ちょっと覚えておきたい夜
先日、めずらしいメンバーで夜中二時までのんだ。ご飯に行った後の二次会、その日はみんな結構疲れていたので最初は終電に間に合うことを前提に店に入ったのに、結果二時。お腹はもうふくれているから、ちょっとのみ直そう。ワインがおいしいみたいだから、ほんのちょっとだけ。だったのに。
ランチに行くことはあっても、夜に出かけるメンバーではなかった。酔ってできあがっている姿もほぼ見たことがない。ひとりはかなり酔っていて、とても気持ちよさそうに、いつもと違う多弁な姿を見せていた。え、この人こんなに喋るんだ。わたしはそこまで酔いがまわっておらず、冷静に彼女を見ていた。楽しそうとか思ったりして。
案内されたテーブルで、わたしの目の前の席にその気持ちよさそうな彼女が座った。彼女は隣に座った人とむにゃむにゃ話している。彼女の隣の人はいつも穏やかで、何を話しても「うん、そうだねえ」と肯定してくれるタイプの人だ。ふたりは健やかに眠たげな顔でメニューを眺めている。「お腹いっぱいのはずなのに、なんか食べたくなっちゃったー」とか言っている。
のみものが届き、いくつかのつまみをつつきながら夜は更けていく。さっきご飯を食べたメンバーから、ふたつに分かれてこの店に入った。分かれたほうの人たちからLINEが入っている。あちらはあちらで盛り上がっている。
こちらの組は、どちらかというといつもは言葉少なな、けれど語りだしたら長い、そしてやや頑固で我があって、というメンバーだった。例えて言うなら、向こうの組は休憩になると誘ってお手洗いに一緒に行くタイプの人たち。こちらは、それを鬱陶しいと思うタイプの人たち。(でも、鬱陶しいと思いつつも日ごろは自己主張をしないから、誘われたら一緒に行くタイプの人たち)
話の流れは忘れてしまったが、年齢と外見、およびその人の中身、みたいな話題になった。「○○さんっていくつか知ってる?」「×歳くらいでしょ?」「えー、この前××歳になったって聞いたよ」「えー!?」みたいなゴシップ的話題から発展したと思う。
「ウオズミさんって若く見えるよね」
「そうですか?」
いや、正反対のことを言われたこともあるけどな、と思いつつ言う。
「うん、そうだよ、見えないよ」
「それって喜んでいいんですかねえ」
「なんで? いいに決まってるじゃん」
「うーん」
うーん、と思う。本当に。「若い」と言うのはある意味「幼い」と同義であって、つまりは「幼稚」なのであり「子どもっぽい」のかもしれない。
わたしは、つねづね考えていることを言った。
「うーん。いや、自己犠牲を働いていない結果の外見なのかも、と思うことがあるんですよね」
「はあ」
「若い」とわたしに話しかけた相手はきょとんとしている。
「同級生で、結婚したとか子どもが生まれたとか、そういう話を聞くじゃないですか。あー、わたし、その類の自己犠牲がないなあって」
「なるほどー。でも、それって、それ以外に得ているものがあるじゃん」
「だからそこなんですよ。わたしは自分のためにしか生きていないんじゃないか、誰かのために犠牲になることをしないで生きていていいのだろうか、って」
「うん」
「その苦労のなさみたいなのが、『若い』につながっているんじゃないかって思うんですよ」
へー、という顔で相手はわたしを見る。初めて聞く外国語の意味を辞書で調べた後みたいな顔。そして言う。
「え、なんでそこで『自己犠牲しなくてラッキー』ってならないの?」
そうかあ、と思う。
「うーん…いや、でも、最近はそう思えるようになってきたんですけどね。この環境をありがたいなあとただ享受しておけばいいんだって」
「そうだよー。それでいいんだよー!」
からっと笑う彼女たちに合わせてわたしも笑顔をつくる。「わたしの気持ちなんてわからないくせに」とひがむこともできたかもしれないけれど、その夜はそういう気分ではなかった。笑っていれば脳が騙されて本当に楽しくなってくるのを期待してわたしは笑い続けた。
とうに終電は過ぎ、わたしたちは歩いて帰路についた。店の中で冷え切ってしまった身体には湿気が心地よい。
「ウオズミさん、いつかうちにご飯食べにおいでよ。もっと話したい」
「若い」と言った彼女が言った。
「えーうれしい。ほんとですか。行きます行きます」
変な自己開示だったな。変に距離つめたかな。でも後悔はない。気持ちのよい夜だった。電車なくてもこの距離全然歩けるね。カーディガンを羽織り直して彼女は言った。
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