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自民党の〈見取り図〉と、人生の〈海図〉

書評:中島岳志『自民党 価値とリスクのマトリックス』(スタンド・ブックス)

物事を正しく評価するためには、その対象についての「知識」が是非とも必要である。
しかし、私たちの目の前に広がる現実としての「政治の問題」は、あまりにも広大かつ奥深いために、それに真面目に向き合おうとすればするほど、私たちは時に、当惑と徒労感にとらわれざるを得ない。
自分一人で「ぜんぶ」調べ確かめて知ることなど、到底できはしない。だからこそ、良書に接することが重要であり、本書はまさにそのような一書だと言えよう。

もっとも、本書が与えてくれるのは、現在の自民党有力政治家たちの「おおまかな性格」と、自民党内のおおまかな潮流の変化に限定されており、著者自身が本書で目指したものは、そうした「おおまかな見取り図」を、読者に提供することであったと言えるだろう。

例えば、本書で扱われる「安倍晋三、石破茂、菅義偉、野田聖子、河野太郎、岸田文雄、加藤勝信、小渕優子、小泉進次郎」の9人について、本書では、それぞれの著作や活字化された対談などの言葉によって、その思想を探っているのだが、無論、この手法には限界がある。
つまり「不都合なことは語らない」という防衛手段がしばしば採られている以上、その本音が奈辺にあるのかについては、周辺情報から類推するしかないからだ。

しかし、本書の目指したものは、これらの政治家の「すべて」を探り語ることではない。あくまでも、すでに公開されている情報に丹念に当たることで「おおまかな肖像」を描くことなのだから、「詳細ではない」ことは、本書の弱点ではないのである。

著者が、本書で最終的に目指したところとは、著者のしめした「おおまかな見取り図」を参考にして、読者それぞれが「自分の目」で、政治家たちを見極める努力を重ねていくことである。
そしてそれは、個々の政治家を扱った本を読んだりするだけではなく、政治思想の本や、時には歴史書や文学書などに親しむといった「広範な人生経験」の中で、政治家個々の問題に限定せず、「社会と政治」の問題に広く目配りして、そこから政治家個々を適切に判定評価しうる「総合的な眼力」を身につける、ということであろう。

著者は「あとがき」に、次のようなエピソードを紹介している。

『 私の曽祖母は、小学生の私が「誰に投票したのか」と尋ねると、ひと言「男前」と答えました。彼女が言った「男前」とは「イケメン」のことではありません。政治家として信用できる「顔つき」をしているのかを判断してきたと言っているのです。つまり、人生経験を踏まえた人間判断をしたと言うのです。
 これは大切なことだと思います。私たちは、駅前に立って演説している政治家の横を何気なく通り過ぎていますが、実は目の端でしっかりとチェックしています。一緒にいる運動員にエラそうな態度をとっていないか、いい加減な姿勢で話をしていないか。そんなことを、さっとチェックしています。
 これは自分の人生経験を通じた人間判断です。間接民主制において重要なことは政策やヴィジョンに加えて、国会での議論を任せるに足る人間なのかどうかを判断することです。
 政治の仕事では政策立案などの「テクニカル・ナレッジ」(技術的な知)よりも、合意形成のための人間的な「プラクティカル・ナレッジ」(実践的な知)のほうが重要な意味を持つ一一。イギリスの保守派を代表する政治哲学者マイケル・オークショットは、そう述べています。私たちは選挙において、ヴィジョンと人物の総合的な判断をしなければなりません。』(P218〜219)

つまり、私たちは、政治や政治家について、必要な「知識」を持つと同時に、「人を見る目」を養わなければならない、ということなのだ。

政治家であれ一般人であれ、いくらご立派なことを語っていても、それがその人の「本音」であるという保証など、どこにもありはしない。
しかし、同じことを語っていても「こっちの方は信用できそうだが、こっちは嘘くさい」というのは確実にあることなのだから、あとは、それぞれがそうした判断力をどれだけ身につけることができるか、ということになるだろう。

「言葉の軽い政治家」「自分の言葉に責任をとらない政治家」が、のうのうと跋扈している、今の日本の政界であるからこそ、政治家を選ぶ側の私たち自身も、「選択的なイデオロギー(字面やきれいごと)」ではなく、それぞれの「人生に誠実に立脚した思想」を持たなければならないし、そこから、そうした「生きた思想」を持つ「人間政治家」を見いださなければならないのではないだろうか。

本書は、そうした人生航路における、良き「海図」でもあると言えよう。

初出:2020年3月20日「Amazonレビュー」

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