【私小説】友達のこと(後編)─親友の話─
「一緒に共感できたり、好きなことを楽しめたりする友達」
そんな友達がいると、学校生活は楽しくなるものだ。この2つに「アホらしいことができたり」が加わると、さらに楽しくなる。いや、学校生活だけでなく、人生も楽しくなるかもしれない。
「そんな友達が一人でもいたら、人生が楽しく、明るくなろうな」
世を捨てた私にも、そう思うことがたまにある。だが、いろいろあってヒトが嫌いになったので、もう作ろうとは思わない。
そんな私にも、昔はそのときの気持ちや好きなコトを一緒に共有できる友達がいた。三浦くんというのだけど。
三浦くんは、いつもよく一緒にいた友達の一人だった。よく多田くん私の三人で一緒に帰ったり遊んだりしていたのが懐かしい。
三浦くんはテレビドラマや映画が好きだった。テレビドラマや映画は私も好きだったので、彼と見たドラマや映画の話をよくしていたものだ。だから、テレビ誌やネットで面白そうなドラマをやる、というのを見つけると、いつも彼に教えていた。そして次の日に感想を話し合ったり、これからの展開どうなるかなとか考えたりしていた。
特に、『泣くな、はらちゃん』というドラマの話で、よく盛り上がっていた。
漫画の世界から出てきた青年はらちゃんが、作者の越前さんに恋をする。最初は押しが強くて素性の知れないはらちゃんに、越前さんは不信感を抱く。けれども、接していくごとにはらちゃんの純粋さに惹かれ、好意を抱くようになる。この描写がとても上手いなと感心しながら見ていた。
また、この世界にある見慣れないものや概念に、好奇心旺盛なはらちゃんは、一喜一憂する。だが、そこにはこの世界の美しさと複雑さ、そして残酷さを伴っている。それが、胸を締め付けられる感じがして、最後の方になると、いつも涙が出そうになっていた。
次の週の月曜日。私は三浦くんに、はらちゃんの最終回を見たかを聞いた。
三浦くんは、
「見た。最後は三次元にいなかったな」
と残念そうに答えた。
三浦くんの言う通り、確かに私も、2次元と3次元どちらかを選ぶと思っていた。けれども、どちらも選ばないまま、というのが、意外過ぎて納得できなかった。
「なんか、納得できないよね。世界を選ぶてもなく、帰れなくなるないし向こうの世界に行けなくなるわけでもなく」
「同意。それだとなんか、切なさとか出ない気がする。あと、越前さん明るくなってよかった」
「だよね。愚痴は相変わらずでも、笑顔が増えた気がする」
私がそう返すと、何かを悟ったような表情を見せた三浦くんは言う。
「でも、それで良かったんじゃないか? 違う世界に行こうと思えば行けるし。もし、越前さんが悲しむようなことがあっても、いつでも」
「なるほど。ハッピーエンドにも、いろいろあるんだね──」
感慨深くなった私は、それしか言葉が出なかった。
映画の話だと、よくジブリアニメの話をしていた。定期的に金曜ロードショーでジブリ映画をやっていたのが大きい。
金曜ロードショーで、『もののけ姫』をやったことがあった。その次の週、私は三浦くんに感想を聞いた。
「見た。相変わらずジゴ坊欲深いよな」
「みんなが大変な時でもシシ神様の首大事に持ってるし」
「それそれ。もうそうでもしないと、瘴気からは逃れられないしね」
「だよね」
そう答えたあと、三浦くんは、
「話変わるけど、思ったんだけど、蝦夷って室町時代にいたのかな……」
と聞いた。
「どうだろう……」
わからない。ひどく頭の悪い私はこの答えに窮した。やっぱり、頭のいいヒトは、考えることが違う。
たまにひどく頭を使わせる質問が出てきたが、私は三浦くんとする何気ない会話が好きだった。
私とはかなり違った見方や学術的な考察が出てくる。それを聞くと、
「あ、そうか!」
「確かに」
とついうなずいてしまった。
最初聞いたときは、ん? となる。だが、あとでよく考えてみると、そういうことか、と思えるのだ。なんとなく見ている私とは違って、三浦くんは結構細かく見ているのだろう。
ちなみに学校の勉強の方はというと、できた。私に比べてだが。平均点を基準とするなら、普通のちょうどど真ん中だろう。でも、私と同じで授業中ほとんど寝ていた。授業しっかり聞いていなくても平均ぐらいの点数が取れる。だから、地頭の方はいい方なのだろう。
そうでなければ、学術的な考察もできないわけがない。
体育の自由時間になると、いつも三浦くんと一緒にサボっていた。
トイレや物置に行っては、互いに愚痴をこぼし合っていた。昨日見た番組の感想も、もちろん聞き合うこともあったが。
実は三浦くんも私と同じで体育が苦手。体育の授業のときは、私と同じでいつもやっているフリをしていた。そして、ミスをしては、口の悪い同性の同級生に、
「何でできないんだよ!」
