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『生命とはなにか?』ゼノブレイドクロス


『自分とはなにか?』と聞かれるようになった。
世間に問われたからだ。

『あなたは何ができますか?』
と望まれるようになった。
世界が求めているからだ。

『自分が何者で何ができるか?』が答えられなければ生きている資格などないのだとハンコを押された。

心理学や精神学、それに付随する様々なテスト、分析。出来のいいものから悪いものまで、ネット社会では常にこの『あなたとはこういうものです』と提示する。おおかた『そういう一面もあるかもね』と納得はする。

西洋では『説明できないものは存在しない』とする価値観があり、それが日本で爆発的に普及した。オノマトペがその代表格。

”ロジカルシンキング”が注目を集めた頃、日本はぬけようのない大不況に見舞われ、今も抜け出せずにもがいている。

社会が探している。
この抜けようのない出口を作ってくれる人を。
あなたは何ができて、それが何であるかを証明しなさい』と。

心理学や精神学ではこれらは説明できない。
心理テストや精神分析でももちろん分析できない。人の思考も趣向も
統計と確率だけでは正確に表すことが難しい。

そうなると何が起こるか?
項目がやたらに増える
意味があるものから成さないものまで
とにかく全方位にステータスをくっつける。

中には共感できるポイントも出てくる訳で、
そりゃむやみやたらに撃つ鉄砲も数撃ちゃ当たる。これが現代の『心理学』や『精神学』が抱える問題。

カテゴリー分けは西洋文化の得意技だ。
根底には『あなたと私は違うのだ』から。
西洋では自身のアイデンティティーを重んじるし
貴族社会でもあるからパーツ毎にカテゴリーを分けるのは致し方ないともおもえる。

ではそのバラバラなパーツを組み合わせれば
それは『個人』になり得るのか?

組み分けされた自転車の部品を
もう一度組み直してみたら同じ自転車だと言えるのだろうか?見た目は同じだろうがバラバラにした時点で一度分解しているのだから、それはもう『異なる自転車
倫理観の問題だが、世に出ている心理学とはこういうものだ。と認識している。

分解してくっつけたら、それは元の自転車ですか?心理学や精神学の各項目を足して行けばそれはキミになるのか?

古来の日本は自分は『内と外』にあるものだった。日頃の生理的な気付きから、社会、風景、土壌、季節の移ろいから人々の動向まで。それらが結びついて『自分』を形成していった。
自分で自分を証明する必要もなかった。
自分が世界を感じて、世界が自分を感じて
周りと自分が手を取った時、自分ができていた。

風の変化を肌で感じて季節の匂いをかぎ取り
目で見抜き、自分で足を運んでいた。

『自分とは何か?』これは”身体”というものから
『精神だけ』を取り出したジャンク品にもおもえる。ジャンクを漁っているうちにバイアスがかかり、スマホ世界の『自分とはこういうものです』とグロウス(奴属化)する。

記憶も匂いも旅の思い出も
楽しい人々の会話も、全て温度のない小さなデバイスの中に映っている。心の細切れと全方位型のカテゴライズにすっかり慣れてしまっている、とも言える。

身体感覚がすっぽり
取り残されているのではないだろうか。

身体、とはつまり『生命体』
生命『いのち』だ。

普段は全く意識しないけれど
何もしなくとも体の中では細胞が忙しなく分裂し
休むことなく働いている。

熱が出れば汗をかこうとするし
血が流れなければ体は動かないし
1日に頭のエネルギーのために
1700kcalから2200kcalも必要とする。

それをただの一言
『お腹空いた』というサインだけでクリアできるのだから、よほど出来のいいシステムだと思う。

無意識の細胞と細胞が結びついて初めて
”身体”として機能する。
個々に用意されたパーツは部品でしかないが
組み合わさった時にはじめて
『自転車』として完成する。

世界と自分が組み合わさり
『自己』が認識できるのだ。

普段意識できないが、うまく機能してくれないことも多々あるしエラーだって起きる。なんだか試練めいたことも往々にして起こりうる。
細胞レベルでは『間違いや勘違い』はよく起こることなのに社会や世間では間違いは許されない。

言葉にできないものも隠した感情も、笑いながら泣くことも、怒っていても実は悲しいことだってある。

整合性ばかりがもてはやされるが、整合性がとれていなければ、人ではないのだろうか?
「自分はどういう人なのか?」を答えられることができなければ生命ではないのだろうか?
それはAIにも答えられないだろう。
矛盾や不純もあるのが人間だし。
これらを排除したら、それは人間なのだろうか?

求められるだけの世界に
エルマ』はいるのだろうか。

彼女は常に問いている。

『生きる』
『生きている』
『生きていく』とはなんなのかを。

『ゼノブレイドクロス』は”惑星ミラ”を通じて、
『生命』を見つめている。






ま、僕は心理テストも好きですけどね!

コケでした〜。


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コケノコケ /  喫茶ゲームハウス
サポートいただけるなんて奇跡が起きるのかは存じ上げていませんでしたが、その奇跡がまさかまさかに起きました!これからありがたくゲームのオトモ代(コーヒーとかお茶)いただけると大変喜びます。サポート設定ってあなどれないぜ…。