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(回顧録)好きだった読書が出来なくなった二人。

「東急ハンズ三宮店で、椎名誠さんのトーク&サイン会が開催されます。」

2018年1月。休日には近所の東急ハンズでのんびり買い物することが日課だった私は、建物内の階段踊り場付近に貼ってあったポスターを見て衝撃を受けた。見覚えのある顔写真の横に確かに書かれている「椎名誠」という名前。

慌てて携帯を取り出しカレンダーを確認する。仕事の前になら行ける…椎名誠さんに会える…?

サイン会に必要な整理券が無事に手に入るのか約束された訳でもないのに、もうドキドキしてお腹がギュルギュル鳴った。過敏性腸症候群である。その日から私は、一ヶ月ほど先の未来で頭がいっぱいの毎日を過ごすこととなる。



小学生の頃、父の本棚には文庫本が所狭しと並べられていた。子供だった私はほんとうはコロコロコミックや恐竜の図鑑が好きだったけれど、父の文庫本コレクションがやけに大人っぽく格好良いものに見えたのだった。お父さんはこんなに字が小さい本をこんなにたくさん読めるんだ、お父さんみたいになりたい…と、いつしか文庫本と父はセットで憧れの対象となる。どの本も日焼けしていて裏表紙にはBOOK OFFの値札シールが貼られていた。お父さんは新品で本を買わない主義なんだな、と思っていた。

父のコレクションは数こそ多いものの著者は限られており、中でもダントツで揃えられていたのが椎名誠さんだった。兄と私は自然とそのコレクションから本を選び、時間を見つけては物語の世界に没頭するようになった。当時の私は今よりも遥かに長い時間を読書に割き、そして今よりも純度の高い好奇心に突き動かされて本を楽しんでいた。

椎名誠さんの本は小学生にも解るようなやさしい言葉遣いで書かれたものが多く、何よりも話が面白い。「本を読んでいる」というよりも「親戚のおっちゃんのオモシロ話を聞いている」感覚で、声に出して笑いながら読んだ記憶がある。特に惹かれたのが『岳物語』という、息子さんの成長を描いた親子の物語。なんて自由で面白い親子なのだろうと子供ながらに大好きだった。物語が終わると虚無感に襲われるため、また1ページに戻って読み始めるというのを何度も繰り返した。

実話以外にも短編・長編共に色々読んだが、作中に登場する未知の用語が何なのか分からず「ザー●ンって何?」と両親に尋ねたところ空気が凍った思い出がある。父は顔面を硬直させながら「赤ちゃんができるやつや」と一言、母は真顔で無言だったので「あ、これアカンやつや」と直感したものだ。ちょっといやらしい描写が時折あるのもドギマギしたりして、そんなワードも含め、小学生の私の語彙力はほぼ椎名誠さんで構成されていたと言っても過言では無い。

そんな中、私が中学生になった辺りから、家庭の事情で頻繁に引っ越しを余儀なくされる生活が始まる。いつでも引っ越す可能性があるため、家には常に大量の段ボール箱が溢れていた。それに伴い父の文庫本コレクションはいつの間にか減り、家の物も少しずつ消え、電気やガスが度々止まった。程なくして家族が離れ離れになった。私は父に内緒で学校をズル休みするようになった。

父は本を読む時間さえ無くなり、毎日朝から深夜まで働き詰めになった。しかしそのうち、一日中自室のベッドから動けない身体になった。食事を摂る姿をほぼ見ないが何かしらの薬は飲んでいる。他の家族が話し掛けても反応は無く、立ち上がれば壁伝いによろよろと歩き、歩行困難から床に倒れることもあった。よく吐いていた。知識が無くてもストレスが原因のうつ病だと分かった。

中学生の私はどうすれば良いのか分からず、今まで通りの感じで話し掛けたり、家事炊事をするしかなかった。部屋に溜まる埃とゴミに反比例し、生活費は無くなる。ある日父は岸壁にまで行ったが、兄と私を考えて飛び降りるのを踏み止まったと話した。あなた達のせいで今こうなっている、という意思が透けているように思えてならなかった。もしも兄と私という重荷が無ければ、父は一人身軽に新しい生活を始められていたのかもしれない。父の病気の原因は私だと考えるようになった。

