写真は誰のものか?〜AntiXXX、再始動〜
いきなりだが、読者の皆さんに問いたい。
写真は、誰のものだろう?
写すひとのもの?
写るひとのもの?
それとも、見るひとの?
答えは、ひとそれぞれにあるだろう。
自分の記録のためにある写真なら、写すひとのものだろう。
写る相手のためにある写真なら、写るひとのものだろう。
誰かに伝えたい何かがある写真なら、見るひとのものだろう。
色々なひとがいて、色々な写真がある。
記録だったり、表現だったり、感情の発露だったりするだろう。
でも、そんなのは結局のところ建前だ。
実際はどうだ?
SNSを見ていると、写真を撮るのは圧倒的におっさんが多く、撮られるのは圧倒的にかわいい女の子が多い。
かわいい女の子が、素敵な花と一緒ににっこりしてたり、清涼飲料水を持ってにっこりしてたり、ようわからんけどにっこりしてたりする写真のなんと多いことか。
また、にっこりしてないと思いきや、女の子にセクシーなコスプレやフェティッシュな服装をさせて、アンニュイな表情をさせてる写真なんてのもある。
そういう写真は誰のものか?
それは男のものではないのか?
いやいや、女の子をかわいく撮ってあげたら喜ぶだろう、という声が聞こえてきそうだが。
じゃあ、かわいい女の子じゃないなら写真は撮れないって言うのか?
かわいくない女の子には写真は開かれていないと言うのか?
かっこいい男の子はどうだ?
かっこよく撮ってあげてもいいんじゃないのか?
写真は、今の時代、誰でも撮れて、誰でも写れるはず。
それなのに、なんでこんなに排他的で限定的なんだ?
かわいい女の子に群がるおっさん達、の世界になっているのは何故だ?
写真は。
写真はそんなもののためにあるのか?
わたしは、ヌードをやっている。
いわゆるヌードモデルというやつである。
カメラの前で脱ぎ、裸で写真に写る。
何のためか?
いいね稼ぎ?
男にウケるため?
答えは否だ。
それは、誰のためでもない。
わたしのための営みだ。
そのはずだった。
わたしは、自分の見た目が心底嫌いだった。
デブだし、顔もパッとしない。
でも、それが写真になった時、こんなにも素敵になるんだ、と驚いた。
写真という形になった時、わたしのからだはこんなにも個性的で、パワフルで、おもしろいものなんだ。
そう思った時、わたしは自分のからだを初めて、許せた。
自分という存在のことを許せた。
そして、去年。
わたしはわたしのモデル展をする機会に恵まれた。
「AntiXXX〜猫撫展〜」。
それは異様な展示だった、と思う。
デブのおばさんが、ヌードで、23人ものカメラマンに撮られた写真が並ぶ、不思議な展示だった。
しかし、それを120名を超える観客が、見た。
そして、手前味噌にはなるが、皆それぞれに感動して帰ってくださった。
わたしの個人的な営みが、たくさんのひとびとの心を動かしたのである。
写真とは、単なる記録の装置である。
でも、そこにひとが写る時、それだけではない不思議な感情をひとに抱かせることができる。
それは見た目の美醜に関わらず、ひとの霊性を感じさせる、ということだ。
そのひとの持つ感情、たましい。
それがひとの心を揺さぶる。
それが写真の力である。
しかし、それをわかっているカメラマン、被写体がどれだけいようか?
見た目の美しさや技術のみに囚われ、写真の力を引き出すことを忘れたひとのどれだけ多いことか。
今一度、問う。
写真は、誰のものか。
男の自己満足のためか?
被写体の自己肯定感のためか?
見るもののオナニーのためか?
違うだろう。
全ての写真は、ただ、それを見て心揺さぶられる誰かのためにあるのではないのか?
それは撮影者であり、被写体であり、観衆、すべてのひとではないのか。
それを今一度問うために、写真の展示をしたいと思っている。
東京で。
名前は、「AntiXXX」。
わたしのモデル展をした時と、同じ名前だ。
アンチ。
それは抗うということ。
写真に自己満足を求めるひとびとに。
写真でオナニーしたいひとびとに。
写真の力で抗っていこう、という企画である。
内容は、ヌード縛りでいく。
ヌード。
それは今まで、最も自己満足な視線に晒されてきたものだ。
裸を性的に消費しようとするひとびと。
主に男性の、性的に消費しようという視線に晒されてきた写真だ。
もちろん、そういう目的で撮られた写真もあるのだから、それは仕方がないと思う。
しかし、ヌードの写真が持つ本来の力は、消費されるだけでは収まらないと、わたしは知っている。
ヌードの力で。
写真の力で、今の自己満足でぎっちぎちの写真界隈に風穴をあけよう。
東京で。
東京をヌードの力で燃やし尽くそう。
わたしたちの写真の力で。
わたしたちの手で。
それは解放だ。
写真の本来の力の。
そして、わたしたちの。
これがAntiXXXの、わたしのマニフェストだ。
必ずや形にするので、どうかついてきてほしい。
写真を信じるあなたに、あなたに、あなたたちひとりひとりに、わたしは言う。
さあ、反撃だ。
photo by manimanium