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いつかの宙のゆりかご
私の朝の日課は、壁一面の透明な蜂の巣に挨拶をすることだ。強化クリスタル素材で作られた正六角形の集合住宅には、蜂ではなく蚕が住んでいる。立派な白い繭がほとんどの小部屋を占めていて、なんとも嬉しい気持ちになった。
蚕たちは、この宇宙ステーションの宝だ。半世紀前、宇宙で一から養蚕を、という前代未聞の実験が大成功した。今では宇宙で織られた絹は「星の竪琴」というブランド名で世界中に知れ渡っている。
タブレットを片手に繭の様子をしっかり確認する。この宇宙ステーションでは桑の葉の栽培から絹糸作りまでを行っている。私は繭の世話役だ。念願の宇宙ステーションの一員になれたと浮足立っていた頃は、繭の世話という仕事に心底がっかりしたものだ。しかし今では繭たちを守ることが生きがいになっている。人は変わるものだ。
ふっくらとした繭に目を細めていると、耳をつんざくようなアラーム音が鳴り響いた。非常事態を知らせる警報だ。急いで広い制御室に集まると、もうほとんどの船員たちが集まっていた。年若い船長は静かに口を開いた。
「進行方向にデブリが見つかりました。形状から見て衛星か宇宙船が落とした鉄屑でしょう。まったく、迷惑な忘れ物です」
最近よく廃棄物、デブリに遭遇する。船長の長いため息を遮るように、勢いよく手を挙げた。
「私がちょっと行って取ってきますよ。私だけで十分でしょう」
この場の緊張が緩む気配に苦笑する。宇宙空間での危険作業は、誰でも御免こうむりたいものだ。もちろん私も。しかし繭のためなら仕方ない。
「では、頼みます。くれぐれも安全第一で」
頷いて更衣室へと急ぐ。本当は可愛い繭たちのデータでも取っていたい。そう思いながら宇宙服を着込み、回収用の道具を抱えて無重力の世界に飛び込んだ。
なんとか鉄屑に近づいて網を被せようとした時、妙なことに気付いた。鉄屑に細かい羽毛のようなものが大量に付いている。困惑していると鉄屑の隙間から白い毛玉がひょっこり出てきた。文字通りの毛玉だ。目も鼻も口もない。しかし短い手足のようなものはあり、必死にもがいていた。
両足を鉄屑に挟まれてしまったのだろう。繭に似ていると思ったら、迷わず片手を伸ばしていた。慎重に鉄屑を動かすと、白い毛玉はふわりと浮き上がった。ほっとして回収作業に戻るが、毛玉は去ろうとしない。結局、私の作業を最後まで見守っていた。
シャワーを浴びて水分を補給し、肩を回しながら繭の部屋へと戻る。繭たちに異常はないようだ。「ただいま」と声をかけると、「おかえり」という声が返ってきて呆然とする。幻聴。さっきの船外作業で私の耳に異常が?いいや、何もなかったはず。あの毛玉の出現以外は。
医務室へ向かおうとした時、背中に違和感を覚えた。服の下で何かがもぞもぞと…反射的に片手を背中に回すと、首元から何かが飛び出した。あの毛玉だ。声も出ない私の前で、毛玉は繭の部屋の中央にふよふよと浮かび、周囲を見回した。
「お…おかえ…さ…ぷ…」
毛玉から小さな声が聞こえる。さっきの声はこの毛玉か。まだ何か喋ろうとしているようだ。
「こ…こん…こんにちは。ふぅ、やっと言語学習と発声機能の調節が終わった。どうも。さっきは危ない所を助けてもらいまして」
お辞儀のような動きをする毛玉に目を見開く。どこに口があるのだろう。逃げなければいけないのに、気になってしまう。
「本来、私たちは思念で意思疎通するのです。今はあなたの背中に張り付いていた時に聞こえてきた言葉を学習して、即席で作った声帯で喋っています」
「っそ、それはそれは…すごいね…」
まずい。思ったことが瞬時に伝わるとなると、戦闘になったら勝ち目がない。
「敵意などありませんよ。私たちは星と星の間に糸を張り廻らせているだけの弱い生き物です。宇宙規模の丈夫な織物を作るために生きています。私たちの先祖は宇宙の終わる時刻を突き止めたのです。その時までに間に合わせなくてはいけません」
疑問符で頭がパンクしそうになっていると、毛玉は短い手足をばたつかせた。
「うんしょ…よいしょ…失礼。ただいま体内で布を織っていまして。最初の縦糸を張る作業が大変なのです。よいしょ」
「えっと、宇宙が終わるまでに織物を作らなきゃいけないのは、なぜ?忙しい所ごめんね」
「次の宇宙のためです。織物はハンモック型のゆりかご、のようなものになる予定です。私たちが生みだす糸は特別丈夫なので、星々が消えても残ります。生まれたての新宇宙をお守りできることでしょう。今、私たちは縦糸を張っています。この作業が終わったら、星々の生き物にお願いして横糸を織ってもらうのです。近いうちに地球の皆さまにもお願いするでしょう。ああ、宇宙崩壊は地球が自然崩壊する42億年後よりもずっと先なのでご心配なく」
とても人間には想像できない話だ。いつかの宙のために。思わず眠る繭たちを見た。君たちの糸を織り込めたら。次の宇宙にも地球の生き物が現れるかもしれない。
「ぽへっ」
突然、変な音を発した毛玉から何かが飛び出した。それは低重力空間を漂って、私の手元にやってきた。
「お礼の品です。ああ、普通の布ですよ。お好きに使ってください」
淡いオーロラのような色合いの小さな布は、角度を変えると金色にきらめく。そして信じられないほど滑らかで柔らかい。あの繭たちが生みだす布とそっくりだ。
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