と怒鳴られていた。ただ、私と違って、三浦くんは怒られてもどこ吹く風といった具合だったが。
けれども、口の悪いクラスメートに対して内心不満を抱いていた。
ある日の体育の自由時間中。物置で昨日見た番組の話をしていた。そのとき三浦くんは、
「話変わるけどさ、体育の時間って拷問じゃない?」
と気だるそうな声で聞いてきた。窓から入り込む陽の光が、三浦くんの青白い肌の色を映えさせる。柔和な顔立ちもあってか、大正から昭和初期の文学青年のような退廃的な雰囲気を帯びている。
彼の言いたいことは、私もよくわかる。
体育の授業では、みんな「できる」という前提でやっている。だから、できない人間がいると、魔女を見つけたがごとく槍玉に挙げる。
妄想ばかりしていた私は、
「体育はガス抜きのためにあるんじゃないか?」
と考えたこともあった。下の人たちが不満をぶつける矛先を、自分たちではなく他に反らそうとする。古代ローマの剣闘士の試合と同じように。そうでなければ、あそこまで狂気じみた攻撃性を帯びた言動をするはずがない。
「わかる。クラスメートみんな殺気立ってるしね」
「みんな『根性が足りないんだ』とか、『何でできないんだよ』とか、もう何回も聞いたわ」
「うん。正直アホらしい。運動神経悪い自分たちにやらせるとか」
「いい加減適正見抜いて、無理ない範囲でやってほしいね」
大きなため息をついて、三浦くんは言った。
「ね」
そして昨日見たテレビ番組や休みに映画の話になる。引き続き彼の愚痴大会ということもあった。平穏に時が過ぎれば。だが、ここに変に授業中真面目な性情のみっくんが来ると修羅場と化してしまう。
三浦くんとみっくんの修羅場の話は、尺や構成の都合上、またの機会に語るとしよう。
バカなことも三浦くんとよくやっていた。
美術の時間に余った紙粘土で金剛杵を作ったり、技術の授業で使った紙やすりでひたすら石を磨いたり。
関係のない第三者から見れば、くだらない、と思う。けれど、当時の私は、そんなくだらないことが大好きだった。
ある日の放課後。三浦くんに、近所の公園へ来てほしい、と言われたので来た。
しばらく待っていると、ダイソーのレジ袋を持ってきた三浦くんがやってきて、
「面白いもの持ってきた」
と言って、袋の中に入っていたものを取り出し、私に見せた。
中に入っていたものは、紙やすりとプラスチックの桶。一体何をするのか気になった私は、何するの? と聞いた。
白い顔に笑みを浮かべた三浦くんは、
「これで試しに石磨いてみようか」
と答え、公園内に落ちていた石を拾い始めた。
「好きだね。こういうの」
「まあ、やってみようや。面白そうだし」
そう言って、土のついた石を私に渡した。
「仕方ないな」
石を受け取り、付き合う私。
私と三浦くんは、公園の水道で土のついた石を洗い、ついでに濡らした紙やすりで少しきれいにした。
桶で水を汲んだ後、ベンチに座って石を磨いた。時々桶の水を変えながら。
やすりの番数を80番から100番といった感じで、目の粗いものから細かいものへと変えてゆく。
「どうして石なんて磨こうとしたわけ?」
やすりで石をこすりながら、私は聞いた。
三浦くんは石を水で洗いながら答える。
「なんとなく面白そうだから。きれいになった石、見たくない?」
「そう?」
「たまにきれいな石って落ちてるだろう?」
「うん」
「それを磨いたら、宝石みたいにならないかな、と思うと胸が躍らないか?」
「なるほど──」
深く私はうなずいた。路傍の石を磨いたらどうなるだろうなとか、そうしたことを考えたことが、何回かあるからだ。
800番から1000番のやすりを使うころには、石は光沢を帯びるようになっていた。
「きれいになったな」
「うん」
夕日を受けて輝く石ころを見て、私と三浦くんは謎のやりきった感に浸っていた。肩がゴリゴリになりながら。
へとへとになった私を横目に、三浦くんは瞳を輝かせてピカピカになった石を眺めていた。
今思えば、どうしてこんなくだらないことで盛り上がれたのか、わからない。仮に一人でやったとしても、途中で投げ出してしまうだろう。
こんなに盛り上がれたのは、くだらないことを全力でやっていた三浦くんのおかげだと思っている。知らず知らずのうちに、彼から元気をもらっていたのだろう。
一緒に好きなコトについて語り合えたり、嫌だなと思えることを共有できたり、バカなことができたり。そんなことができる友達がいると、人生が楽しく、そして心身が軽くなる気がする。くだらないことも一緒にできると、やっぱりいい。
話していると面白いし、何より元気がもらえる。そんな友達に会えるなら、嫌なことくらい安いものだ。
元気と楽しさを私に与えてくれたから、三浦くんには心の奥から感謝している。
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