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心の話。(2)今に集中する

(1)を読み返してみると、まるで人生ガラッと変わって今はすっかり不健康な心を克服出来てるみたいな印象を受ける文章だった。全くそんなことは無いです。頻繁に希死念慮に襲われることはほぼ無くなっただけですが、それでもそこが改善されたことは自分にとって本当に大きい。

備忘録としてゆるく書きたい心の話。何故いろいろな抑圧が生まれてしまっているのかを考える記事を書こうとしているのだけど、今日も全然そこまで辿り着けないでしょう。文章をまとめるって難しいな。

さて、本題に入る前に、自分がちょこちょこ参考にした有名な書籍、『嫌われる勇気』のお話を少し…。

こちらが発売された当時、テレビで放送されていた今週の人気書籍ランキングなるコーナーにて、長いこと第一位の座に君臨していたのを記憶しています。私が実際に手に取ったのはそれから数年後。その後、続編の『幸せになる勇気』も読みました。

正直なところ、全体の感想としては「え、青年ほんとに納得した?元々アドラー心理学に造詣が深かったか元々潔い人だったのでは…?」だった(失礼)。それが出来たら苦労しないといった感じで、なんというか体育会系っぽく思えてしまい私にはまだ早いなあと。心に深い傷を負っている方なんかにもキツイ部分があると思う。

というかこちらの書籍に限らず、「それが出来たら苦労しないけどな…心構えからまず教えて欲しい~」となることがむちゃくちゃ多いです。「心の弱さが原因です、気にするのをやめましょう」と言われても、気にするのをやめる方法を教えてくれ…みたいな。いずれそういうお話も書きたい。

話が脱線しましたが、『嫌われる勇気』にそうした失礼な感想を抱きながらも、随所で「こう在れたら確かに心は楽だろうな」と感じたのも事実だった。こちらのシリーズ以外で関連書籍を読んでいない素人の自分は、アドラー心理学の骨組みの骨組みの骨組みさえ到底理解出来ていないだろう。それでも目から鱗の考え方が散りばめられており、対話形式のおかげもあって割とスムーズに読み終えたのを覚えている。読書が本当に苦手なのに…。以後、自分の感覚に近く参考に出来そうなところは取り入れようと、何度か読み返している。

(※注:以下、当記事はあくまでアドラー心理学を引き合いに出しながら自分の考えを羅列しているに過ぎない点をご留意ください)


2-1.「今日出来ること」を積み重ねた知人の話

前置きが長くなりました。

アドラー心理学の考え方の一つである目的論は「目的が先にあり、そこから結果が生まれている」というもので、フロイトの「過去の経験が結果を生む」原因論とは真逆の考え方。目的論にかかれば過去のトラウマさえ否定されるため、パワー系…!という印象だった。

私は自分自身が過去から抜け出せない部分が大いにあるので原因論の人です。アドラーに言わせれば「それはあなたがそうした方が都合が良いからそう思っているだけです」だろうけど…。ただ、目的論の考え方そのものには言うならば救済のような希望を感じた。どんな過去があろうと今には関係無いだなんて…もし仮に目的論で物事を考えられたなら、ほんとに人生がガラッと変わると思う。常に真っさらな気持ちで今日を生きられることでしょう。

私の知人に、本でも書けそうなほど苦労多き人生を歩んで来られた知人がいる。その方は数々の苦労を微塵も感じさせない明朗な人柄をしており、「まあ若い頃苦労したけど、あの日々のお陰で幸せな今があるのかも」と笑ってお話される(昭和を生き抜いた方々、ほんとに肝が据わっておられて頭が上がりません)。

彼女の気質は持って生まれたものもあると思うけれど、「一日一日を精一杯生きるしかない必死の人生だった」ことも大きく影響しているのかなと勝手ながら感じている。過去に執着する暇など無く未来を考える余裕も無かったかつての彼女は、毎日出来ることだけを積み重ねて生きて来た。過去のせいにしないし、過去を無かったことにもしない。何かトラブルが発生しても「起こったことは仕方ない。今からどうするか考えよう」と常に今を起点に物事を考える。

