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取り残された男(短編小説21)

忘れた頃に、またあの夢をみる。うなされて体を起こすと、トモキは右手で左肩をさすりながら壁に掛けてある時計を確認する。

夜中の3時、隣で寝ているシズカとトモシを起こさないように、そっと体を布団から抜き洗面所へ向かう。

なんとか洗面所にたどり着くと、冷たい水を顔に勢いよくかける。しかし、水は上手く顔に当たらない。洗面所が水浸しになる。


昼ご飯を食べ終えた後、窓の近くの椅子に座る。入ってくる日差しが暖かい。そこへトモシが「パパ〜」とニコニコしながら、トモキの方へまだ不安定な足取りで向かう。

トモシは3歳になったばかりで、不安定さは残るものの、それなりに長い距離も歩けるようになったし、会話もできるようになってきた。

「やっぱり、この頃が一番かわいいのではないか」と言うと、食器を洗っているシズカが「それ半年前も言ってたわよ」とにこやかに答える。

トモシはなんとか椅子までたどり着くと、椅子の肘掛けに手を置き、トモキを見上げながら「あったかいれ」と言った。そうだねとほほえみかけると、トモシはニヘヘと笑う。

トモキには、これ以上の幸せがないように思えた。食器洗いを終えたシズカが台所からひょっこり顔を覗かせ、「トモキ」と呼ぶ。

すると、いつものようにトモキだけでなくトモシも「なに?」と言葉を返す。

「やっぱり、トモシって名前はやめた方が良かったんだ。発音が似てるからトモキってシズカが呼ぶと、トモシまで反応しちゃうじゃないか。」と半ば呆れた様子でトモキは言った。

それでもシズカは、「いいじゃない、2人の名前を組み合わせて作ったのよ、もう少し大切にしてよね。それに、私としてはトモキって呼ぶと2人反応してくれるから、楽な時もあるのよ」と軽やかに受け流す。

シズカには勝てないなと思った。

シズカがトモキの元へ淹れたてのコーヒーを運ぶ。トモキが「本当にいつもありがとう。俺がこんなんだから、シズカには」と言うと、シズカは言葉を制して「夫婦なんだから、あまり前でしょ」と胸を張る。

胸を張った後、ニヘヘと笑う。

トモキはシズカと結婚して心底良かったと感じていた。シズカの親に結婚を大反対されていたが、半ば強引に結婚した。

そのため、シズカの親との仲は良くないが、それを差し引いても、シズカとの結婚は正解だったと強く思う。

「それにしてもどこにあるのかしらね」シズカは窓の外を見つめながら独り言のように言った。

「そうだな、なくした日は一日中家の中に居たから、家の中は間違いないと思うんだけどね」とトモキは答える。

答えた後、少し間を空けて続けて言う。「でも、もう見つからなくてもいいよ。付けてるとやっぱりあの日のこと思い出すきっかけになっちゃうし」

「でも、見つけておきたいじゃない?付ける付けないはその後だって決められるし、それに、あの指輪は世界に一つしかないじゃない?」とシズカはトモキなだめる。

「世界に1つって言うと聞こえはいいけどね、壊れてるだけだから」とトモキは言い、力無く笑った。

2人はしばらく無言のまま、窓の外を眺めていた。

「あれ?そう言えば、トモシはどこ行ったのかしら」とシズカが辺りを見渡した。「トモシー」とシズカが呼ぶと、玄関の方からペタペタと足音を響かせトモシがやってきた。

シズカは「あら、どこ言ってたの」と言いながら、トモシを抱き上げる。トモシは「見っけら」と言うと、シズカの顔の前で手を開いた。

そこには、トモキが探していた指輪があった。シズカはトモシから指輪を受け取ると、うたた寝している、トモキの肩を叩き「トモシがまた見つけてくれたわよ」と、指輪を差し出した。

トモキは、指輪を受け取ると「おぉ!またトモシが見つけてくれたのか」と言い、指輪を右手薬指にはめた。

そして、座ったままトモシを向かい合う形で膝に乗せ、頭を撫でた。

シズカはその様子をみて、「トモシはあなたのこと何でも知っているみたいね、この前もトモシが無くした財布見つけてくれたものね。私が失くしたピアスも見つけて欲しいんだけどな」と軽く愚痴をこぼす。