一年ほど経ち新しい母親が家に来た。私には歳の近い妹ができたが、会話が苦手な性格であるため仲良く出来ず、父と新しい母親に怒られた。新しい母親はとても明るく活発な人で、内向的な兄と私とは相性が良くなかった。父は彼女とよく出掛けるようになり、真っ直ぐ歩けるまで回復し笑顔も戻った。薬を飲まなくなった。喜ぶべきことと頭で理解しつつも、父の心に空いた穴は子供には埋められないものなのだと悟り無力を痛感した。その後父が兄と私に話し掛ける時は大抵「金を貸してくれ」というお願いだけになり、家族らしい会話も無くなった。

家にはまた父の文庫本が増えた。でも、椎名誠さんの本は無かった。

父とろくに話さないまま、数年後、兄と私はそれぞれ家を出た。



2018年2月3日、椎名誠さんに会える当日。気温は低いはずなのに私は興奮のあまり上着を脱いでいた。足早に東急ハンズ内の特設スペースへと向かう途中でお腹がギュルギュルと鳴る。サインをしてもらうための本は全て過去の引っ越しで消えてしまっていたため、新しく『ずんがずんが』を購入した。事前に必死に手に入れた整理券のおかげで会場では最前列の座席に座ることが出来た。『ずんがずんが』を手に、時間が来るのを待つ。少しずつお客さんが集まり場内は満席となった。

開始のアナウンスが響き割れんばかりの拍手と共に現れた椎名誠さんは、想像よりも大きな男の人だった。本物だ…。

ゆっくりとした動作で着席した椎名誠さんは、初めて神戸に来たということ、ポートピアホテルに泊まって朝食のビュッフェでお腹いっぱいになったことからお話を始めた。「神戸は好きな街です」という言葉に、生まれも育ちも神戸である私は嬉しかった。

今までの旅で過酷だった話、ロシアは寒過ぎておしっこが凍る話、蚊柱を纏った人間が真っ黒なシルエットになるのを見た話。日本に住む限り遭遇し得ないエピソードの連続に会場からは感嘆の声が上がり、すぐさま笑いへと変わる。どれも椎名誠さんが体験された実話なのだが、まるで本を読んでいると錯覚するような丁寧な描写の語り口なので、私は頭の中で世界を旅する椎名誠さんを容易に想像出来た。彼の言葉から彼の世界を追体験している。昔本で読んだようなオモシロイ出来事の数々に、私は笑顔のまま涙が出ていた。夢のようだった。

一時間ほど経つとお話は終わり、他のお客さんも皆さん名残惜しそうにしていた。無限に聞いていたくなる面白さだ、作家さんはすごい、と子供のような感想しか頭に無かった。次はサイン会と写真撮影のコーナーで、またお腹がギュルギュル鳴る。隣に座っていた中年女性と「すみません、椎名さんとの写真撮ってもらっても良いですか、お願いします」とお互い約束した。女性はサインをしてもらうために3冊ほど本を抱えており、周りを見ると中には5、6冊抱えている人もいた。皆さんがそれぞれに大好きな椎名誠さんの本。私も『岳物語』にサインしてもらいたかったな。『ずんがずんが』でもとても嬉しいんだけど。

希望者は事前にサイン横に書いて欲しい文章を考えて来てくださいとのことだったので、多分に漏れず私も自分の名前を紙に太字で書き持参していた。椎名誠さんは一人ずつにサインを書いたあと握手や写真撮影に応じている。この、自分の順番が回って来るまでの時間というものは何度経験しても異様な心理状態で慣れない。一瞬にも感じられるが永遠にも感じられる。サインは欲しいがもう逃げ出したいという相反する感情に苛まれながら、いよいよ私の番が来た。

