使える交渉術! 第15話 『新人を迎える』
前回まで (第14話)
武井は実験部の江崎から「試作品が破損した」との緊急連絡を受け、原因究明に奔走する。江崎は「市場に出せばリスクがある」と指摘する。
武井は材料に問題があると発見し、対応策をチームと決めていった。
千田はリーダーシップを発揮し、石田技術部長の協力を得ながら全体を引っ張っていった。解決の糸口は見え始めた。
第15話
昨夜は全て整理し終わったのが23時過ぎ。一応の目処はつけられたが、家に着いた時はすでに24:00をまわっていた。江崎実験課長はじめ、千田さんなど8名ほどが夜中まで残って対策に追われた。
翌朝、眠い頭で身支度をして外に出た。
初冬の空気に一瞬で目が覚めたが、暖房がよく効いたオフィスに着くと、すぐに眠気がぶり返した。
ふらふらと自分のデスクへ歩いていると、千田と誰かが立ち話をしているのが目に入った。
千田は武井に気づき、声をかけた。
「武井、おはよう、こっちこっち」
武井は、千田の手招きに引き寄せられるように近づいていった。
「香田君だ。 研修のあと、しばらく実験部で修行してたんだが、今日から正式にうちのチームに入る。君と組んでもらう。」
そういえば見たことがある顔だ。ヒョロリと背が高く、痩せている。眼鏡をかけて、優しそうな印象だ。確か、今年うちには7名が配属されて、4月に挨拶に来たが、その中の一人だろう。伏し目がちで、少し自信なさげにも見えるのは緊張しているからかもしれない。
「香田です。よろしくお願いします。」 香田が丁寧に頭を下げた。
「よろしく..」
配属の件は全く聞いていなかった。今は眠いし、武井は何やら、ボヤッとした返事になった。
香田は静かにデスクに向かい、配られた資料を読み込んでいた。資料のページをめくる音すら気を遣っている風で、何事にも丁寧な性格が滲み出ていた。
「香田君、何かわからないことがあれば、遠慮せず聞いてな。」
武井が声をかけると、香田は顔を上げた。
「ありがとうございます。…はい、もし何かあれば、すぐに」
「….」 なんとなく会話が途切れる。
「香田君は実験部にしばらくいたよね。どうだった?」
「はい、一応、K○○の燃焼効率を改善する試験のお手伝いをしてました」
香田は真面目な顔で答えた。
「K○○か。本山自動車の次のベースになるやつだ。どうだった?」
香田は少し戸惑いながらも、質問に答えた。
「実際やってみると、予定にない細々としたトラブルに次々と対処していく実験部の先輩方の仕事の進め方が印象的でした。装置のトラブルとか、手配品とか。頭で考えていたことだけでは、現実は前に進まないんだなと実感しました。」
彼の説明は丁寧で、小さなことを見逃さない。
「そうだな。理屈で考えることも大切だけど、目の前の現実に対処する経験豊富な人たちが現場で動いて技術を支えていることは間違いない。」
武井は自分の体験を思い返すように答えた。
いつも2-3分遅れている壁の時計が、11:46を指していた。 「ちょっと早いけど、ランチ行くか」
武井は香田と二人でオフィスを出た。
歩いて5分の、いつもの中華屋に着くと、武井は「チャーシューメンの大盛り」を注文し、香田は「麻婆定食」を頼んだ。
「辛いの好きなんですよ」
聞いてもいないのに申告する香田に、武井は少し可愛げのある後輩だと感じた。
「香田君は趣味とか、なんかあるの?」
「… そうですね。趣味と言えるか分かりませんが、模型を作るのが好きです。特に戦車や飛行機のスケールモデルを作るのが楽しくて。」
「へえ、いいじゃない。細かい作業だろ?」
「はい。細かい作業が好きなんです。一人でじっくりできるので、気が楽というか…。あまり騒がしい場所は得意じゃなくて。」
香田は少し笑みを浮かべながら答えた。
「俺も子供の頃、作ったけど全然下手くそでさ。途中で投げ出しちゃうんだよな。デカール(シール)とか貼る時、イーっ!てなっちゃう。」
その言葉に笑顔を見せながら、香田は携帯を出して、自分の作品の写真を武井に見せ始めた。
「こんなの作ってるんです」
「おおっ?! 想像と違う、レベチだな」
武井がそう言うと、香田は一瞬目を丸くしたが、すぐに照れたように視線をそらした。
「ありがとうございます。でも、そんな大したものじゃないです。ただの趣味ですし…」
「武井さんは、学生時代とか、何を?」
「サッカーだな。 うちの大学、弱かったんだけど、仲だけは良くてさ。俺は、ほぼ補欠。下手だけどサッカーはいまだに好きで、たまに観に行くよ。」
「いいですね。仲間とできる趣味とか、僕と真逆ですね」
「お互い、いい趣味じゃん。それに、その模型なら『強豪校のレギュラーレベル』だ」
その日の午後、武井と香田は、試作品破損の件で本山自動車に報告に行くための準備について、千田と打ち合わせをしていた。千田は手元の資料を軽く見ながら言った。
「今回の件、香田君にはデータ分析や試験結果の整理に注力してもらう。実験部での経験も役に立つ。得意分野だしな」
「そうだろう?」千田は、当たってるよな、と得意げな顔で香田を見た。
「交渉の場では、データだけではなく、どう伝えるかも重要だ。武井はそこを戦略的に考えてくれ」
武井は一瞬で引き締まった顔になった。
「じゃあ、しばらく頼む。次の会議が16時頃終わるから、その時また見せてくれ」
千田は、武井と香田を会議室に残し、部屋を出ていった。
「よし、それじゃまずデータを整理しよう。ポイントは、問題が発生した経緯と、今後の改善策を分かりやすくまとめることだ。まずは、正確に理解していただくために、無駄な情報は省く。周辺事情のデータはバックアップで持っていればいい」武井が言った。
「はい」香田は少し緊張しながらも、真っ直ぐに答えた。
二人は、本山自動車への報告準備に向け、協力して作業を進めていくことになった。香田の分析力と武井の交渉戦略が交わることで、問題解決に向けた道筋を、確実に整備していけるはずだ。
武井は香田とともに具体的な対策を進めています。さて、この事前会議を交渉の事前準備としてみた時、何が言えるでしょうか? ちょっと分析してみましょう。
交渉の戦略的思考やTIPS
チームの強みを最大化:
香田の「分析力」と武井の「戦略的思考」を組み合わせることで、各自の得意分野を活かした役割分担ができている。
特に香田に得意なデータ分析を任せることで、彼のモチベーションを高める配慮がされている。
効率的で論理的なアプローチ:
武井が「無駄な情報は省く」という点を指摘したのは、時間が限られる中で、相手に核心を伝えるスキルを示している。
本質を捉えたアプローチは、交渉相手との信頼を築く助けになる。
戦略的な伝え方への意識:
千田が武井に「どう伝えるか」というポイントを任せたことは、単なる報告ではなく、交渉相手に納得させるための準備を意識している。
これにより、結果的に相手の理解と協力を引き出しやすくなる。
協力して進める姿勢:
武井と香田が協力して作業を進める描写は、個人プレーではなくチームプレーを重視する姿勢を示している。
交渉において、チーム全体の一体感は重要な武器となる。
この会議では、交渉の場を成功させるための全体的な戦略が立てられており、特に役割分担と戦略的なアプローチが練られている点が評価できます。
さて次回、顧客との会議がどのように進むのか、見ていきましょう。