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オタク活動に注意? 芸能人を好きになり過ぎると「知能が低下」するとの研究報告(なんだって)

「newsweekjapan.jp」に、こんな記事が出ていた。
少し前の記事だが、面白いので、メモっておいたものだ。

オタク活動に注意? 芸能人を好きになり過ぎると「知能が低下」するとの研究報告
Celeb Worship and IQ
 2022年1月19日(水)18時18分
 ニック・モドワネック

<有名人への「過度な関心」は、知的機能の低さと「弱いが一貫した」相関関係があるとハンガリーの研究チーム>

テレビやネットで話題の人に街で会ったら、駆け寄ってスマホを取り出し、一緒に写真に収まりたいですか? その人の着ている服や好きな食べ物がすごく気になりますか? その人のツイートには必ず反応しますか? もしもそうなら、あなたは過度なセレブ崇拝に陥っていて、いささか認知能力(知能)が低下しているのかもしれない。

いや、これは本誌の主張ではない。昨年11月に発表されたハンガリーでの心理学的研究の結果だ。それは「セレブ崇拝と認知能力」の関係を精査したもので、セレブの影響力とセレブ好きな人の認知能力を探るために、多数の成人を被験者としてテストを実施したという。

被験者はハンガリー各地の成人1763人で、うち66%は男性。年齢構成は18~79歳(平均37歳)で、70%以上は大学を卒業していた。

所得水準にはばらつきがあり、自己申告では被験者の約3分の1が月収(手取り)1005~2003ドルだったが、3338ドル以上という人も2割ほどいた。

被験者には語彙と計算能力の知能テストを受けてもらった。どちらも30項目あり、語彙の場合には百科事典からランダムに選んだ30の単語を示し、その定義を4つの選択肢から選ばせた。

研究者たちは、セレブ崇拝の度合いが高い人は認知能力が低いという仮説を立て、それを実証するためにオンラインでテストを実施した。結果は仮説どおりだったが、「その相関は弱い」そうだ。

セレブ崇拝の度合いについては、23の質問に対して「強くそう思わない」から「強くそう思う」まで、5段階のランク付けをしてもらい、セレブ態度尺度(CAS)を測定した。スコアが高い人ほどセレブに夢中ということだ。

思い入れが強まるあまり
CASではセレブ崇拝の度合いを3段階に分ける。最も軽いのが「エンターテインメント・ソーシャル」で、「お気に入りのセレブは今、何をしているかな」と考える程度。次が「インテンス・パーソナル」で、常にセレブのことが頭から離れない状態。最後は「ボーダーライン・パソロジカル」で、お気に入りのセレブが望むなら違法行為もしてしまうような状態を指す。

そして知能テストとCASの相関を調べると、「エンターテインメント・ソーシャル」の人を除くと「全てのケースでセレブ崇拝と認知能力の間に負の相関が確認できた」とされている。

この研究報告によれば、教育水準や所得水準などの違いを考慮しても「セレブ崇拝の高さと認知能力の低さのダイレクトな相関は、弱いが一貫して見られる」という。

つまり、過度なセレブ崇拝に陥ると、その人物に対する「一方的な思い入れ」が強まるあまり、それ以外の作業に対する集中力が落ち、結果として認知能力が損なわれる可能性があるということだ。

なんとなく納得できそうな話で、似たような傾向はアルコール依存症などでも指摘されている。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2022/01/post-97884.php


「芸能人マニア」あるいは「セレブ(有名人)好き」を「オタク活動」と表現するのは、間違いではないにしろ、ちょっと「なんでもかんでもオタク」という感じもしないではない。なぜなら、極端なものでなければ、ほとんど9割がたの人が「有名人好き」であり、そうでないのは、私のような一部の「へそ曲がり」であって、むしろそっちの方が「普通ではない」と考えるからだ。

しかし、この記事の眼目は「芸能人(セレブ)のことばっかり考えているような人は、知能が低下するという、研究結果が発表された」ということであり、「ことばっかり考えているような(極端な・マニアックな)人」が対象だし、言うなれば「だいたい、みんなが感じていたことを裏付ける研究発表があった」ということに過ぎない。つまり、検証された「仮説」自体は、一般にも、特に意外性のあるものではないのである。

芸能人などの有名人のことばかり考えて、キャアキャア言っている人は、傍目にも賢そうには見えないし、仮に地頭が良かったとしても、そんなことばかりに時間を費やしていたら、賢くならないのは当然として、いずれ知能が低下するのは必然だろう。
人間の脳というのは、一説によれば「50代から劣化するが、それは30〜40代の使い方次第であり、若い頃から脳の機能をまんべんなく刺激していくことが大切だ」という話だが、これはごく常識的な、妥当性ある脳理解なのではないだろうか。つまり、例えば、単に「頭を使う」だけではなく、やはり適度な運動もすべきだ、といったようなことであろう。運動をすることも、脳のある部分を使うことになるからだ。

