書くほど「テーマ」が増えていく、という嘘のような本当の話。
疑問:私は書けないのに、あの人はなぜ毎日noteを書けるの。
不思議に思うのも無理はない。毎日毎日noteに向かい、書くエッセイ、コラム、小説等々。どれも斬新で面白い。そんなこと考えたことも無かった。さぞかし、波乱万丈な人生なのだろう。そうに違いない。そうでないとおかしいではないか。
あるいは、天才なのだ。書かずにはいられない天才。身の回りの灰色な出来事を鮮やかに彩る、演出の天才。そう、天才だからできる。私は天才ではない。でないとおかしいではないか。なぜあの人にできて、私にはできないのか。
結論:書くことで、書くことが増えていく
ビジネスパーソンらしく、結論から述べよう。書けば書くほど、書くことが増えていく。これが結論だ。noteの公理と言ってもいい。あの人の発想力が凄いのではない。たくさん書いているから、どんどん書くことが増えているだけだ。noteの公理。決まった。今年のイグノーベル賞は私のものだろう。
例示:書くことで、書くことが増えていく例
果たしてあるのだろうか、そのようなことが。
たとえば、近所の公園について書いてみる。それは、何の変哲も無い日常の、ほんのささいな一場面に過ぎない。窓から聞こえてくる喧騒を訝しく思いながら、「最近、公園が賑やかだ」のような、他愛いないことを書いたとしよう。
すると、ほんの少し注意して公園を見るようになる。noteを書いたあなたの解像度は、noteを書く前より一段上がる。これにより、明日の貴方は、公園を窓越しに眺め、全体のビジュアルを書くかもしれない。(例えば、「こんなに広かったんだな」「すっかり、桜も散って夏らしくなってきたな。等」)
数日後、外出自粛期間の気晴らしに、公園を何となく散歩してみたとする。すると、薔薇の花が植わっているなとか、こんな遊具があったのか、ということに気づくかもしれない。公園に対する貴方の解像度は、「久しぶりに歩いてみた」という経験を通して、また上がることだろう。
後日、以前植わっていた薔薇の品種が気になって、何とはなしに少し調べてみる。どうやら「マリリン・モンロー」というらしい。にくいネーミングだ。もう少し気になって、変わった名前の薔薇を調べると、「オードリー・ヘップバーン」という名前も出てきた。薔薇の花で、何だか映画でも作れてしまいそうだ。貴方は何気ない興味から、他愛ないテーマを別のテーマとリンクさせる。
週末。もう一度、(今度はよこしまな下心を抱えながら)あの薔薇の前に立ってみる。私の心と違って綺麗に整備された花々。ふと下に目をやると、「○○花の会」と書かれた札がある。こんな綺麗な花を手入れしている人たちがいる。HPを覗いてみよう。そこに、薔薇に対する想い、活動を通して伝えたいメッセージが躍っている。素晴らしい、この感動をしたためておこう。
今、貴方よりこの公園について知っている人は、恐らくそういない。目の前のありふれた日常が、貴方なりのレンズを経てnoteという世界に彩られる。
誤解:あの人も「高尚なテーマ」を書いているわけではない
こうして、何気ないことに疑問を持ったり、それを文字にしたりすることで、テーマは泉のように湧いてくる。最初は味気なかったはずのnoteも、そういう「切り取り方」に個性が表れて、だんだん読みごたえが出てくる。貴方が好きなあのnoterさんも、別段高尚なテーマを書いているわけではない。その「切り取り方」が、個性的なだけなのだ。
もちろん、せっかく湧いてくるテーマの泉に蓋をしては、いつまでたっても書くことはできない。蓋となる言葉は、次のようなフレーズだ。「こんなことは下らない。」「興味を持たれない。」「もっと高尚な文章が書ける。」「こんなことが書きたいんじゃない。」…口にするのは少し勿体無い。
そんなことは、書くことがあり過ぎて困ってから悩めばいい。「公園」について書くなんてありふれていてくだらない、と最初の一歩で切り捨ててしまえば、後に続く薔薇のnoteは生まれない。noteの再生産数だけは、しっかりちゃっかり1を超えていこう。
具体案:過去のnoteを見返してみよう
いくつか書いたnoteを、見返してみよう。
・なぜこの言葉を選んだのだろう。こんな表現はどうだろうか。
・なぜこういう気持ちだったのか。今ならこう思えるのに。
・文字数の関係で端折ったけど、本当はこれも書きたかった。
・同じテーマについて、他の人はどういう風に感じているのだろう。
・反対の意見の人は、なぜ反対しているのか、賛成の人は、なぜ賛成しているのか。
・今同じテーマで書くとしたら、どういうnoteになるだろうか。
・より具体的に掘り下げられないか、調べてみたらどうだろう。
・その場所にもし行けたら。いけなくても、グーグルアースで覗いてみたらどんなかな。etc
そんな視点でnoteを見返すことで、noteが広がりを見せるはずだ。深堀なんてどうやって…なんて時は、副詞表現(「自然に」「ふと」「思いがけず」「驚くべきことに」「何となく」等)に着目すれば良い。そう思った背景などを、具体化する好機到来だ。
天才からのエール
人の一生、起こる偶然の数に大差はない。貴方なりの「24時間」の積み重ねの中に、「貴方なりの切り取り方」が必ず備わっている。
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。(アルバート・アインシュタン)
書くことで、貴方の視点はどんどん広がり、書くことが増えていく。これこそ、noteを書き続ける人の、たった一つのコツなのだ。かの天才が謙虚に送るエールにのせられて、貴方もnote一筆いかがだろうか。
おしまい。
私のように、「書くのは得意ではないけれどnoteを書きたい」という方で、「しかし、具体的なプロセスが知りたいのよ、プロセスが」という方向けに書いたnoteです。
長いですが、最初から読んでもらえると、少しお悩みが減るかもしれません。
何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)