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写真は誰のものか?〜AntiXXX、再始動〜
いきなりだが、読者の皆さんに問いたい。
写真は、誰のものだろう?
写すひとのもの?
写るひとのもの?
それとも、見るひとの?
答えは、ひとそれぞれにあるだろう。
自分の記録のためにある写真なら、写すひとのものだろう。
写る相手のためにある写真なら、写るひとのものだろう。
誰かに伝えたい何かがある写真なら、見るひとのものだろう。
色々なひとがいて、色々な写真がある。
記録だったり、表現だったり
霊性と祝祭性ー#裸性と身体性 に参加したことー
落合陽一さんをご存知だろうか。
現代の魔法使い、とも呼ばれるメディアアートの第一人者である。
と、えらそうに言ってみたが。
すんません。実はわたし、恥ずかしいことに最近まで存じ上げませんでした。
メディアアートって言葉も。恥ずかしい。
テレビ見ないし。
写真実はそんなに詳しくないし。
メディアアートの本とかも読まないし。
そんなわたしが落合さんを知ったのは、大好きなヌードモデル・半々さんを
眼差しー猫撫×さくら写真集「夢中vol.0」に寄せてー
その日のことは、よく覚えている。
わたしが初めてカメラを持った日だからだ。
もちろん、家族写真とか、旅行中の風景とか、カメラを使ったことは多々あったけども。
眼差し、としてカメラを自覚したのは、その日が初めてだった。
その日。
さくらさんと、初めて会った。
さくらさんは、くりくりした黒い目でまっすぐわたしを見るひとだった。
カメラを持ってもそう。
ちょこちょことよく動き回って、いろんな角度からわ
わたしとコンドームと、わたしの生き方についてーゴミポートレートに寄せてー
ゴミ、みたいな人生を送ってきた。
子供の頃から体格が大きかった。
背が高く、太っていて、そんな自分が恥ずかしかった。
図体ばかり大きく、いつも身を縮めて本ばかり読んでいた。
まわりのひとたちは、そんなわたしを風変わりだと言って寄り付かず、わたしもひとと交わるのが苦手で、友達は少なかった。
家族以外の人前で食事ができず、駅の多目的トイレで弁当を食べていた。
小学校から高校まで、世に言うお嬢様学校で
XXXとは何だったのか?ー「Anti XXX〜猫撫展〜」を終えてー
猫撫展の挨拶文を考えてほしい、とビーツギャラリーの岡島さんに言われた時、その言葉はふわっとわたしの中に舞い降りた。この二文は、岡島さんの目に留まり、Twitterで猫撫展の宣伝文句として抜粋され、出展者の皆さんが拡散し、想像以上にたくさんのひとの目に届くことになる。
反応は、色々だった。いやいやそんなことないよ、と言ってくれるひと。勇気をもらった、というひと。逆に、そらそうやろ!と笑うひとも