2-2.今に向き合い続ければ「過去のせい」にしなくなると信じる

アドラー心理学で私の価値観と似通っていた考え方の一つ、「人生は連続する刹那である」。過去の延長線上に今があるのではなく、過去と今の間には無数の点が存在しているという考え方。過去、今、未来は繋がっているように見えて繋がっていない。計画を立てたとしてもどう転ぶのか未来は予知出来ないのだから今だけに集中しましょうという感じ。そして今の積み重ねがいつしか未来になっていると(価値観に近いとは言え、私の場合ちゃらんぽらんなだけと反省したりもする…)。

前述した知人はじめ、周りにいる心が健康そうな人を見ていて思うのは、「今の問題」に真摯に向き合い続けた結果がいつしか明るい未来になるということ。それに心がしんどい時に明るい未来を考えるって難しいから、とにかく今にだけ向き合えばそれで良いんじゃないかと私は思う。集中して今に向き合い続けていれば自然と過去を考える時間も減る。いつまでも過去に執着してしまうのは、過去――その当時の「今」――に問題から目を背けた結果であると同時に、過去のことをまだ変えられる今だと思い込んでいるのかも。悲しいかな、過去に執着する限り「過去の問題」だったものは延々と「今の問題」として存在する。

今心がしんどくて、自分の心と向き合うことが徒労に終わると感じても、必要な行程と信じる。投げ出したくなっても自分の心を放棄しない。過去に心を放棄した結果が今のしんどさなのだ。

2-3.五感を使って「今」に集中する練習をする

私は以前何をしたって気が散って集中出来ない状態だった。ずっと上の空で心ここにあらず。今に集中する練習として、個人的にはお菓子作りと出会いました。五感フルで強烈に今に集中出来る上、初めてのお菓子を作る度に新しい刺激を得られる。それまで食べるのは好きでも作る方には興味が無かったんだけど、始めてみると楽しくって。

とりあえず今していることに集中してみる(多少なり興味があることじゃないと難しい)。料理を例にすると、握った包丁の重みを手のひらに受けながら食材を切る。食材に刃が入った時の感触、音、香りを感じてたまに味見したりする。五感をフルに使えば使うほど、むちゃくちゃ今に集中出来る。この辺りのお話は以前書いたこの記事にも通ずるところがある…。

五感を多く使える点で言えば体験型のアトラクションだったり旅行だったり。自然の中でバーベキューするのもとても良さそう。あとは絵具で絵を描くとかも、味見は出来ないけれど五感を多く使えてすごく良さそうですね。

とにかく集中した後って驚くほど心がスッキリする。心の問題や抑圧の根本的な解決にはならないでしょ…という感じだけど、趣味が与えてくれる気晴らしの効果って想像以上にすごい。集中するための土台を作ってくれる感じ。

そして「今に集中すること」を身体で覚えると、日常の他の動作中にも集中出来るようになって来る。動作は違っても五感を使って集中出来るようになる。集中してる時って不思議なくらい、過去の嫌なことも未来への不安も考えてないんですよ。

2-4.無理矢理、趣味の時間を確保する

私は好きなことを一切しない(出来ない)期間を数年間過ごした末に身体にも異常が出る段階になりました。かつては毎日数時間楽しんでいたことを全くしない数年間。好きなことが出来ない状態は心にとって物凄い抑圧で、手足を縛り自由を奪っているようなもの。「本当は●●したい」という感情を「でも時間が無いから…」「でも準備が面倒臭いから…」という思考で抑え続ければ、感情は麻痺して当然だったなと思う。そのうち気付けば「好きなこと」すら分からない状態にまでなっていた。

ひょんなことから好きなことを再開出来る状態になり、新しい趣味としてお菓子作りなども始めてみたところ、心身がゆるんでくれる感覚になるので趣味がもたらす効果を実感している。

以来、心のために、一日10分でも良いから好きなことをする時間を無理矢理確保するようにしました。多分、多くの人にとっては当たり前のことなんだろうけどね。心がしんどい時ほど、例え短時間でも確保した方が良い。


案の定書きたいところまで全然辿り着けなかった…。話が膨らみ過ぎる悪癖です。まあ良いか。


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