
鶴岡八幡宮で幕府の将軍が首を打ち落とされた日
和歌暦。旧暦一月二十七日。
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けてさけて散るかも
この場面を南北朝時代に成立した歴史物語から。
……見る人も多かる中に、かの大徳うち紛れて女のまねをして、白き薄衣ひきおり、大臣の車より降るる程をさし覗くやうにぞ見えける。誤またず首を打ち落としぬ。その程のどよみいみじさ、思ひやりぬべし。
かく言ふは、承久元年正月廿七日なり。そこら集ひ集れる者ども、ただ呆れたるより他の事なし。
意訳
観衆が多くいる中に公暁という大徳(徳のある僧)が紛れていて、女のまねして白い薄衣で頭からすっぽり身を隠し、大臣が車から降りるのを覗くように見ていましたが、間違うことなくその首を打ち落としました。その時のどよめきのすさまじさは、想像をこえていたに違いありません。
こう言うのは承久元年(1219年)一月二十七日のことです。大勢集まっていた者たちは、ただただ呆れるばかりでした。
実朝は頼朝の二男で母は北条政子。
公暁は兄頼家の遺児で甥にあたります。
実朝が28歳の若さで暗殺され、源氏将軍の血は途絶えました。