夏至に思う~介護の在り方~
今日は6月21日夏至です。一年で最も昼間が長い日。
時間は有限ですね。大切に使いたいと思います。
今日は一杯太陽の光を浴びて太陽からのパワーを頂きましょう。
(紫外線対策は忘れずに…😅)
さて、今回は福祉ネタ(回想編)です。
よろしければ最後までお付き合い願います。
ケアマネ時代の思い出
信頼関係を築くのはなかなか難しく、信頼関係を壊すのはあっと言う間です。これは何もこの仕事だけではなく、対人関係の基本の基の字ですね。
当時担当していた利用者は80名近くいました。月一で訪問する方、電話連絡で近況確認する方、直接相談に来られる方を対応するなどそれぞれの事情で動いていました。
家庭環境、家族構成、収入、既往歴(病気などの)など様々な方々がおります。そして、そのニーズは様々です。
ご本人が積極的に介護サービスを考え受ける方、ご家族が当人の為にサービス申請し、その後当人の意向を確認しながらサービス提供するか否か考えるなどケースバイケースです。
今の90歳以上の方は大正生まれの方や、一部明治生まれの方がいらっしゃるでしょう。この方々の生活していた時代背景は、住んでいた場所、境遇などで様々でしょう。そんな中生きた彼らは、生活スタイルも現代のそれとは違い、教育環境、文化、社会情勢などにより、現代の人々の思想やアイデンティティとは違うのかと思います。
生きた時代が違うと
私達は先人の知恵(学び)によって、様々な恩恵を受けて生活しています。これは例え住んでいる国や人種が違えども、その国々人種間で培われた記憶として現在にも続いているのかと思います。
江戸、明治、大正時代と統治の歴史も移り変わり、江戸それ以前は、武士が国を治め、明治になると天皇を中心として役人が国を治めてきました。大正を過ぎ昭和初期は(太平洋戦争の頃まで)個人の趣味趣向など言っていられない軍国主義一辺倒になってきました。
サービス利用する方々の時代背景は、全体主義で住んでいた場所によっては生死が常に隣り合わせの中、そんな時代を生き抜いた彼らはの精神構造、暮らしの知恵、価値観は終戦を機にダイナミックに変わって行きます。
これはもはやコペルニクス的大変革だったでしょう。
これまで正しいとされていたことが、すべて間違えていたとなれば、心の依り代、精神の根幹が音を立てて崩れる様は想像に耐え難いです。
しかし、一方ではnew worldを待ち望んでいた方もいた訳で、歴史の転換点はひたひたと忍び寄るのでしょうか?🤔
戦後復興から高度成長、絶頂期を経て今は停滞から後退期な日本。戦後76年経過。サービス利用世代も今はほとんどが大正、昭和中期以前の方々です。
そんな中、現在勤めているグループホームの入居者と話すことは
(昭和初期生まれの)
職員:「○○さんの生まれた頃はどんな時代を過ごしたの?」
○○:「のんびりしたものだよ 戦争があったからその後は苦労したけど…」
認知症のため、多くは語れないですが生きた道のり人それぞれですね。
サービスを見つめて
介護保険が平成12年4月(2000年)より始まり今年で21年目です。利用実態は開始当初から右肩上がり。今後現在の団塊世代から団塊Jr世代が落ち着くまでサービス利用回数が増えていきます。
(もちろんその後も保険が継続する限りサービスは続きます)
多死時代と言われて、今は当たり前に病院で死を迎えられますが、数年後には病院で死ねない時代が来ることが予想されています。このことは今のコロナで皆さん理解出来たのかと思います。
(一度パンデミックや何らかの負のイベントに巻き込まれたらなおさらです)
厚労省の元事務次官が言っていたことだと記憶していますが、
”今の医療体制は医療費が毎年膨大になり縮小傾向。保険財政圧迫が進んでいるから新規の病床は増やせない”
財務省の弁を言うまでもなく、医療費が財政悪化に貢献?しているから、削れるところは削るとして、医療費、保険料の値上げが年々続いています。
病気になっても病院に行けない
保険料が年金の支出を大きくしているなど…
国の抱える問題は大きいです。まあここでは政治が悪いなどの話は割愛します🙄
介護サービスに話を戻します。
開始当初から今を見ると、介護保険料が天引きもしくは支払えど、実際利用したくとも、地域の実情ではサービス提供そのものが出来ない自治体も有ります。またあなたの介護度では利用出来無いなどの制約も増えています。
例えば、特別養護老人ホームの入所は現在は要介護3以上が目安です。
福祉用具の車いすレンタルも要介護2以上なければ使えません。
など…
(いずれも原則です。もし要介護度に該当しない方でも、諦めず担当の
ケアマネージャを付けてから、相談して下さいね 道は有りますので😊)
今はサービス利用するために
【本当にその方が必要なサービス?】
ここのチェックが厳しくなっていて、場合によってはサービス申請が出来ないことも有ります。
保険財源が限られている中、ある程度は仕方ないです。また安易にサービスを付けて本人の生活支援を業者主導にしてしまうことがあるので、難しい舵取りだったりします。
振り返り
様々な方とお会いして、その方の生き様を垣間見ることが沢山有りました。ここの想いで話は別の機会に。
ただ、不思議なものでこの仕事を通じて、私は本来なら知ることも無かった方々の人生から多くを学ばされたのだと思い返します。
一人として同じ道を歩んではいない訳で、良くも悪くも学べることだらけでした🙂
今介護サービス利用の目的は
①介護負担軽減(家族介護負担軽減で日常生活維持を目的に)
②介護予防(自身の要介護状態にならないため)
③社会的孤立防止(孤独死、コミュニティの中で取りこぼれないため)
ちょっと本目的とは違いますが
④働き手の就労場の提供(利用者は増えます、支え手がいないと回らないことや、また社会の情勢を鑑みて就労機会の創出のため)
など目的は一つではなく複合的にまだまだ有ります。
今日も介護の現場(自宅も含め)では、笑いあり怒りあり、そして何らかの感謝や悲しみ、そして別れが有ると思います。
人は老いてやがて誰かの世話になります。その時まで自分が出来ることを考え、出来ることを行う毎日です。
皆さんの大切な方がどうぞ健やかにいられますように…
追記
今回の記事を書きながら、これまでnoteで記事にしてきた内容を振り返り、私が携わる介護の現場、そこにあったリアルな人間像の数々を書いてきました。
人生最後の黄昏期
きっと誰しもが通り過ぎていく道なのかと感じています。
今後もこれまで経験したことを綴って、みなさんの介護に対するヒントなどになれればと思います。
今回はここまでです
最後まで読んで頂きありがとうございました
次の記事で会いましょう。
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