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INFJが呟くnoteMBTI模様「ステレオタイプ化の効用、レッテルを貼る効用」

「MBTIでステレオタイプ化して、一括りにして罵倒するのはよくない」

という意見をよく見ます。これは、実に一面的かつ表層的な見方であり、そして、多様性という言葉に逃げて、安易な相対化でもって、物事の本質から目を背けようとしている姿勢です。

そもそも「INFJの〜なところが好き」のような言葉をよく見ますね。これもステレオタイプってお気づきでしょうか。(当方、INFJなので、タイプで貶されたことがほぼないです草☘️MBTIって最高に居心地がいい←温泉に浸かってる気分になる😉)

わかりやすくするためにステレオタイプでの称賛と罵倒を並べてみましょう。

「INFJは理想主義者でポワポワしてるから、ふんわりしてて、一緒にいると気持ちがきれいになる」←褒めてる
「INFJは理想主義者でポワポワしてるから、とろくさくて、実際は大して役に立たない綺麗事やろーだ」←貶してる

かように、同じ材料で褒めもできれば、貶しもできる。これは単にベクトルの向きを反対にしただけなんですね。更に言うと、捉え方を変えただけなんです。

つまり、褒めようが貶そうが「やってることは本質的に大差がない」行為であり、「各タイプをステレオタイプ化して、雑に物事を見ている事自体」には変わりないわけですね。

「褒めてれば立派」で「貶してれば良くない」というのは、はっきり言っちゃいましょう。

「小学生の学級会レベルの感想」

なんですよ草☘️

「喧嘩は同じレベルでしか発生しない」

を地で行ってることにお気づきになってもらいたいものです😉「…(他者を理解しようとしている時点で罵倒側のほうが、相対化して有耶無耶にする側よりも、態度として余程上等なんですがね)」

では、ここで一度、「MBTIの目的とはなんなのか」に立ち返ってみましょう。

MBTIとは、そもそもユング心理学のタイプ論から出発し、マイヤーズ・ブリッジスとかいう人が魔改造した性格分類ですね。プラグマティズム発祥の地アメリカからして、「人間分析のためのツール」として使いやすくしたものがMBTIなんだと思います。多分←雑☘️

そして、アメリカ人の発想からして、個人心理学的な「自分の分析」だけでなく、社会心理学的な「敵の分析」や「他人の分析」に活用しようと、より過激にステレオタイプ化したのがMBTIなんでしょう。

とここで、更に、ユング心理学に戻りましょう。

ユング心理学の目的(フィロソフィー=哲学、なんのためにしているのかの考察)は「個性化」です。「より自分を正しく知って、心の平穏をもたらそう」というものです。

INFJなんかの場合だと、「内向感情Fiが弱いため、自分がなんのために発想し、行動しているのかよくわからん。けど、別に平気なんだが、周囲はそれはおかしいと言ってきて戸惑う」ってのがよくあることだと思われます。そこで、MBTIでINFJという枠組みを、ユング心理学タイプ論で内向直観補助感情ってレッテルを貼られることで、「ああ、私ってそういう性格なんだから、別にこれでいいんだな」と一応の平安を得られることができます。

ここはMBTI的な活用の第一段階で、ユング心理学における「個性化」には至りません。

より統合的なパーソナリティを目指していくこと

つまり、「個性化」とは、長所を活かし伸ばすことだけでなく、短所を鍛え潰すことでもあります。

同じ材料で褒めもできれば、貶しもできるならば、捉え方を変えば、「貶してくれるポイントは自分が修正すべきポイントでもある」と捉えることができる。

例えば、INFJの苦手ポイントはユング心理学タイプ論というフィルター(パラダイム=偏見、学説)を通すと「思考機能か劣等機能の感覚機能」って捉えることができたのですが、MBTIというフィルターを通すと「まず、劣等の外向感覚Seが弱い。そして、内向思考Tiもイマイチだが、人間社会での外界における最強機能である外向思考Teが決定的に弱い」と一気に解像度が上がるんですね。

これこそが「ステレオタイプ化の効用」と言えます。ユングという物差し(パラダイムによる目盛り)が無ければ、わからなかったことがあり、MBTIという物差しが無ければ、わからなかったことがある。

そもそも、物差しに刻まれたメモリは「人間が勝手に決めた基準」であり、より使いやすくするために改良していった歴史が学問の歴史ですね。

だからこそ、「ステレオタイプ化には効用がある」と言えるし、そもそもが「学問なんてステレオタイプ化そのもの」なんですね。

因みに、ここで言うステレオタイプ化というのは、フランス分析哲学と言うフィルターを通すと「観察対象から中間項を捨象し、構造主義化したもの」となります。

そして、そこから理論を組み上げたのが↓

この「INFJはTeを鍛えるとだいたい上手くいく」という理論(プロブレム=個別事象における解決策)は、ある意味で雑で、ある意味で全員には当てはまらないかもしれないが、だが、「Te的ななにかを鍛える」自体は無駄にはならないとも言える。

次に、Te的な分野を放置しておくとどうなるかと言うと、INFJの皆が味わってきたような「人生のいろんな場面でトロ臭いやつとか役に立たないやつのレッテルを貼られ、いろいろと損をしてきた」を繰り返すことになるわけですね。

また、INFJにとって「Teを鍛えることは凄いめんどくさくて、辛いこと」なので、指摘されないとなかなか鍛えようともしません←INFJにとってTeを鍛えるのはマジできついんですね😥INFJあるある

故に、「INFJの〜は駄目だ」的なレッテル貼りな罵倒をしてくれることで、自分の弱点が骨身に染みて、心の底から身に沁みるわけで、自分を見つめ直し、鍛え直す転機となる可能性が生まれます。

つまり、「レッテル貼りな罵倒」も見方を変えることで、自分の弱点を知らしてくれる「レッテルの効用」とも言えるんですね。

と言うことで、少々長くなっちゃいましたが「MBTIによるステレオタイプ化やレッテル貼りはいかに?」の私見をここにしたためておきます。

あと、こっそり伊藤貫先生の「3つのP」の実践解説も混ぜておきました。

伊藤貫「
議論には3つのPがあるの
フィロソフィー=哲学、目的
パラダイム=偏見、学説、方法論
プロブレム=問題、現場レベル
日本人は最後のPのプロブレム議論ばっか

最後に、INFJの本音「弱点を鍛え、弱点を減らす快感に比べたら、大概のことは些事でしょ😉草☘️」


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