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わたしとコンドームと、わたしの生き方についてーゴミポートレートに寄せてー

ゴミ、みたいな人生を送ってきた。

子供の頃から体格が大きかった。
背が高く、太っていて、そんな自分が恥ずかしかった。
図体ばかり大きく、いつも身を縮めて本ばかり読んでいた。
まわりのひとたちは、そんなわたしを風変わりだと言って寄り付かず、わたしもひとと交わるのが苦手で、友達は少なかった。
家族以外の人前で食事ができず、駅の多目的トイレで弁当を食べていた。
小学校から高校まで、世に言うお嬢様学校で、世俗と隔絶された生活を送っていた。
本を読んでいる割に成績は悪く、教師も匙を投げるほどだった。
家は居心地が悪かった。
大きな地主一家の我が家は争い事が絶えず、父も母も癇癪持ちで、いつも喧嘩しているかどちらかに叱られていた。

早く終われ、と思っていた。
泥のように生きて、若さを謳歌することもなく、女としての喜びを享受することもなく。
ただ息を潜めて、身を縮こませて、10代を過ごした。

24歳の時、はじめておとこのひとに抱かれた。
好きなおとこのこだった。
恋人ではなかった。
しかし、幸せだった。
ふとんから舞う埃が、窓からの光に反射して、きらきらしていた。
世界にようやっと認められた、と思った。
泥からすくいだされたような気がした。

でも、人生はうまくいかなかった。
そのおとこのこの恋人にはなれなかったし、その後もわたしはいろんなおとこのこと付き合っては、短期間で別れた。
うまく愛せなかった。
愛されるのが下手くそだった。
更に言えば、わたしは自分を好きになってくれないひとばかりを追いかけて、わたしを好きになってくれるひとを蔑ろにしていた。

結局わたしには、セックスという行為だけが残された。
おとこのこに抱かれる、またはおとこのこを抱く、ということだけが、よくわからんけどわたしを満たすものとして、くびきのように絡みついて取れなくなっていた。

セックスの間にだけ、おとこのこがわたしに向ける眼差しが好きだ。
わたしを見つけてくれた、わたしを世界に存在させてくれる眼差し。
その眼差しだけで、生きていていいような気がしていた。
わたしのからだの形にくっきりと浮かび上がる抱擁。
その抱擁だけが、生きている証のような気がしていた。

気がつけば、200人以上のおとこのこと関係を持っていた。

みんな、愛しいわたしのおとこのこだった。
その一瞬、わたしは彼を愛した。
でも、それ以上の関係にはならなかった。
愛しいおとこのこたち。
彼らは結局他人だった。

わたしは、ひとりだった。

ゴミポートレートの被写体を募集してます。
ゴミは生きていく中で必ず排出されるものです。
それは生き方によって多くの種類を伴っていくもので、自分の周りのゴミというのはその個人の生き方を表すものだと思います。
皆さんの生きてきた証と皆さん自身を僕に撮らせてください。

そのツイートを見た時、真っ先に思いついたゴミは、コンドームだった。
わたしを抱いた、わたしが抱いたおとこのこたち。
わたしが積み上げた、刹那の自己肯定感。
一瞬の愛。
たった一瞬の。
でも、それはまさしくわたしを生かしてくれたものだった。

撮影では、きっかり一万円分のコンドームを用意し、一時間以上かけて全部開けた。
積み上がったコンドームの山を見て、カメラマンの馬出くんと爆笑したのを覚えている。
馬鹿みたいにカラフルで、思ったよりこじんまりとした山だった。

感情が、ぐちゃぐちゃになった。
こんなにやったのか、という達成感。
結局これだけか、というガッカリ感。
おとこのこたちへの愛。
結局ひとり残されている孤独と怒り。
虚しさ。
疲労。

わたしの生き方を愚かだと思うひともいるだろう。
わたしのことをビッチだと蔑むひともいるだろう。
でも、わたしはこのようにしか、生きられなかった。
34年、もがいた結果がこれなのだ。

これっぽっちだったのだ。

わたしは、ごちゃごちゃのあたまとこころのまま、カメラの前に座った。
ただ、祈った。

写真よ。
どうか、わたしを連れて行ってくれ。
どこか遠くまで。


ツイッターに載せたその写真は、いままでで一番いいねがのびた。
タイバズりっていうやつらしいけど。
謎の言語のアカウントからたくさんいいねが来て、一日中通知が鳴り止まなかった。
思ったより遠くに届いたな、と思った。

special thanks to 馬出(twitter @umade_sei_photo)

馬出くんいわく、ゴミポートレートはこれからも撮り続けたいそうなので、もしご興味を持たれた方がいたら上記TwitterアカウントにDMしてみてください。

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