【私小説】私の進路と死⑤─エピローグ─
警察に補導されてからは、母親の監視が強くなった。
学校へ行くときも、通学カバンや制服のポケットの中をしっかり点検させられた。失踪の計画を未然に防ぐために。
また、外出するにしても、どこへ行くのか、そして何時までに帰って来るのかというのを詳細に伝えなければいけなくなった。いつも家に母親がいるとは限らないから、スマホを持たされた。いないときは、これでどこにいるかを伝えてくれということだ。
警察沙汰になっていろいろ懲りた私は、大人しく日常生活を粛々と行っていた。
旅の日々は楽しかった。
知らないことを知ることができた。意外な発見がたくさんあった。そして何より、母親や将来のことといった考えたくもないことは全て忘れられた。
ほんの数日前まで、そんな楽しい日々が現実だった。けれども、母親のした余計な通報によって、この窮屈な世界に再び呼び戻されてしまった。
久しぶりに学校へ行ってみると、周りのクラスメートや先生方から失踪した経緯とか理由についてあれやこれやと言われたり聞かれたりした。
「バカな佐竹のことだから、行ける高校がないことに絶望しておかしくなってやってしまったのか?」
「親と喧嘩して家出したんでしょ?」
「悩みがあるのなら先生に話しなさい」
「失踪してるときどんな生活をしていたの? 辛くなかった?」
突然起きた私の失踪事件について、みんな好き勝手に言っている。
そこそこ核心を突いたものや、真心から出ている言葉もある。けれども、みんな私の本当の気持ちをわかっていない。
私は失踪したのではなく、流浪の旅に出たのだ。ずっとやりたかったことを自分の手でやった。ただそれだけ。それと、私の悩みなんて、話したところでどうにかなるものではないし、どうせ話しても誰にもわかってもらえない。話してもどうせ、
「がんばれ」
という無責任な一言でのだろう。それぐらい、頭の悪い私でもよくわかっている。
いろんな人の口から出てくる無責任な仮説や偽善の言葉について、私は適当に返していた。だが、心の中では、
「ばかやろう」
と罵倒していた。
どいつもこいつも、私の本当の気持ちなんて知るはずがない。いや、もう誰かにわかってもらおうとか、話を聞いてもらおうなんて一切思っていない。どうせ話してもわかってもらえないのだから。
失踪のことについて聞かれるのが嫌になった私は、保健室で授業が終わるまで過ごすようになった。
同時に、
「あんなことをするんじゃなかった」
と自分の行いを後悔した。
やりたいことなんて、中学生の分際でやらなくてもいずれはできるのに。でも、あのときは、何もかもが嫌で、逃げたかった。だから、旅に出た。嫌なことに耐えられない自分は恥ずかしい。母親や先生といった周りの大人は間違っていないんだ。そう思うことにした。その方が楽だから。
終業式の前日の放課後。私は保健室を出た。
窓からは夕日が差し込み、薄暗くなった校舎の中からは運動部のかけ声や吹奏楽部の練習の音が、夕方の静寂に混じって聞こえてくる。
周囲の視線が、怖かった。すれ違った誰かも、陰で私のことを悪く言っているのだろう。
足早に下駄箱へ行って内履きを片づける。早く帰ろう。もう正気でいられない。
私はプライベート用の靴に履き替えてダッシュで校門へと向かった。
校門へと向かったとき、
「あ、健だ」
と声をかけられた。
家に変な音がして、怖くておそるおそる音のある方向へ向かうときみたいに振り返った。
「久しぶり」
声の主は、三浦くんだった。
正直ほっとした。
「ひさしぶり」
おそるおそる私は返した。
三浦くんは呆れ顔になって、
「君のことを知らない有象無象が、まだ何か言ってるね」
と言って大きなため息をついた。
「だろうと思った」
「今度は不登校になった理由についてあれやこれやと言ってる」
「やっぱりね──」
下種の勘繰りが好きなやつらだ。きっとこのときこの瞬間にも、
「健は失踪のことを聞かれるのが嫌で保健室登校になったんだ」
