2人の大思想家を生んだのは50年の友情だった―戸谷 洋志、百木 漠『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』
1.友情により思想が共鳴する
思想に関する素晴らしい解説書に僕はどこか物語性を感じる。思想そのものにストーリーが見えてくる。思想家の生き様が見えてくる。そんな本だ。本書はとある2人の偉大な思想家の解説書であり、2人の50年にもわたる友情物語だ。
一人はハンナ・アーレント。全体主義への問いに生涯をささげた政治思想家だ。全体主義に対する思索を軸に多彩な視点の著書を出している。『エルサレムのアイヒマン』は大きな議論を呼び、映画『ハンナ・アーレント』の題材にもなった。もう一人はハンス・ヨナスだ。環境倫理や生命倫理のパイオニアのような哲学者である。生涯を「テクノロジー」との対峙に捧げ、世界の科学技術政策に大きな影響を与えた。
2人は共にドイツ出身のユダヤ人だ。ナチスが政権をとり、反ユダヤ主義がドイツ国内をおおう中、2人はそれぞれ異なる国へ亡命に各々苦しみを味わった。そんな2人は学生時代からアーレントが死ぬまでの50年にわたる親友だった。これほど男女の友人関係が長く続いたのも、両者ともに偉大な思想家として名前を残していることも非常に特別だろう。
アーレントは「全体主義」から、ヨナスは「テクノロジー」から現代社会に切り込んでいった。しかし彼女は全体主義の思索からテクノロジーを論じ、テクノロジーの観点から全体主義を論じた。2人はプライベートだけではなく、各々の仕事の中でも共鳴していた。
2.2人を結ぶ親愛の情
僕が本書を読むと2人の思想よりも友情の方に目がいってしまう。それくらい2人の関係性が理想的で憧れるものだったからだ。
2人はマールブルク大学で出会う。何度か言葉を交わすうちに意気投合し、毎日のように会っては食事をする仲になる。食べるのが遅いヨナスがもぐもぐ食べている間、早いアーレントはゆっくりとタバコをくゆらす。アーレントが死ぬまでヨナスに対して行使した特権である。この「特権」という表現はアーレントが使ったものだ。友情なのにその結びつきを示すものに協定のような言い回しが使われる。こういうところも僕の好みをくすぐる。
若き男女が毎日のように会う仲になる。友情ではなく恋愛に傾かなかったのか。本書では互いに恋愛感情があったかは多少ぼかして書かれている。少なくともヨナスはその気があったかもしれない。しかしアーレントは大学で教えていた哲学者マルティン・ハイデガーと関係を持っていた。彼は20世紀を代表する哲学者の一人である。仮にアーレントとヨナスが互いに淡い思いを抱えていたとしても、彼女が彼にハイデガーとの関係を告白したことで、その天秤は友情に傾いたようだ。秘密の告白によって2人の信頼関係はより強固になった。その後、2人は各々結婚し幸せに暮らしながら友情をはぐくんでいる。
この大学時代のエピソードが僕は気に入っている。2人の気持ちが実際どうだったかは分からない。でも2人の関係性が恋愛か友情かで明確に切り分けられるものでなく「親愛の情」で繋がっていたように見える。この何にもくくれない男女の親愛の関係には、僕も共感する点があるしグッとくる。また最終的に「あえて」友情を選んだところも好きだ。恋愛は本能だなんて言われたりするが、恋愛か友情かは納得できる形で選択できるものでもある。そしてどちらの選択も本能に従ってないわけではない。
2人が近くにいたのは、同じ大学にいた1年程度しかない。あとはずっと離れ離れだ。ナチスの台頭によりアーレントはアメリカに亡命する。彼女は18年間無国籍である漂泊の時間を過ごす。ヨナスはイギリス陸軍のユダヤ旅団に入り、第二次世界大戦を戦う。その後カナダを経由にアメリカにやってくる。そんな離れた状況でも2人の友情はずっと育まれていた。
しかしアイヒマン論争で2人の友情に最大の危機が訪れる。アイヒマンはナチス時代にユダヤ人を強制収容所に移送するプロジェクトの最高責任者だった。アーレントは彼の裁判を傍聴し『エルサレムのアイヒマン』を発表する。彼女を象徴する言葉のようになっている「悪の凡庸さ」もここからきている。
