ココロの病と、それからの私
こんにちは、万貴です。
萬貴ではなく、万貴として
久しぶりにnoteで言葉を綴っています。
またひとつ数字が増えて、1月になりましたね。
あたたかくして、美味しいごはんを食べて
今日もあなたが元気に過ごせていますように。
あのnoteを発信してから
もう少しで、1年が経ちます。
短いような、長かったような、不思議な1年。
こころの虫と一緒に
この1年間を過ごしていくうちに
やっぱりわたしの言葉で届けたい。
どんどん伝えなくちゃって
たくさんの事・人・想いに感じました。
離れていても、このページに辿り着いてくれたあなたへ
少しでも、まっすぐに、届きますように。
適応障害が再発症したこと
2023年の年末、体調を崩して入院してから
過去に発症していた適応障害が再発し
仕事を辞め、地元へ帰るという流れが
トントン拍子に進んでいった。
進んで”いった”と表現するよりも
進んで”選択した”と表現する方が
自分にとってはしっくりきていて。
運命がそうさせたのではなく、
必然的に全てが進むよう
時計の針は動いていたんだと思う。
当時22歳。
同い年は大学4年生。
インスタを覗けば、遊んでばかりの風景が流れていて
わたしの仕事の愚痴など分からないと
唾と嗚咽を吐きながら帰路に着く。
酸素の薄い満員電車の中
毎日片道2時間半かけて出勤。
表面的にはキラキラしたベンチャー企業の中で
1年目から結果を出すこと前提の
温度感も何もない
鋭い言葉を投げつけられる毎日。
スーパーマンでも何者でもないわたしは
無駄に完璧主義だから
できないことが苦しくって
それを素直に 上手に言葉にできなくて
先輩にも理解されず
”お話するのが下手な人”として認識されるようになった。
気付いたら、自己主張も何もできなくなっていた。
今振り返ってみると、「よく頑張ってるよ」と
素直に過去の自分を褒めてあげられるのだけど
当時の自分は、もっと頑張ってる人も
先輩方も山ほどいて
こんなところで挫けちゃダメだ。
みっともない。そう感じていた。
全然、そんなことないのにね。
そんな日々が続いて、時計の針は動き
こころの悪い虫がまた騒ぎ始めた結果
すべてを手放すことを選択したのである。
おかえり といってくれたこと
「こんな情けない姿でごめんね。」
そう思いながら
少しドキドキしながら地元へ帰還した。
たくさんの人が「おかえり」といってくれた。
あぁ、わたしにはこんなにもたくさんの人の
「おかえり」をキャッチするこころが残っていたのか。
こんなにもたくさんの人が、物理的に離れていても
こころのすぐ側にいてくれたのか、と。
地元に帰ってきてからの涙は、
東京にいた時の涙と、色も味も違くて
「帰ってきてよかった。」
こころから、そう思った。
何も持っていない状態
名乗りも肩書きも分からない状態で
だいすきな人たちと会うのは恥ずかしかった。
「今何やってるの?」
「これからどうするの?」
聞かれたらどうしようなんて考えていたけれど
「……。まだ分からないんだよね。」
わたしがこんな曖昧な返答をしても
「そっか〜!ま〜いろいろあるよね〜!」
軽く受け流してくれるみんなで、あなたで
本当にありがたかったなって思ってる。
無理に白か黒かを聞き出すのではなくて
曖昧な色でもいいんじゃない?って
態度で、空気で、問いで、言葉で
何も持っていなかったわたしに
柔らかく教えてくれてありがとう。
おふとんと友達になること
上京していた2年間は、
とにかく”休む”ことが重罪のように
自分の中で、自分を取り巻く社会の中で
認識付けられていて、休みずらかった。
休日は休日なのに、何か仕事をしないと
先輩に、周りに認められないんじゃないか?
微かな日々の努力が結果に繋がるんじゃないか?
