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ほっ。

今年から妹はひとり暮らしを始めました。
すごく寂しいという感じではないのだけど前と変わりました。

自分の周りで変化があるとき、今までのものが「懐かしいもの」になったり、「当たり前」が別のものになってしまうことに切なさや寂しさや悲しさがぐるぐる混ざったものが残ります。

最近は「変わりたくないな」と思う毎日です。
自分がたまに感じていたりする他愛もない出来事に嬉くなる気持ちや、生活の中でほっとする気持ちを今とおんなじ温度のまま少しでもなくしたくない。という感じでしょうか。

わたしは20歳の頃から、摂食障害やうつ病、不安障害といった心身の症状を経験しました。
少し前まであったはずの生活があっという間になくなってしまって、気づけば泣いていたり、自分が誰だかわからなくなったり、人生を投げ出してしまいたいと何度も何度も考えたことがありました。

誰かに会って「嬉しい」とか、食事に出かけて「美味しい」とか「楽しい」とか、そういう気持ちが湧いてくれなくて、別れた後にも明日にも残ってくれなくなってしまうことがあるんだ。と、感じました。
「お腹がすいた〜」と好きなものを食べ、「疲れた、ねむたい」とあくびが出て眠る。当たり前にあったはずの生活が、あまりに遠く手の届かないものになってしまうことがあるんだと知りました。

大事なものを失くしたくないな、と。

最近は唐突に、いろんな意味で、わたしは今日まで何をしていたんだろう。と、自信がなくなるときもたくさんあります。
ずっと、自分なりに決めたことをやっていたはずで、そのときはそれが一番いいと思ったはずで、けれど見方を変えると突然迷子になってしまいます。
自信って、積もっていくものだと思っていたのですが、そうじゃないんだとこの数年で感じることがあって。
いろんなことを知って考え方が広がるほどわからなっていくと知り合いの方は話していました。

一つのモノゴトに対して、たくさんのことを受け取ったり、たくさん考えてしまうところは昔からあって、いくつかのことを同時に進めることもすごく苦手な分野でした。
それをわたしはわかっていたけど上手くやれない自分に怒ったり、自分で自分を嫌がったりすることがよくあって、感情に振り回されてしまうことも否定的に捉えていたことがありました。
けれど自分だから感じられることがあって、自分だからとる行動があって、自分だから上手くいかないことがあって、それが「らしさ」だと言うのなら少しだけ心が明るくなるような気持ちになったこともありました。

自分のことを考えるタイミング、それにかかる時間はきっと人それぞれだけれど、それとは別に、わたしは目指すものと憧れを混同したこともありました。
自分の目指せる形、自分が安心する形、それを置き去りにしても憧れを重ねようとするわたしがいて、「こんな人になりたい」という強い憧れはたくさんの無理になって自分を傷つけました。

知らない感情を経験して、知らない思いを経験して、これからもそうやって大人になっていくのだとしたら少しうんざりするような、けれど大切だと思う時間の中にいると「きっとあっという間。」という気持ちになったりもします。
気持ちは動いてばかりですが、時間は愛しいです。

そして、最近気がつきましたが、わたしはほっとするのが好きなセロトニンの人なのだ。

寒くなったのでご自愛くださいね〜🍠

いただいたサポートはわたし自身がわたしのまま健全に生活をするため、そして周りの人にしあわせを配っていくための資金にさせていただきます。