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他者利益と自己利益の両立

私たちは誰もが自分の利益を追求したいと思っている一方で、他者のためにもなることを望んでいることも多いです。しかし、時として両者は対立し、どちらを優先するべきか悩むことがあります。ざっくり分けると、この人の利益の追求の仕方は3つのタイプに分けられます。ギバー(与える人)は他者の利益を優先し、テイカー(受け取る人)は自分の利益を優先する傾向にあります。そしてマッチャー(等価交換者)は、相手からの恩恵に見合った対価を払おうとします。

ギバーは利他的で自己犠牲的になりがちですが、それでは本当の意味での「他者利益」は追求できないと私は考えます。ギバー自身が他者献身的な考え方だけでなく、自らの意思を持ち、心身ともに健全でなければ、周囲を本当に幸せにすることはできません。そのため、ギバーには自分自身を大切にし、自分の人生を優先度決めする「自己中心的利他」の考え方が適合するかもしれません。同時に、自分の能力と人的資源に見合った適度な貢献度に留める賢明さも不可欠と言えます。与え過ぎれば、ストレスが過度な状態に陥ったり、バーンアウトになる場合もあります。

「自己中心的利他」とは、自身の幸福を追求しつつ、同時に他者の幸せにも貢献するという概念です。自分が幸せでないと、まわりを幸せにすることはできません。しかし、利己的になり過ぎれば、より大きな孤独と不幸に陥ってしまう場合もあります。ギバーが「誰かの役に立つことが自分の喜びになる」状態を実現するには、この「自己中心的利他」という考え方が不可欠と言えるかもしれません。

さらに、ギバーの自己犠牲的な行動を避ける為には、自己価値の在り方を見直す必要があります。ギバーは往々にして、他者の喜びや承認に自己価値を置きがちですが、それは不健全と言えるかもしれません。自分の内なる価値を認め、それが与える行為自体を原動力にできるとこの自己犠牲的な矛盾を解消できる可能性が高まります。その上で、ギバーには「受け取る」ことの大切さも自覚することが求められます。適度に心的物的な報酬を受け取ることで、相手との均衡のとれた関係が築けるためと言えます。

加えて、ギバーは他者への奉仕以外にも、自分なりの喜びや楽しみを持つことが重要です。自分軸の楽しみを見付けることで初めて、「誰かの役に立つことが自分の喜びになる」状態を実現できると言えます。他者への思いやりの有無にかかわらず、自分自身がその自分で満たす立場に立ち、自分が自身で満たす幸せを実感していることで、人々の幸せを願う精神をより持つことができます。その上で自分の立場と他者の立場を明確化しつつ、自己と他者を互いに大切にし、人々の幸せを願う精神を持つことが肝要と言えます。

自分の立場を持った上で人々の幸せを願う精神は、自然と他者への思いやりの精神に繋がります。他者への思いやりの精神を持つ者は、他者に思いやるだけでなく、自分を大切にして適切な自己愛の精神をもって行動する傾向にあると考えます。

一方で、テイカーは一見自分の利益しか考えていないように見えますが、それは自己防衛の裏返しに過ぎません。利己的になり過ぎれば、より大きな孤独と不幸に陥ってしまいます。そこでギバー、テイカー、マッチャーが上記の「誰かの役に立つことが自分の喜びになる」状態や「自己中心的利他」を実現する為には、マッチャーの役割も重要といえます。

マッチャーは双方の立場に立って公平な関係作りを促すことで、ギバーには「自己中心的利他」のマインドセットと健全な自己愛、バランス感覚を促し、テイカーにも他者への思いやりを求めることができます。理想を言えば、マッチャーという架け橋役によって、三者が互いの立場の違いを認め合い、多様性を尊重する寛容さを持てるようになることが大事です。同時に、お互いの背景に敬意を払うことで、相手の行動原理を理解し合えれば、自己実現と社会貢献を両立できるはずです。

ギバーは「自己中心的利他」に則りつつ、他者支援をします。テイカーも、自分だけでなく周りの人々の役に立つことに喜びを見出せるようになるでしょう。そしてマッチャーは、そうした行動をつなげる役割を果たします。結果として、全員が「自分も周りも幸せ」という最適な状態を実現し、これこそが本当の意味での「自己利益の追求と他者利益の追求の両立」と言えると考えます。​​​​​​​​​​​​​​​​

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