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硝子のような片想い
窓硝子を弾くと、こきんと冷たい音がした。
窓の外は晴れていて、もう抜け落ちかけた橙色の葉が風に揺れているのが見える。ここから見える世界は暖かそうな陽だまりに包まれているのに、指先に触れた窓硝子は冷たかった。
「外見てどうしたの?」
彼が両手に持ったグラスにはレモネードが入っていた。彼の歩幅に合わせて透けたイエローの水面が、上下に揺れている。四角い氷がグラスの淵にぶつかって、からかろと鈴のような音を立てていた。
「天気、いいなあって」
思わずうっとり外を眺めてしまう。
すると彼は、あからさまに不機嫌な顔になる。口元だけ笑いながら、眉間には皺。嘲るみたいな、憐れむみたいな、怒っているみたいな顔。
「外出たいの?」
「まさか」
不機嫌な彼の声を掻き消すみたいに食い気味にそう答えて、彼の手からレモネードを貰う。
試すようにじっと私のことを見ている彼に「美味しいよ、ありがとう」と笑えば、彼もホッとしたように息を吐いた。
「そうだよね、ここには僕がいるんだから、外になんて、行きたいわけないよね」
彼は言い聞かせるようにそう言った。
私は「そうだよ」と曖昧に笑いながら氷の浮いたレモネードに口をつけた。彼は、優しい。傷つきやすい私を守るために、彼は小さな家を買ってそこに私を閉じ込めている。
彼は、私にレモネードを入れてくれる。寒いと言えばココアを。酔いたいと言えばカクテルを作ってくれる。何から何まで用意して、頭のてっぺんから爪の先まで、お人形のように私を手入れする。
「美味しい?」
レモネードを口に含む私に、彼が尋ねた。
その瞳が見透かすように私のことを見るから、少し怖くなって目を逸らした。心まで見透かされては困る。
「おいしいよ」
告げると彼は、そう、と呟いた。
冷えた彼の声が、さっき弾いた窓硝子の音に重なる。
彼は窓硝子なのだ。
私と外の世界を区切る、窓硝子。
彼は、冬の雪から私を隠してくれる。夏の日差しから私を守ってくれる。春の花粉も、秋の虫にも、それらに触れないように私を閉じ込めてくれる。
「いつもありがとう」
彼の機嫌を取るように、やんわりと微笑みながらそう告げた。彼は、そう、とさっきよりも柔らかい声で満足そうに答える。
ああよかった。
この窓硝子は、まだ私を外から守ってくれる。
そう安堵しながら、またレモネードに口をつけた時。
外に人影が見えた。
キャラメル色のコートを羽織って、烏の濡れ羽色のハットを被った人影。もうほとんど坊主に近い木の下で、じっとこちらの窓を見上げている。
ふわふわの茶髪と、小さな顔に映える銀縁の丸眼鏡。小さいけれどスッと通った鼻筋と、薄く桜色の唇。睫毛の下の瞳は琥珀のように透き通るキャメルの色。
いつもの人だ。
冬になってから姿を現した、名前も仕事も出身も、なにも知らない人。何故かいつも、目が惹きつけられて仕方がない。華奢な肩を隠す分厚いコートでは、その人が男なのか女すらわからない。ミステリアス、という言葉で片付けるにはあまりにも不思議で神秘的な雰囲気を纏った人。
私のことを不機嫌そうに見つめている彼を視界の端に捉えながら、それでもその人を見ずにはいられない。
じっと見ていたら、その人の瞳が、確かに私を捉えた。長い睫毛の瞬きを見ながら、私は息を飲む。
その人の肉の薄い頬がキュッと持ち上がって、たしかに微笑んだ。私を見て、穏やかに、暖かな陽だまりのように、微笑んだ。
思わず「あ」と声を出した時、ぺちんと乾いた音が響いた。頬に走った衝撃に気を取られて、持っていたレモネードが手から滑り落ちていく。
がしゃん、と音を立ててグラスは砕けて、白い床にはきらきらと光を反射する硝子の破片が散らばっていた。
「お前は、僕のものだろうが」
彼が冷ややかな目で告げる。
私は床に砕けている硝子片を見下ろしながら、頬の熱を撫でた。レモネードの湖に溺れかけている硝子の欠片たちの断面は、歪で、だからこそ光を眩く反射する。
「私には、あなたしか居ないよ」
彼のことを見つめながらそう言った。
彼は瞳の奥に怒りの色を隠しながら、けれど穏やかに笑った。悲しい笑顔だった。
「わかってるならいいよ」
それだけを言って、彼は指先をレモネードに浸しながら、床に散らばった硝子を丁寧に片付ける。光を乱反射していた硝子を一つずつ取り上げて、紙にくるんで、淡々とゴミに出す。
硝子みたいだ
そう思って不意に窓の外へ視線を移す。
さっきまでの陽だまりが嘘みたいに、残りわずかな木の葉を揺らす木枯らしがぴゅうぴゅうと吹き付けていた。
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今回のお題は診断メーカーからもらいました
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