『書く』チカラに必要なもの
今回はゲームを遊ぶものにも通じるとは
ことだろうと推測されますが、主に「書く」ということに焦点をあてたいと思います。
あんまり言うとこの記事を読め!!」と圧強めのひとになりかねないので、そこは遠慮しておきます。あくまで1意見です。
noteには日々たくさんの「言葉」が流れてきます。今日の出来事から明日のレシピ、旅行の予定から行ってみた系、俳句から詩、歌詞や運勢、ゲームの進行記事からバイオハザードのありがたいお話しまで。実にバラエティーに富んでいます。
どうして人はここまで言葉にしたいのか。
「書く」という行為はある種の快楽行動にも
思える行いです。
まず思い浮かべられるのは「想いに触れる」ですね。言葉通りの「行ってみた・やってみた」だけならばその通りでしょうが、それを行った本人の
「想いに触れる快感」があります。
読み手が時間を裂いてまで「読む」という行為までのリスクは思いのほか大きく、タイトルだけ流れてきても触れないのが標準モデル。
よほど引きの強いタイトルか、推しに推されるYouTuberでもない限り、どこの誰かの記事には触れないし、触りません。そのとき、たまたま開いた人が「想い」をのせる記事であったなら、それはナイス導きですね。
また、これはnote公式でも言われていることですが「画像」を適宜差し込むことで画面が華やかになります。差し込みすぎると画像に引っ張られた言葉選びになりがちなので乱発は避けた方がいいとは思いますが、ほどよく「添える」くらいがベストなんじゃないかと思います。
画像は言葉の5倍(50倍??)以上の情報量があるとも言われているので、ゲームならゲーム画面、旅行なら旅行の様子、レシピなら工程の画像を置いておくのがいいのではないでしょうか?
Googleの検索にも引っかかりやすいですし、Google自体も推奨しているので、SEOを意識しているのなら画像は貼った方がいいでしょう。有料記事はGoogleの検索AIには引っかからないのでご注意を。
想いというアンニュイなパーツだけで書く行為が行われるのか?と言ったらやっぱりそんなこともないとはいえ、「書く」のは本人がいちばん「気持ちがいい」し「気持ちに気がつける」のです。
書いて見ればわかる通り、意外に愛が深かったり薄かったり一言に「好き」と言ってもさまざまなグラデーションをもった絵の具だと感じられます。これがクセになる。沼ハマです。
ひたすらに描きたくなる。
想いを連ねる。
言葉が乱打されていく。
ある程度進んだところで、みなさんも推敲していると思いますが、(コケはやったりやらなかったり)
その時たくさん『読みます』よね?
何度も何度も確認しますよね?
誤字脱字のチェックから言葉の並びやら
「?」とならないように。
何度も何度も読みなおします。
ここに「書く」ということのヒントがあります。
「書き手」とは「読み手」です。
まったく相反するような事柄ですが、実はそうでもない。たくさん書くのならたくさん読みます。
コケは本を読むとき、必ず「前書き」を読みます。ここがつまらないと先が読めてしまう。
もちろん「あとがき」は最後に読みます。
どちらにも「想い」が載せてあります。
作品にこめた想い、携わってくれた出版社・編集者への想い、悔しい想い、たくさんあります。
だから作品というのは「創作」ではなく
「想作」だと思います。
書けないから読まないもあるでしょうが「読まないから書けない」とも言える。
「アニメでもいい作品」ってたくさん出会ったと思いますが、その時あなたは描きたくなりませんでした?
キャラクターを描きたくなりませんでしたか?
その印象的なシーンを紙に写してみませんでしたか?コケは悟空をアホみたいに描き写しました。
多分10000枚以上描きました。
たくさん描いても「あの悟空」を描くことは出来ませんでした。なぜなら「悟空をしっかり見ていないから」なんです。
あの悟空とは「カッコいい悟空」です。
フリーザ戦からセル戦、遡ってマジュニア戦、レッドリボン軍突撃編。。。
カッコいい悟空をたくさん追いかけても、あくまであたまの中の悟空であり、「カッコよさに至るまでの悟空」をしっかりと見ていなかった。
そこが抜けていました。
カッコよく魅せるテクニックばかり追いかけて
肝心の「カッコ良さの想い」はスルーしていました。
あなたが好きな文章はどういう想いで書かれたのか、どのような気持ちで言葉を置いているのか。そこに正解はなく、むしろそういう書き方、読み方をした方が俄然面白いものになるはずです。
ゲームでいえば、なぜこのクエストを置いたのか。布石の回収がなされなかったのは?
だってなんでもかんでも「意味がある」わけではないのです。
書き手の想いに作り手の想いに含まれるのは良い感じだけではありません。残念無念だって当然。
わかっちゃいるけれど描けないことだってある。
いろいろな制約の中で「ゲームを作っている」のがクリエイターです。
面白い書き手とは
「面白い読み手になる」ことです。
面白いゲームがなくなったわけではありません。
面白い遊びかたを忘れてしまっただけなんです。
漫然と読むよりも、漠然と書くよりも
断然面白い行為でしょう。
あなただけの「想いの気がつき方」って
あると思います。
書くなら読みましょう。最近本を読みすぎて
文字を追うだけで意味が汲み取れるようになりました。
そうなる必要はないかもしれないが、
書くチカラが欲しいのなら
『読むチカラ』も合わせて育てましょう。
映像や画像に頼りすぎて「考えるチカラ」が萎えている気がしてならない。
ふふ。エラそうですが。
今日はこの辺で。
コケでした〜。