彼女の論考はユダヤ人社会に大きな波紋を起こした。具体的な内容は本書にゆずるとして、多くのユダヤ人には許しがたい、裏切られたような気持ちになるものだったようだ。その中には彼女の友人たちも含まれており、彼女は多くの友人と絶交することになる。
ヨナスも例外ではなかった。彼も彼女の論考に衝撃を受け憤りを感じた。しかしながら彼は長きにわたる友人として彼女が己を曲げず、考えを貫くであろうとも分かっていた。自身が何を言おうとも決して彼女を説得できないと。それでも彼はペンをとり非難の手紙を書いた。その後、2人の間に何度かやり取りがあったかもしれないが、手紙も記録も残っていないので分からない。少なくとも言えるのはこのやり取りをきっかけに親友だったアーレントとヨナスは絶交することになったのだ。
しかし2年後、2人は友情を復活させる。キーパーソンになったのはヨナスの妻・ローレだった。たとえ意見の深い相違があったとしても、私なら友情を壊すことはしない。彼女は彼を叱り、説得し、彼がアーレントと和解しに行く背中を押した。アーレントは何事もなかったかのようにヨナスを受け入れ和解する。
妻であるローレから見てもアーレントは夫・ヨナスにとってかけがえのない存在だった。またヨナスからしてもアーレントと和解することは、彼女と縁を切っているユダヤ人たちとの関係を不穏にさせるものだった。それでも彼は彼女との友情を選んだのだ。
3.友情を胸に冷たい世界を生きる
本書は年代を区切ってアーレント、ヨナスの順にそれぞれの著者が交互に執筆して2人の思想と人生を追っている。2人は同列であり、主人公はアーレントとヨナスの2人だ。それは分かった上で、僕は「友情物語」についていえば真の主役はヨナスだったのではという気持ちで読み終えた。
還暦を超え年老いた2人は次のように語り、誓い合ったとヨナスは振り返る。
自分たちは年をとり、ある程度の実績も残して名を成した。ここまできたら後先考える必要なんてない。年老いたからこそ大胆に自由な発想で自分の基軸を打ち出そう。そんな誓いにも思える。この場面を著者の戸谷さんは2人の友情の50周年をささやかに祝った場だと推測している。アーレント68歳、ヨナス71歳である。ところがその誓いを立てた翌年の1975年、アーレントは急死してしまう。もっと自由に。そう誓った、しかも自分より年下の親友が亡くなってしまう。彼が自分の老いや寿命をより実感したのは想像に難くない。
ところが驚くべきことにヨナスが思想家として大化けするのはここからなのだ。1979年、彼は『責任という原理』を発表しベストセラーとなる。今もなお議論になる環境倫理や生命倫理の世界にも大きく影響を与えた哲学書だ。本書評の最初で彼を「『テクノロジー』から現代社会に切り込んだ」と僕は書いたが、まさにそれを象徴する本である。この本で彼はアーレントの思想である「出生」という概念を援用して己の思想を打ち出した。生前の彼女との対話や書簡がヨナスの新機軸に影響を与えていたのだ。同じ時代を生き育んだ思索の日々がヨナスを多く走らせた。
ヨナスは90歳という長命だった。アメリカの自宅で亡くなる6日前、彼はイタリアのウディネで講演をしている。死の直前まで思索への探求心に衰えはなく、書き、語り続けた。いったい何が彼をそこまで駆り立てたのか。著者の戸谷さんは「自分が何者か、何者だったか」を浮かび上がらせるためでもあったのではとヨナスの人生を踏まえて書いている。
彼はアーレントへの弔辞でこんなことを述べた。
貧しくなった世界。冷たくなった世界。そんな寂しい世界をヨナスは最後まで走り続けた。思索の道を走り続け、己が何者かを確かめ続ける。それが彼なりの信念を抱き続けることだったのかもしれない。「友情が尊い」だなんて陳腐な言葉だ。でも少なくとも思想の世界、現代社会にとって2人の友情は尊い影響を与えるものであった。
【本と出会ったきっかけ】
アーレントに興味があったし、著者の戸谷さんは『SNSの哲学』が面白かった。何より「友情もの(特に男女の)」が大好きなので。