と言っているに違いない。この下種の勘繰りは、行ける高校が無いから失踪したとか、親と喧嘩した勢いでといったものとは違って正解なのだけど。
「久しぶりにこうして会ったんだ。よかったら一緒に帰らないか? 積もる話もあることだし」
「うん」
しばらく三浦くんと話していなかったので、一緒に帰ることにした。
公園に立ち寄り、私は三浦くんに突然旅に出たことについて話した。
無責任なクラスメートや先生方とは違って、三浦くんはしっかり話を聞いてくれた。
「要するに、君が失踪した理由は、行ける高校が無いからとか、親と喧嘩したとかじゃなくて、『やりたいこと』を見つけたからだろう? そしてそれを実行するために、君は朝早くに家を出て旅に出たと」
「うん。よくわかったね」
「付き合いの長い君のことだから、考えてることや行動パターンくらいは何となく想像できるさ。これから生きていてもいいことはないから、いっそ死ぬ前にやりたいことやって死のう。そう思ったんだろう?」
「うん」
私はうなずいた。三浦くんの言っていることは、興味本位でしかモノを語れないクラスメートや偽善じみた先生方の言葉よりも本質をついている。
「『やりたいこと』をするというのは、思った以上に簡単じゃなかっただろう?」
「うん」
三浦くんの言う通り、「やりたいこと」をするというのは簡単ではなかった。
母親、担任の先生、そして多田くんや今話を聞いてもらっている三浦くんに計画を明かさずに、秘密裏に事に当たらなけれはいけなかったから。正直計画を立てているときは、不安で、怖くて、仕方なかった。
「だろうね。『やりたいこと』をするとなると、調べないといけないことも多いし、やっているときには敵がどこからともなく湧いてくる。実行するときには、そいつらと戦わなければいけないからね」
「うん。だから、あのとき、あんな決断をしなければよかった、って思ってる。そして、周りの大人が言っていることは、全部正しいんだって」
「本当に、それでよかったのかな?」
「え」
三浦くんの出した意外な答えに、私は驚いた。誰もが否定的に見ている私の「やりたかったことをやる」ということを肯定してくれた。それが何より驚きである。
驚く私を脇に、三浦くんは続ける。
「『流浪の旅に出ること』これが、君のやりたいことだったんだろう? なら、後悔しちゃいけない。罵詈雑言を飛ばしてくるような有象無象なんて無視してしまえ。君は格好悪くなんかない。格好悪いのは、やりたいことをやった人間に無責任な言葉しかかけられないやつらだよ」
「そ、そうかな?」
そう私は返した。けれども内心、この言葉には救われた。中学生が親や周りの大人の許しを得ずに旅に出るのは、世間的には非常識な行いだ。家出と勘違いされても、文句は言えない。でも、やりたいことがあっても日々の忙しさを楯にしてやらなかったり、ただ無責任な文句だけを垂れ流すよりは、ずっといい。
三浦くんはうなずいて、続ける。
「また計画を立て直せばいいさ。今度はしっかりバレないように。そして、親が立ちはだかるようなことがあったら、みんなで守る。だから、もしやるんだったら、話してくれないか」
「ありがとう……」
うれしくて、私は泣いてしまった。ありがとう以外気の利いた返事ができない。元々気の利いた返答なんてできないけど。
涙の上には、月と満点の星空が広がっている。
※
隠者として東京の片隅に落ち着いた今でも、時々流浪の旅に出たいと思うことがある。だが、私は隠者なので、最低限のお金で生活しているから、2泊以上の旅は難しい。というより、月に1、2回の役所の面談や通院に行かなければいけないので、私は一か所に留まるように無理だ。
けれども、時々自転車で遠くへ行くことがあるので、ある意味「やりたいことリスト」の最後から3番目に書いていた、
「流浪の旅に出る」
というのは、違った形で叶ったような気がしてならない。
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