INFJから見た「MBTIや16タイプに対して酷い偏見を持つ人達」ユング心理学タイプ論
テキトーに読んでたら興味深い記事があって
これに対する記事が以下のもので、読んでてなるほどなーと思える内容です😇
因みに、当方は過去に以下のようなものを作ってまして
では、なんのためにこのようにギンギンに尖ったステレオタイプ化を推し進めていったのかと言いますと
わかりやすくするため
自分が使いやすくするため
なんですね。
そもそもユング自体が若干難解で、MBTI的な個別機能を詳細に解説していくとなると、途方に暮れる労力と時間がかかることを考えると、以上のようなイメージで判別し、イメージで判断・対処しやすいステレオタイプ化は非常に便利なんですね。
もちろん、過度の偏見はよくはないのでしょうが、とはいえ、ある程度の物差しはないと理解するまでに膨大な時間と労力を要します。
故に、わかりやすさと精密さはトレードオフの関係にあると思われます。
そもそも心理学はなんのためにあるのかと考えれば
よりよく人間を理解するため
なので、正確さを求めるあまりに「あまりに詳細に分析しようとして答えにたどり着けなかった」という態度は「偏見に凝り固まって他者をステレオタイプで見すぎる」のと同様に問題があるような気もします。
そもそも偏見を持つこと自体は悪いことなのでしょうか?
もしも偏見もなく、差別も全くしない人がいるとしたら、それはそれでおかしな人ではないでしょうか。
親兄弟子供などの家族や親友と、前科持ちの赤の他人を同列に置く人がいますか?
ペットと、そこらへんの狂犬病の疑いのある野良犬を同列に置く人がいますか?
チョウチョやテントウムシと、害虫を同列に置く人がいますか?
偏見というのは「経験に基づく大体の予測」とも言いかえることができます。
そして、心理学というのは「膨大なデータやサンプルから導き出された統計的傾向性」と考えると、心理学は個人心理学と社会心理学の区別なく傾向性の体系にすぎないんですね。
故に、構造主義的にアプローチするがために常に差延が発生し、その都度、現象学的還元や解釈学的循環でファクトチェックし脱構築の必要性があると考えられます。
これをわかりやすく言い換えると
「いったん偏見の体系を作っちゃって、なんか違ってたら、すぐに調べて修正する」を繰り返すってことなんですね。
では、さてさてさて。
そこで以上を踏まえたうえで、ここまでお付き合いいただいた皆様に疑問を問いかけさせていただきます。
タイトルにある「酷い偏見」とはいったいなんのことなんでしょうか?
では、よしなに🤞