清盛夫婦の話題に入ってきた。
この可愛らしい男の名を平時忠(たいらのときただ)という。
時忠は貴族として都に残った桓武平氏の系統の出で、平家とは同じ先祖を持つ。その縁故を頼り、平家の栄光にすがろうと考えた父の時信と時忠は、妻章子を亡くした清盛に姉時子を後妻として嫁がせた。
だが、妹がいなくなってからもの寂しく感じているのか、10日に一度、六波羅の平家屋敷を訪ねている。
「兄上、来なくていいって言ってるのに」
時子は嫌そうな顔をして、手を払った。
「いや、実家に残された兄からしてみれば、妹がいなくなるのはとても悲しいことなんすよ。わかります? このヒト、一緒にいるとおもしろいけど、抜けたとこあるし」
「まあ確かに、この人はどこか間の抜けたところはあるけど、そこまで悪い人ではないのはわかるわ。ともかく時忠、気持ち悪いから帰って」
「俺は単に姉上が心配だから来たのに──」
時忠は頬を膨らませ、時子をにらみつける。
「まあまあ、そう言わず」
清盛は毒づく時子を諫める。
「それで兄貴、この書状は関白殿下から届いたものだそうじゃないの。こっそり聞いてたよ。名誉なことじゃないの」
時忠は清盛の右肩を軽く叩く。
「でも、俺は関白殿下とは面識はあっても、直に話したことはないぞ」
「ほうほう。でも話によりますと」
時忠は清盛の耳元に近づき、囁く。
「関白殿下は兄貴のことがとても気になってるらしいですよ」
「そうか」
「まあ、行ってみるしかないな」
2
9月26日。清盛は忠通の住む東三条殿へ来た。
舎人から釣殿に案内された。
釣殿には、黒い狩衣を着た初老の紳士が座りながら待っていた。
この初老の紳士こそが、時の関白藤原忠通だ。
「君が、清盛かな?」
忠通は聞いた。
「はい」
「そうか。よく来てくれた。さあ、上がりなさい」
忠通は嬉しそうな顔で手招きをする。
お茶を飲んでいるとき忠通は、
「若いころ、私は君と会ったことがあるんだ。覚えているかな?」
意味深そうな顔で聞いてきた。
「会ったことがある?」
面識程度しかないのに、会ったことある、なんて聞くなんて不思議な人だな、と清盛は思った。
「ほら、君が私の弟に絡まれたのを助けたときに!」
(弟に絡まれたのを助けたときに?)
清盛は記憶を遡ってみる。
12歳のときに行われた春の除目のあと頼長に絡まれ、何も言い返せなくなったことがあった。そのとき、前の牛車に乗っていた青年に助けられたことがあった。まさかだが、助けてくれたのが関白殿下だったりして。
そう思った清盛は、
「もしかして、あのとき、頼長に因縁をつけられたときに助けてくれた」
と聞いた。
忠通は首を縦に振って答える。
「そうだよ」
「あのときは、助けてくれて、ありがとうございます」
清盛は頭を下げた。
「いやいや。お礼なんてしなくてもいいよ。正直私も最近になって思い出したことだからね」
「せめてお気持ちだけでも」
「迷惑をかけられたのは、こっちの方だよ。弟の頼長があんな性格だから」
「なるほど」
「頼長は頭がいいのだけど、頑固で正義感が強すぎる。去年帝の元服で恩赦になった罪人が殺された事件があっただろう。その下手人を放ったのはあの子だ。恩赦が決まったのだから、それでいいのに」
忠通は深刻そうな顔で頼長のしでかした問題を語り、大きなため息を一つついた。
「困った人だ」
「でしょう。過激な政治ばかりをしているから、つけられたあだ名は悪左府。もっと頼長に厳しくと言っても、父上は聞いてくれない。困ったものだよ」
「なるほど」
清盛は納得した。毒舌で、異様なほど強い使命感と正義感。それでは、誰だって一緒にいると疲れる。
「私は頼長の将来を案じていろいろ言っているのですが、聞き入れなくてね。最近の行いには目に余るものがある」
忠通がそう言って笑顔を浮かべて言ったとき、どこからか騒がしい足音と悲鳴が聞こえた。
「誰だ?」
清盛は太刀を構える。
そこへ、
「将来を案じられるのは、そっちの方じゃないのか? 関白さんよ」
武装した30人ぐらいの郎党を率いた為義がやってきた。為義の片手には、漆で塗られ、金箔や螺鈿で装飾された豪華な箱を持っている。
「為義、その箱はどこから持ってきた?」
忠通は先ほどの穏やかな口調から一転、声を荒げて為義に聞いた。
為義は笑いながら、
「あぁ、これか? お前のとこに仕えている侍を殺して奪ったのさ。返してほしけりゃ、関白と氏長者の座を頼長に譲りな!」
背中に背負った鬼切丸を抜いて答えた。
「殿下、あちらのものは?」
清盛は漆塗りの豪華な箱について聞いた。
「あれは『朱器台盤』といってな、我ら藤原北家に代々伝わる家宝だよ」
「なら、取り返さないと」
清盛は太刀を抜いて、為義に斬りかかろうとする。
「なんで白河院の御落胤がここにいるんだ!」
為義は清盛の一撃を受け止め、
「力づくで返そうって言うなら──」
首を後ろに向けた。
「へい!」
郎党たちはかけ声を出し、後ろから縄で縛られた忠通の娘や息子たちを連れてきた。
「汚いぞ為義!」
「俺だって家族がいるんだから、こんな下衆な真似はしたくないさ。でもな、こっちは宇治の大殿のご意向で動いているんだ。しっかり報酬ももらってな! だから、しっかり渡すもん渡さないと、こいつらの命は無いと思え」
為義は錆びた鬼切丸の刃を、身動きの取れない忠通の子どもの首筋に当てた。
「わかった。でも、しばらくの間考えさえてもらいたい。時間をくれることはできないか?」
「あぁ、いいだろう。三日だけ待ってやる。それまでに決めておくんだな」
「そうしよう」
「それじゃあ、この女と餓鬼はもらっていくぜ。あばよ!」
為義は縄で縛られた忠通の子どもを連れ、東三条殿を後にした。
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