運命とかそうじゃないとか
出会ってしまった。そう、このひとだったんだ。彼が運命のひとだってわかった。いや、これは、わかった、っていう頭で考えた感覚じゃない。ピンときた、とか、全身が震えた、とか、そんな感じ。会って、お互いのことを少し話して、その決して多くない言葉を拾うだけでわかった。わたしはこのひとと出会うべきだったのだと。
お互いのことを知り合うのに、時間はあんまり必要なかった。だって話さなくてもわかるから。言葉を介さずとも共鳴できる部分が多すぎる。すぐに震える。そして、これがはじまりだと気づく。
ふうん、と聞いていた。かろうじて笑顔は貼りつけることができていた。小うるさい居酒屋で、客はみんなわたしより若いと思われる年齢層で、バイトはやたら元気がよくて、ビール以外にのみたいものが見つからない店で。誰もかれもが大きな声でしゃべるから、わたしの声も大きくせざるを得ない。わたしの地声はあまり通らないから、ただの会話なのに喉が疲れる。
「ふうん」
「えー、めっちゃすごいと思いませんか? もう、これまでの恋愛とか何だったんだろうって思いますよね。なんか、わたし本当に男運が悪かったっていうか、男には浮気されるの当たり前とかそんな感覚だったから、もういまの彼氏に出会ったときには、ああーって思いました」
「ああー、って何」
「いやめっちゃすごいなって」
返す言葉がなくなって、わたしはグラスに残った氷をかじった。何がめっちゃすごいんだろう。メニューのモニター画面をスクロールする。相変わらずまわりがうるさすぎて、それだけで何かが削られていくみたいだった。加えて、配膳ロボットが視界をうろうろしている。何もかも安いのはいいけど、それだけしかない店だ、と思う。わたしおとなになったな。
「彼氏の写真見せてよ」
めっちゃすごい、ということには肯定も否定もせず、興味深く聞くなど相手を喜ばせる反応も控えて、わたしは無難なお願いをする。いいですよ、と彼女はそそくさとスマホを触る。見せてくれた写真のなかで、ふたりはこちらを向いていた。そりゃそうか。カメラ目線であるということは、写真を見ているわたしと目が合うということだ。
「なんか、チャラくない?」
「そうですか? まあイケメンですよね。正直わたし好みの顔じゃないんですけど」
「もっと薄い顔が好きだもんね」
外見が好みでないから、というのも運命要素に入るのだろうか。これまでのわたしだったら見向きもしなかったような男なのに、出会ってつきあってしまって、そしたら運命だった、って。
いつからこういう話を斜に構えて聞くようになったんだろう。「まあそのうちわかるよ、べつに運命じゃないかもしれないってことがさ」。そんなことを言うつもりは毛頭ない。運命熱に浮かされている相手にそんな言葉をかけてもむだだし、運命のひとに会えていないわたしを一方的に哀れまれるだけだ。哀れまれてもいいけど。哀れんだことを覚えとけよ、と思う。
おそらくわたしも昔はそうだったのだと思う。一度や二度は運命熱に浮かされて、長文LINEや長い長い手紙を書いただろうと。それは十代の終わりごろだったか、興奮気味に書いた手紙をその場で読まれ、「あなたの感情の波は知っているから、期待しないでおく」とわたしの熱を一蹴されたことがあった。いま思えば聡明な女性だったと思う。その通り、わたしの感情の波は激しくて、安定しなくて、自分ですら予想しない方向に舟が流されるのだから。
確かに、でも、このひととは出会うべくして出会ったのだな、と思える相手はいる。そういうのはたいてい、なんでわたしあの日あそこに行ったんだろうとか、この電話かけたんだろうとか、不思議な巡り合わせみたいなものによることが多い。「運命」という感じはしない。わたしの人生の物語のなかに、ちょうどいいタイミングで出てくるひと。そのひとの発するセリフが物語のスパイスになる。「この物語のなかで印象に残ったセリフに線を引きましょう」という国語の宿題で、あっと目が合ってマーカーを引く文章みたいな。
ともにする時間に比例するように紡がれる関係もあるし、そうじゃない場合もある。時間の長さなんて関係なく、ひとっとびに縮まる関係も。後者をとくに「運命」と呼ぶことが多いのだろう。そういうのって衝撃と変化が大きい。めっちゃすごいんだ。きっと。
いいよね、べつにそんなセンセーショナルな出会いでなくても。仕事終わりの夜の小さな時間、くくくっと笑い合う電話をするだけで。薄紙みたいなそんな夜を重ねていくだけで。堆積した時間は強い。だって消せない。目を逸らさないでわたしはそれを見る。