【人生】喪失という名の、贈り物。
夕暮れ時。
空っぽになった部屋の窓から差し込む光が、
床に長い影を落とす。
その影は、
まるで自分の人生の一部が溶けて
流れ出していくかのようだった。
2匹の猫たちが
静かに荷造りを見守っている。
彼女たちの瞳に映る自分は、
きっとひどい表情をしていたに違いない。
昨年の、誕生日。
長年勤めた会社を
言葉通り、逃げるようにして去った。
「死」と「逃走」というふたつの言葉が、
真夜中の部屋で交互に明滅する信号のように
自分の前に立ちはだかった。
お酒の力を借りても
結局、死に切る勇気もない自分は
逃げることを選んだ。
それは長い間、
自分自身に課してきた
「あるべき姿」という鎧を一枚一枚
脱ぎ捨てていく日々の始まりだった。
幼い頃から自分の中で
他人様に迷惑をかけてはいけない、という
言葉は呼吸のように自然なものだった。
それは母の口癖であり、
そして社会人として身につけた作法だった。
だからその言葉を裏切って逃げ出すことは
自分自身を裏切ること、
そして母を裏切ることと同じだった。
でも、心と体は既に限界を超えていた。
それは澄んだ水に一滴の墨を落としたように
取り返しのつかない選択だった。
崩壊は静かに、
しかし確実に進んでいった。
まるで古い建物が
少しずつ朽ちていくように。
職を失い、貯金は消え、
お気に入りの車を手放し、
住む場所も変わった。
変わらないものといえば
2匹の猫たちの存在だけだった。
姉の方は物思いに沈んだような
眼差しでこちらを見つめ、
妹の方は相変わらず甘えん坊で
膝の上に乗っては喉を鳴らす。
彼女たちは
自分の人生が急激な下り坂を
転がっていく中で、
確かな重さと温もりを持って
存在していた。
フリーターとして働き始めた朝は
霧の中を歩くようだった。
30代にして、初めてのフリーター経験。
これまで築いてきた経歴も、
ここではなんの意味も持たない。
毎日情けなさに
押し潰されそうになりながら
ただ目の前の仕事をこなすことだけが
自分という存在の証明になった。
それは深い井戸の底から
一歩一歩はしごを登るような日々。
でも不思議なことに
その単純な繰り返しの中で、
少しずつなにかを見つけていった。
自分の状況や環境が大きく変わり
自己嫌悪や情けなさから
大人気ないとわかっていながら
周囲との関わりを遮断しがちに
なっていたにも関わらず、
周りの人たちは自分の変化を
優しく黙って見守ってくれていた。
壊れないように
そして自分の足で再び立ち上がる
邪魔をしないように、と。
自分が手にしていたものが
すべて消えても、
変わらず同じ愛情を示してくれた。
そのことに気づいたとき、
自分の悲しい考え方や価値観で
どれだけ今まで自分自身を
縛りつけてきたかがわかった。
なにかを持っていることは
重要ではない。
ただ自分で在ることで、
愛することも愛されることもできる。
自分は(自分に)、
愛されてもいいんだ。
過去に誤ちを犯したとしても
そのことを忘れずに
繰り返すことさえしなければ、
自分を一生縛りつける必要はない。
手放してもいいんだ、と。
そのあたりまえの真実を
自分は社会という名の檻の中で忘れていた。
一年経った今も、
まだ変わらず人生再生中だ。
だけど今日この日にたどり着くまでに
見えてきたものがたくさんある。
朝日を浴びながら2匹の猫とともに
ゆっくりとコーヒーを飲む時間。
窓から見える空の色の変化。
明日への不安ではなく
今日一日への感謝の気持ちを抱いて
眠りにつく幸せ。
これまで気づかなかった世界の
些細な美しさが、
今の自分の富となっている。
人生は時に
想像もしていなかった場所へ
自分を連れて行く。
それは時として
奈落の底のように思えるかもしれない。
だけどそこで初めて見える景色があり、
出会える自分がいる。
失うことは
新しい自分を、本当の自分を
見つけることでもあった。
2匹の猫たちは、
今日も変わらず自分のそばで眠っている。
彼女たちの寝息を聞きながら、ふと思う。
もしかしたら
この「想像してなかった未来」は、
ほんとうは自分自身が心の底で
求めていた場所だったのかもしれないと。
これが
キジトラの姉妹が見守る、
自分の人生再生の記録だ。
自分は今、生きている。
そして今、とてもしあわせだ。
ありがとう。
そんな感じ。