自分軸が無かったが故に、変な時間に稼働して
ちゃんと疲れが取れていなかったと思う。
地元へ帰ってきて、すぐに正社員になるのは
自分の中で、とってもハードルが高くて
過去の一連が、一種の”正社員トラウマ”として
自分の中で根付いてしまっていた。
実家暮らしとはいえ
昨年度はバリバリOLをして稼いでいたわけで
保険料や税金の支払いは高額。
無職でこの生活を乗り切れるわけもなく
まずは、失業手当を申請することにした。
毎月しっかりとした金額を手当していただけるので
お給料の高い会社で働いていてよかったと
(唯一)何度も前社に感謝した。
失業手当をいただける期間は
できるだけ、本気で「休もう」と決めていた。
外に出たくないなら、無理して出ない。
笑いたくないなら、無理して笑わない。
連絡したくないなら、無理して連絡しない。
起きたくないなら、無理して起きない。
こんなの、夢のような生活だと思っていたが
休むのが罪だと感じていた人間にとって
これを実際に決行するのは、ハードルが高かった。
2ヶ月間かけて、やっとおふとんと友達になれた。
おふとんの中で、素直な自分のこころの声を
聞き取れるようになった。
時間の流れはすごくゆっくりしていたけれど
この期間で、まず自分の声を聞く術を
ゲットできたのだと思う。
”休日”を学べたのだと思う。
外の世界と人を知ること
北海道では雪が溶け、桜が待ち遠しくなった頃。
ごはんも前くらい食べられるようになったし
人とメッセージするのも抵抗がなくなったし
何よりも、ぐっすり眠れるようになった。
学生時代にお世話になっていた方とも
ごはんに行かせていただいたり
お話させていただいた中で、
わたしを変える事件があった。
「いつか、自分の本を作ってみたいって思ってるんです……。」
この人にはいってみたい。
なんて返答してくれるんだろう。
「いいじゃん!!自分で作ってみれば?!」
自分で……!?!?!?
考えもしていなかった未来が
一気に目の前に現れた時
人間は”頭の中が真っ白”という言葉を発するのだと
その時、自分の身を通して痛感した。
今までは、自分が苦労した先に
”好きなこと”ができる時間と
余裕が待ち構えていると
なんとなく根拠もないまま、そう思っていた。
でも、自分が苦労しなくても、苦しまなくても
”好きなこと”はやっても良いんだと
いつからでも、今からでも取り組んで良いんだと
春を迎える前に、あなたの言葉を通して学んだ。
それから、本作りを始めた。
本ってどうやって作るのか
誰が知っているのか
そもそも個人で作って良いものなのか?
何も知らないところから始めるのは
なんだかワクワクして、ソワソワして
久しぶりに目を輝かせていたと思う。
そういえば、プロデュースするの得意だった
そういえば、魅せ方と見せ方を考えるの好きだった
そういえば、届くまでの過程含めて逆算するの早かった
そういえば、心で感じた言葉を綴るの大好きだった
自分のやりたいこと・好き・得意が
重なった瞬間に目の前の視界が晴れて
おふとんの中にいるよりも
パソコンの前にいる方が
自分らしく感じられた。
少しずつ、過去よりも未来を
見つめ始めている自分がいて
GWは違う土地で働いてみたい
旅してみたいと思った。
やっぱりわたしは、
ジッとして待てないタイプで
そこそこエネルギーが溜まってきたら
外の世界に飛び込んだ。
GWは淡路島の菜園レストランで
働かせていただいたのだけど
そこでの出逢いが、人が、あたたかくて
もう一度人と触れ合いたい
もっと人のこと 感情を知りたいと
強く感じて、励ましてもらっちゃったな。
夏が楽しみになった。
素直な好きを詰め込んだこと
今年の夏の大収穫は
「好きに素直になった人生の方が、息をしやすいこと」
本作りを開始して、オンラインで販売して
たくさんの方の手元に 言葉を届けることができた。
去年まであんなに自分の口から吐く言葉に
自信がなかったのに、今はもう。
それもこれも、見守っていてくれたみんなのおかげで
そのことに、こころの底から感謝できているのも