こういう時、ご本人を目の前にして言葉が出ないのはいつものことである。首から上が文字通り硬直して呼吸を忘れる。この世の終わりみたいな顔してたと思う。腕を動かせ!動いてくれ!と鬼滅の炭治郎ばりに念じ、ようやく目の前にいる椎名誠さんに「この名前をサインの横に書いて頂けますか」と紙を手渡す。一瞬紙を見たあと、さらさらとサインをしてくれる大きな手。それから私は「握手で写真撮影して頂きたいです」と言ったらしい。覚えていないが、私の携帯の写真フォルダに椎名誠さんと握手している自分の写真が残っているのが証拠だ。その他に自分が何を言ったかは記憶に無い。「頑張ってください、応援しています」とかそういうのを言った気もするが定かではない。本番に弱過ぎて記憶を失うタイプである。

一連の流れは時間にすると1分かそこらだったと思う。何しろお客さんの数が多いので、ほぼ流れ作業で終わるのだ。サインをしてもらったお客さんは皆さん晴れやかな笑顔で颯爽と帰って行くが私は放心状態だった。先程写真撮影の約束を交わした女性と合流し、少しばかり感想を話し合った。緊張しましたね、一瞬でしたね、サイン嬉しいですね、ありがとうございました、さようなら…。私は自分と椎名誠さんの名前が書かれた『ずんがずんが』を抱えて帰路に着いた。

椎名誠さんに会ったことを父に話さなきゃ、と思った。


兄と私が実家を出たあと、父も遠い場所へ移住したためほぼ会わないようになっていた。会うのは親戚のお葬式くらいで、それを除けば数年単位で顔を合わさない。全員口下手なので電話もしない。個人的に遊びに行くことはおそらく無いので、死ぬまでに会う回数は片手で数えられる程だろう。

後日、椎名誠さんとのツーショット写真を添付し父にメールで報告すると「お父さんは、椎名は男らしい人というイメージがあるなあ」と返信があった。そうか、椎名誠さんの文庫本を集めていた昔の父は「男らしい」椎名誠さんに憧れていたのか。時代の流れと共にその言葉は消え行くのだろう、しかしかつての父が椎名誠さんを好んだ理由は「男らしさ」だったのか。色々な物を自分の目で見て空気を肌に感じ、世界を旅したかったのだろうか。

父が大好きなはずの本を読めないでいた数年間は、見ていて辛かった。読書というのはここではない別の世界に飛び込み、旅が出来る魔法の道具だ。一人で好きな場所へ行き、自分の足で自由に歩き回れる。それが叶わない状態の時の父はまるで地下牢に閉じ込められた罪人のようだった。だから、本を読めるようになった今父はきっと幸せなのだ。ただ、今は「男らしく」世界を旅したい気持ちが無くなったから椎名誠さんの本を読まなくなっただけで、また違う気持ちで本と向き合っているのだろう。


父と引き換えに私は本を読めなくなった。読む時間はあるし読みたい気持ちもあるのに、手に取ることが難しい。一日に1ページ読み進めることも出来ず、何度読んでも頭に文字が入って来ず苦しい。何故こうなっているのか自分にも分からない。あれだけ『岳物語』を繰り返し読んでいた自分が嘘のようだ。

私の読書体験は父への憧れから始まった。そして椎名誠さんに憧れていたあの頃の父はもういないが、私にとって椎名誠さんの文庫本コレクションは、父と切っても切り離せない存在のまま心に残っている。現在読書が出来なくなっている私は、うつ病だった頃の父と同じように、心の中ではどんな世界を見たいと願っているのだろうか。いつかまた読書を楽しめる日が戻って来るのだろうか。

思い出の東急ハンズ三宮店は、2020年年末に閉店した。



特にオチはありません。今年6月に父が還暦を迎え、兄と一緒に生まれて初めてちゃんとした贈り物をしました。父との思い出は複雑な気持ちになるものが多いですが、幸福に生きていて欲しいと願っています。父の日も近いこの時期なので、父のことを書いてみました。読んでくださった方、ありがとうございました。







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