また、「頭を使う」と言っても、いろいろな使い方があるから、できればいろんな違ったパターンの使い方をするといいだろう。同じパターンの「頭の使い方」を繰り返しているだけでは、局所脳的に有能にはなっても、全体としては、偏頗で弱点の多いものにならざるを得ない。

例えば「読書」するにしても、「ミステリ」ばかり読むよりは「SF」も「純文学」も「評論」も「エッセイ」も「詩歌」も読むに越したことはないだろう。「文学」だけではなく、「哲学書」や「学術書」を読むのも、もちろん良い。また、難しいものだけではなく「マンガ」などの娯楽作品も良いし、マンガを含め「画集」などのビジュアル書を読むのも、きっと活字本を読むのとは違った刺激を、脳は与えることになるだろう。

結局、この記事が最後に書いているとおりで『何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。』で、徹底的にやるのは、その部分では素晴らしいことだし、楽しいことでもあろうけれど、時間の限られた人間にとって、何かを徹底的にやるということは、他の何かを諦めなくてはならない、ということにもなる。その結果として、ある一面が優れていたとしても、バランスの悪い、弱点の多い人に、あるいは「脳」になってしまう。

しかし、前記のとおりこれも、「脳」を鍛えるというだけの限定的な話であり、体の他の部分も適度に鍛えないと、のちのちいろいろな問題が出てくる蓋然性が高いだろう。だから、アスリートになれるほど、一つのことについて打ち込む必要はなどさらさらないが、健全な肉体を保つためには、全体にそこそこ、使う必要があるはずだ。

そんなわけで、脳もその他の体もバランスよく健全な人間であるということは、きわめて大変なことであり、実際のところ、そんなにバランスのいい人など、いないに等しいとも言えるだろう。
どうしたって、人間は、好きなことを優先してしまうし、ぜんぶはやれず、おのずと、やることを選択しなければならないとなれば、好きなことを選択するのは当然なのだ。
しかしまた、それにしたって、ある程度のバランス感覚は必要で、そこに配慮できないと、身体的には頑強なバカになったり、病弱な頭でっかちになったりするということなのである。

ところで、この記事でインパクトがあるのは、冒頭の次の部分だろう。

『テレビやネットで話題の人に街で会ったら、駆け寄ってスマホを取り出し、一緒に写真に収まりたいですか? その人の着ている服や好きな食べ物がすごく気になりますか? その人のツイートには必ず反応しますか? もしもそうなら、あなたは過度なセレブ崇拝に陥っていて、いささか認知能力(知能)が低下しているのかもしれない。』

こんな人なら、少なくないのではないだろうか。
これは、実際にそうするという話ではなく、「(し)たいですか?」「すごく気になりますか?」「必ず反応しますか?」ということで、要は「心の中での反応」の話だからだ。

ただ、気をつけなくてはいけないのは、この記事が訴えているのは「こんな人は、頭が悪い」ということではなく「いずれ、悪くなる」という点である。

こうした人も、この時点では、そうしない人と比べて、特に頭が悪いというわけではない。しかし、そんな頭を使わない偏頗な趣味にばかり耽溺していると、いずれ知能が人よりも早く退化していくよ、ということなのだ。今は劣っていなくても、先々危ないということである。

幸い私は、頭を使う趣味も、あまり使わない趣味も持っているし、読書に関しても、自覚的にジャンル散らしている。思考をタコツボ化させたくはないからだ。
しかし、運動に関しては、全くやっていないから、極端な話、いつどうなってもおかしくないし、下手をすれば、母の血を引いて脳梗塞にでもなり、半身不随などという不本意なことに、明日なってもおかしくはない。

だから、来年、定年退職したら、無理のない程度の運動を始めるつもりである。
私は、時間を有効的に使いたい人間だから、決して寝るのが好きというわけではないのだが「寝不足では、本も読めなければ文章も書けないから、睡眠は十二分にとる」ということを心がけてきた。今後は、それに「運動」が加わるといいうわけだ。

無論、私とて、やりたいことだけやっていたいのだが、やりたいことをやり続けるためには、多少はやりたくなくてもやらないわけにはいかない、くらいのことは理解している。
つまり、どんなに頭が良くても、一つのことに耽溺することの危険性に気づけないような頭の良さというのは、その視野狭窄性において、十分に頭が良いとは言えない、ということであろう。
だから、芸能人(セレブ)好きも決して悪くはないが、そればかりでは「バカになるぞ」ということだ。

私は以前に、「井の中の蛙、大海を知らず」と題する、高橋一清『芥川賞直木賞秘話』のレビューを書いたが、そこで語ったことも、結局はこれと同じことなのである。

(2022年4月12日)

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