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高校生の私がクラスの騒動になって捨ててしまった物

私は子供の頃から詩を読むのが好きだった。
国語の教科書に載っている詩も好きだったし、親や祖母が買ったであろう家にあった詩集も何度も読んだ。

小学校高学年からは、自分で書くのも好きになった。
別にうまくもなんともないけれど、言葉で心の景色みたいなものを表現する事が楽しかった。

中・高校生になると、ノートやルーズリーフに書いた詩がたくさんあった。

でもあるとき、2つのことが原因で、ほとんど捨ててしまった。


…1つ目…
高校生のときに国語の授業で、クラス全員の詩が匿名で載っている詩集を作った。
それが配られると、クラスメイトがある詩を読んで 
「これ○○(アーティスト)のパクリだよ。」 
と言い出した。
みんな驚いてその詩を読んでいる。
私も気になったのでどれどれと友達に聞いてみると、それは私が書いた詩だった。

もちろん私が書いた詩なので、パクリではない。
私はわけがわからなくなって、とりあえず、なにがどうとかでなく、ものすごくショックを受けた。
クラス内が、"これはパクッた詩だ"とちょっとした騒動になり、休み時間になると別のクラスまで話が広がってしまった。

私には、
「それは私が書いた物で、パクリなどではない」
などと言う勇気はなかった。

すると○○(アーティスト)にとても詳しいという別のクラスの子がやってきて、私の詩を読んだ。

この子は一体何て言うんだろう。
私は自分が悪い事をしたわけでもないのにとても怖くなった。

「この詩は1度も見たことないよ。〇〇のじゃない。」

その子が放ったこの一言によって、パクリ疑惑は瞬時に消えた。

パクリだと言った子は、何を根拠にそう言ったのか、思ったのかはわからない。

幸か不幸か匿名であったために、その子はもちろん謝罪の言葉を口にする事もなく、私はひとり傷付いて、落ち込んで、 疑惑が消えてもモヤモヤが晴れなかった。

表紙を見るのも、持っているのも辛くなり、せっかくみんなの詩が載ってるのに、私はその詩集を捨ててしまった。

私がその詩集のために提出した詩は、書き溜めていた自分の詩集ノートに書いてあって、 私のお気に入りだった。


…2つ目…
書き溜めた詩は、季節や日常を綴ったものの他は、ほとんどがそのときの恋愛に関する自分の気持ちを書いたものだ。

数年経って、いくつかの出会いと別れがある中で、何を血迷ったか、「こんな過去の思い出はいらない」 と思った。
過去の恋愛に未練はないが、その時の詩がここにある事で、当時の気持ちがまだここにあるような気がしてしまったのだ。

それに高校生のときのあのショックから、私はあまり詩を書かなくなっていて、 自分でも読み返したりしなくなっていた。

それで… 

持っていた詩のほとんどを捨ててしまった。



もったいないことしたなぁ。
と、今になると思う。
あの頃の気持ちはもう体験できないし、もう書けない。 

好きな人に想いが伝わらない苦しさとか 
付き合ってるのになんでこんなに寂しいんだろうとか 
うまくいってる時の幸せな気持ちとか 
あの時にしか感じられなかった気持ちとか幼さとか純粋さとかが
あんなにたくさん詰まっていたのに。 

もったいないなぁ。 


🐈‍⬛ …   📝


過去の失敗談でした。
昔書いてた日記を一部修正したものです。

ある時自分の書いた詩集が急に恥ずかしくなって、捨ててしまった事は覚えていたけれど、高校時代にこんな事があったなんて、すっかり忘れていました。
実際、パクリだと言った子が誰だったのかもはっきりは覚えていません。その当時も、その子を嫌いになったりはしてなかったと思います。

私、◯◯ぐらい詩を書く才能あるってこと?
ぐらいにポジティブ変換してたかもしれない。
それはそれで図々しい事この上ない。

最後まで読んでくだり
ありがとうございました📖

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  いつかの夕焼け

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心から感謝します。 Thank you from the bottom of my heart.

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