過去の経験と、どん底のおかげで。
実は、今のインスタアカウントって
高校生の頃から使っているアカウントで、
本を作っていることを知らない人
過去のわたししか知らない人がいっぱいいて。
その中で発信することも
本当は怖かったんだけれど
それ以上に求めてくれる人がいたこと
SNSを通して、これからも手を繋いでいたいと
伝えてくれる人がいたことで
素直な”好き”を今も発信し続けられています。
今までは、嫌われたら終わりで
万人ウケするような容姿や
言葉・写真をアップしていたけれど
今は、自分の”好き”を
苦手だと感じる人がいるのならば
お互いのためにフォローを外してください
とまで思うようになった。
これは、SNSのみならず、リアルでもそう。
みんなに好かれることが、
意外と自分のこころに負荷をかけていたこと。
特定のあなたに好かれた方が、
何倍もの幸せを感じれるってこと。
元気な人にも、全員に届けたいわけじゃなくて、
悲しい思いをしている人に届いてほしいと願ってること。
この夏、自分の中での判断基準が定まった。
これが、世でいう”自分軸”なんだと、やっと解った。
息がしやすくなった理由は、
北海道の空気が綺麗なだけではなくて
自分のこころとの折り合いがつき始めたからだと。
弱い自分のこと
ここまで、強くなったことや
前向きになれたことを述べてきたけれど
反対に、弱くなったことも
ダメだと分かったこともある。
今でも、極度に悲しくなったり、感情が揺らぐと
未だに泣き方が下手で 過呼吸になってしまう。
もうソラナックス(こころの安定剤)は
持っていないし東京で全部捨ててきたけれど
持っていなくて大丈夫かと、不安に感じることもある。
大きな音に囲まれることが気持ち悪く
どうしようもなくドキドキしてしまう。
映画館の衝撃音や花火大会の大きい音は
年々苦手になっていくし
その場から離れたいと思うことが増えた。
歳を重ねていくたびに
大人数の場に居心地が悪くなる。
この耳と目で相手のことを確認できる人数を
超えてしまうと、脳内が勝手にパニックになり
ひとり疲れて、外へ出ることが増えた。
他にもたくさん、今年見つけた
自分の弱いところはある。
それもこれも、今のわたしは
乗り越えるのではなく
一緒に生きていくしかないと思っている。
その弱さを抱えながら歩く毎日に
その弱さを守りながら愛す人に
感じる感情こそがわたしの言葉へと
繋がっている気がして。
そんな自分をも肯定できるくらい
ちょっとは強くなったもんだと胸を張ります。
1年経った、イマのこと
1年前よりも、生きやすくなりました。
苦手なことも、やりたくないことも増えました。
また会いたいと思える人が、全国に増えました。
未来のことを考えるのが、楽しみになりました。
人間、本当にしぶとくて
もうこれ絶対に死ぬと感じた時には
どうやら死ねないように
神様はお造りになったようで。
今のわたしは、まだ死ねない。
まだまだ伝えたい言葉も
見たい景色も
会いたい人も
聞きたい声も
たくさんある。
絆創膏を貼りたい人がたくさんいる。
こころの病って目には見えないから
人の知らぬ 気づかぬところで
懸命に”普通”になろうと 振る舞おうと
涙や悲しみ、痛みを堪えて
頑張っている人たちが
この世にはたくさんいる。
わたしも同じだよって
その気持ちわかるよって
自分だから言葉にできることが
在ると信じて、今もnoteを書いています。
わたし達から見て”普通”に見える人も
きっと見えないところで
涙を流す夜があって
朝になれば”普通”の顔に戻っている。
”普通”が何かも分からなくなる日々の中で
痛みや悲しみや涙を
半分こできる人が、場所が
ここには在るんだよってことを
いくらバカにされたって
これからも発信し続けていきたいです。
差し伸べてくれた手の
温かみを忘れずに
いつでも差し伸べられる
こころの余白を持って
ちっぽけなこころ抱きしめて
これからも、わたしはわたしで生きていきます。
病にありがとうと 思えるようになるまで。
ここまで読んでくれて
ありがとうね
また会いにいくね