コロナ禍がもたらした私への変化。
新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、はや1年半。
暮らし方、働き方、考え方、価値観が変わったという話はよく聞く。
今回は、生活様式が一変し、そんな状況が私にもたらした良い変化を挙げてみる。
※新型コロナウイルスの蔓延により、大切な人の命が失われ、苦しんでいる方もたくさんいます。決してコロナ禍になって良かったとは思いません。そこは切り離して、読んでいただけたら嬉しいです。
自分のスッピンに見慣れた
15歳の高校入学の頃から、化粧を始めた。そこから今までほとんど毎日化粧をしていた。準備が遅れ、学校に遅刻しそうな時も、遅刻するかどうかよりも化粧をして可愛い顔で登校したかった。だれに会うでもなくコンビニに行くときも、家族でご飯に行くときも化粧をした。母から「早くしなさい、あんたのスッピンはよく知ってるよ」とはよく言われたものだ。
私にとって、化粧は習慣の一つだった。出かける前に歯を磨くように、家に帰ったら手洗いうがいをするが如く、当たり前のように化粧をしていた。もはや起きている時間のうち、素顔でいるより化粧をしている時間のほうが長かった。
そんな習慣を変えたのが、日常的なマスク生活だ。そして、人前でマスクを外さないことが正義という今の状況だ。「マスクをしているし、今日は化粧しなくていいかな」が継続し、気付けば、人に会う時も化粧をしなくなっていた。今まで、家から一歩出るなら化粧をしていた私がだ。
そんなこんなで私は自分のスッピンに見慣れることができたのだ。
スッピンでいることが当たり前になった今、なぜ今まであんなに化粧をしていたのかわからない。化粧は対して必要ないと思えたことは良い発見だった。習慣とは恐ろしい。
そんな無理して人に会わなくてもいい
コロナ前、私は時間さえあれば友人に会っていた。
転職や引越し、海外移住など報告する事柄が割と短い期間で沢山あったせいもあるかもしれない。最近中学の友人に会っていないと思ったら連絡を入れ、会う約束を取り付ける。それを高校の友人、大学の友人、会社の同期、といった具合に連絡をしては会っていた。
我ながら恐怖なのは、「会いたいから会う」というよりは、「最近会っていないから会う」という心理だ。
今振り返っても自分がよくわからない。何がしたかったんだろう。人に会って友人関係を継続させることが人生の充実だと思っていたのだろうか。
中々人に直接会えない世の中になって、私は寂しさよりもスッキリしている。昔の自分に言いたいのは、人間関係の断捨離も必要だということ。
これからは、会いたいと思う人に会えば良い。
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こうして昔の自分を振り返ると、だいぶ恐怖だ。当たり前にやってきたことを、それ必要?と疑問を持つきっかけって、ただの状況だったりする。