事実、トモキとトモシはとても似通っていた。親子だから似通っているのは当たり前であるが、それを差し引いても共通する部分が多かった。

好きな食べ物から始まり、相槌の打ち方、くしゃみのタイミングまでも一緒のことが多かった。それに、トモキが失くしたものはいつの間にかトモシが持っていることが多いが、シズカの失くしたものは一向に見つける気配がなかった。

シズカは「トモシはなんでもお父さんのこと知ってるのね」と褒めると、トモシは胸を張った。

胸を張った後、ニヘヘと笑った。

シズカが、トモキの飲み干したコーヒーカップを掴み、キッチンまで持って行こうと、歩き出した時、トモシが口を開いた。「ほんとはね、パパのこと知ってるわけじゃないの」そして、その続きをポツポツと話し始めた。

トモシは長い間、何かに取り憑かれたようにずっと口を動かしていた。嫌に具体的に特定の誰かについての話をしている。

どうやらトモシには前世の記憶があるらしい。トモキとシズカは詳しく話を聞くことにした。トモシの前世についてまとめると次のようになる。


秋田県にて、一人っ子で生まれたその男は、大学の入学とともに東京へ出てきた。しかし、上手く馴染めず大学を中退して、秋田に帰ろうとしたところ、両親が実家の火事で亡くなったとの知らせを受ける。

帰るところもなくなり、居場所もないその男は自殺を考え始めていた。しかし、そんな折に運命の出会いを果たす。

夜、死に場所を求めて川沿いを、ただひたすら下っていた時、橋の下でしゃがみ込んでいる人を見つけた。

いつもなら素通りするところだが、その時はなぜかその人のことが気になった。近くに行くと、段ボールの中の猫の世話をしていることがわかった。

しゃがみ込んでいた女は、後ろに立つ男に気づくと、「きゃ」と声をあげ後退りしたが、しばらくして、男が何もしてこないことに気づくと、「一緒にエサあげます?」と遠慮がちに声をかけてきた。

それが運命の出会いだった。それから2人は会う回数を増やし、付き合うことになった。

付き合い始めて2年が経ったころ、彼女は赤ちゃんを身籠った。男は覚悟を決め、相手方の両親に挨拶をしに行くが、彼女の両親は激怒し、コップを投げつけられ、二度と来るなと怒鳴られた。

それでも2人は別れることはせず、子供を産むことを決めた。男は必死になって仕事に励み、彼女のために、そして彼女の両親に認めてもらおうと努力した。

ある日、病院から電話があり、子供がもうすぐで産まれそうだとの連絡を受けた。男はすぐさま会社を飛び出し病院へ向かう。この日に渡そうと決めていた、結婚指輪をポケットに忍ばせていた。

男は人混みをかき分け、全力で脇目も振らず走った。走って走って走った。周りから「キャー」と言う悲鳴が聞こえる。気づくと、キーーと音を響かせたトラックが、こちらに向かって突っ込んできていた。重い衝撃を受ける。

目を覚ました時には、左足を動かすことはほとんどできず、さらに左腕はなかった。

男は自分の行いを悔いた。そして泣いた。どうしていいかわからなかった。ただ、子供が無事生まれてきてくれたことだけが唯一の救いだった。

退院日、病院から外に出ると、彼女が子供を抱き迎えに来てくれていた。子供はもう少しで2歳になっていた。男は我が子を初めて右腕で抱き締めると覚悟を決めた。

病院を出たその足で、彼女の実家へ向かう。彼女の両親は男を見ると驚いた表情をしたが、それでも結婚を許さないと言う態度は崩さなかった。

「勝手に子供を作ったと思えば、体半分を無くして、その上で娘さんを下さいなどとよく言えたものだ」と怒り心頭で捲し立ててきた。それでも男は諦めず頭を下げ続けた。

3時間以上の話し合いの結果、両親は「勝手にしろ」とだけ言い残し部屋の奥へ消えていった。


そこまで聞くと、トモキはトモシの口を思わず押さえた。もうこれ以上、話の続きを聞く気になれなかった。何故か涙が溢れてどうしようもない。感情が壊れていたのかも知れない。

シズカも隣で虚空を見つめながら、ただただ、涙を流していた。

何がなんだかわからない。でも、一つだけ言えることがある。トモシが口にした男の人生。

それは、トモキの人生だった。




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