いつか思い出になること。もう思い出になったこと。
足がつめたくて目が覚めた。am6:27、アラームが鳴る寸前の時間だった。今日は休み。もう少し眠るつもりだった。急いで携帯のアラームセットを解除する。起き上がらないのにアラームが鳴ると、隣に眠っている彼が怒り出す。起きないなら目覚ましセットするな、うるさい、と。言い分はもっともだと思う。でも、仕事の時間も休みの日もばらばらのシフト制の仕事をしていると、それに合わせてアラームをセットしなおすのは面倒なのだ。だからとりあえず、携帯は毎日6:30にわたしを起こしてくれる。起きないのであればいちいち解除するのだった。
足はいつまでもつめたく、胃が重たくてなかなか起き上がる気分になれなかった。良くないとわかっていながら、昨晩寝る前に食べたチョコレートが消化していない。あ、クッキーも食べたんだったな。食べたものを思い起こしてやや憂鬱な気分のまま、布団のなかでいつまでも寝たふりをして過ごす。やがて隣の彼が起きだす。ぺたぺた歩く音や謎の独り言がわたしを起こそうとしているように感じるが、動きたくなくてしつこく寝たふりを続ける。
悪いな、と少しだけ思いながらも、彼が出ていく時間までそうやって布団の中で過ごした。寝ぼけている声を装って「いってらっしゃい」とだけ言う。ドアが閉まる。やっと、深く息をつく。そしてそのまま本当に眠ってしまう。
目が覚めたら11時を過ぎていた。とうに陽は昇っているけれど、空はぼんやりとした薄曇りで肌寒い。胃の不快感を抱えたまま、お湯を沸かそうと台所へ向かう。原因はチョコレートとクッキーと、もうひとつ思い当たるのだけれどいまは気に留めないことにする。
流しの前に立つと、足もとに違和感があった。白い欠片と透明な何か。卵の殻と白身だった。今朝、彼が落として割ってしまったのだろう。そのままにしないでよ、もう、と思いながら床を拭く。踏んだまま歩いてやしないかとそのまわりを拭いていたら、なんとなく掃除がやめられなくなった。いいや、このまま掃除しちゃえ。たとえ気が進まなくても、今日のうちにあらかたの掃除を進めておくつもりだった。でないと、もう日がない。
今週、この部屋を出るつもりだ。決めたのだった。
床を拭きながら、ここに住んでおよそ一年だったなと考える。あ、過去形だ。まだいろんなことが決まっていなく、明日すら掴めるようで掴めない、そんな不確かさを抱えながら過ごしているのに、ここでの暮らしを過去の事にしようとしている自分に気づく。いまはきっとそういう気持ちなのだ。前を向いてみている。いつもできるわけじゃないけれど。
ウェットシートでごしごししながら、ふと、「まるい掃除でいいからやっといて」とよく親に言われていたことを思い出した。「まるい掃除」というのは「すみずみまできっちりでない掃除」という意味だ。ここに来て、まるい掃除しかしてなかったな。ひとりでうつくしく暮らす予定だったこの部屋は、一時的に住人がふたりになり、またひとりになり、またふたりになり、を繰り返していた。ひとりとふたりでは汚れ方が違うよね。そういう、意味のないような言葉が消えつ浮かびつしながら、ただ手を動かしていたらお昼を過ぎていて、少しお腹もへったので切り上げて今度こそお湯を沸かした。
軽くお昼ごはんを食べて、着替えて化粧して、用事を済ませに外出する。
今週、水面下で引っ越しする。
この部屋に引っ越してきた当初から、ここに長居をするつもりはなかったので、持ち物は最小限にしてきたつもりだった。訳があって前の部屋に残してきたものもある。職業柄だと思うけれど、どうしても化粧品は増えてしまう。数はあってもすべて愛している。口紅五十本くらいあるの、普通よね? どれもきちんと大切にしている。本当だ。でも、だから増える。
ここの地元の図書館も、もう行けないかもしれない。まだ読めていないけど、と思いながら借りている本を返却する。北山修著「幻滅論」。きたやまおさむ ではなく、北山修。彼が九大病院にいたとき、わたしの大切な友人がそこに入院していた。後になって知ったことだ。友人はどうしているんだろう。なぜだか彼女には特別な思いがあった。
本は読み切れなかったけど、またどこかで借りよう。返却ポストに入れたらかばんが軽くなった。
帰宅して掃除の続きをしよう。
わたしを拾ってくれた方へ。もう少し頑張ります。思い出して笑っていられるように。