【オススメ小説8】学びと感動の傑作『ペンギン・ハイウェイ』
ぼくはたいへん頭がよく、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。(『ペンギン・ハイウェイ』 森見登美彦著 KADOKAWA 2012 P5)
なんて自惚れて生意気な子供なんだ、という出だし。
掴みとしては上々、印象としてはクソガキ上等の本作。
こんにちは、名雪七湯です。本紹介も8回目の今回は、森見登美彦さんの『ペンギン・ハイウェイ』を取り挙げたいと思います。私も映画のグッズを揃える程に好きな作品ですので、楽しい記事にしてゆきたらなと思います。
1、本情報、作者情報、あらすじ
『ペンギン・ハイウェイ』 森見登美彦著 KADOKAWA 2010
2018年にアニメーション映画化し注目を集めた今作。
森見登美彦さんと言えば『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』が有名ですが、本作も隠れた名作として名を馳せています。森見さんは不思議で陽気な世界観に住む、これまた不思議な人たちの馬鹿馬鹿しい掛け合いを達者な文で描く作風で有名ですが、今作は他の著作と一線を画し、児童書としての特色が強いSFチックな作品に仕上がっております。
以下、あらすじになります。
「世界を学ぶこと」を日々の課題にしている、小学四年生のアオヤマ君。日々の学びをノートに書き記し、明日の自分が今日の自分よりどれくらい賢くなっているかに胸を躍らせる。そして、ある夏の日、街に大量のペンギンが現れる。ペンギン大量発生という不思議な現象を解き明かすことに躍起になるアオヤマ君だが、それに大好きなお姉さんが関わっていると知り……。
2、内容について
本作の魅力はなんと言っても、アオヤマ君とお姉さんの関係にあります。
日々学ぶことを目標としている大人びたアオヤマ君と、彼を「少年」と呼び「ナマイキ」だと言う、落ち着きつつも陽気な歯医者さんのお姉さん。
アオヤマ君とお姉さん
アオヤマ君とお姉さんが言い争うとアオヤマ君の屁理屈が勝ちます(勝ったように見えます)。しかし、お姉さんが「もういいです」とそっぽ向くとアオヤマ君は慌てて「大人げないことをしてしまいました」とフォローし、お姉さんは「君は子供だ」と優しいため息を吐きます。
とてもとても賢いアオヤマ君ですが、まだ小学四年生です。生意気ですが子供っぽいところも多く、お姉さんはそこを見抜いて彼をからかったり優しく包み込んであげたりします。アオヤマ君は世界の全てを分かっている気でいますが、お姉さんへ抱いている「好き」という気持ちがよく理解できず、分析し始めようとしていつも失敗に終わります。
ペンギンとお姉さん
街にペンギンが現れ始め、「大変興味深い」と謎の解明に奔走するアオヤマ君。そして、見え始めるお姉さんとの関係。お姉さんは、触れたものをペンギンにできたりできなかったりする、という不思議な力を持っています。
現象を目の当たりにしたアオヤマ君はペンギンの謎とお姉さんの謎を重ねます。詳細なノートを作成し、お姉さんの全てを解明しようとする彼ですが、それが思わぬ展開に繋がってゆきます……。
魅力的な周囲の人物
角川文庫から発刊されている今作ですが、児童書のような側面が強いです。映画も家族連れで観に行った人も多いのではないでしょうか。
SF調の世界観と大量のペンギンが描かれる今作は、森見さん色こそ弱いものの、客層が広く設定されています。
クラスでは転校生の美少女とがき大将とその取り巻き、気弱ないじめられっ子というキャラの立った子たちに囲まれ、そして冷静で的確なアドバイスをしてくれる父に、優しい母、明るく元気で感情を剥き出しにする妹。自分の賢さを信じてやまないアオヤマ君ですが、周囲の人たちに様々な大切なことを気付かされ、少しずつ成長してゆきます。
個性豊かなクラスメイトたちは読者が小学生だった頃の思い出を想起させ、懐かしさと子供たちへの愛慕を抱かせます。
「学ぶ」ことの大切さ
作品のテーマはあえて一つに絞るなら、「学び」です。毎日ノートにたくさんの「学び」を記録するアオヤマ少年。毎日一つずつ世界を知る。「学び」は大人になっても終わるものではありません。
世界は少しずつ様相を変え、新しい姿を我々に見せます。過去に目を向けても、私たちが知らない歴史がずらりと並んでいる。今、現在、過去、どこに注目しても私たちは知らないだらけの世界に身を置いています。
そんな世界の少しでも知ることで、見えてくるものが違ってくる。アオヤマ君のような貪欲さを持って、「やってみる」「知ってみる」という大切さを感じ、今日より明日一つ賢くなることを目標にしてゆきましょう。
なぜペンギンなのか
なぜペンギンなのか。答えは簡単です。お姉さんが好きだから。以上。
というような軽さもある反面、ペンギンとその周辺で起こる様々な奇怪な現象には答えが用意されております。わー不思議だ、で終わらないのがこの作品の魅力の一つでもあります。明るい雰囲気である一方、「学び」というテーマや人を好きになる大切さなど、大人であっても作品から学べることはとても多いです。むしろ、『星の王子さま』のように子供の視点から再び世界の素晴らしさを知る、という体験は大人がすべきものだと考えます。
作品に寄せられる批判について
というように魅力たっぷりの作品ですが、映画が地上波で放映されると一部からは批難が寄せられました。簡潔に述べると、アオヤマ君がお姉さんのおっぱいを好きすぎる問題、というのがあるのです。もちろん、生々しい描写はありませんがアオヤマ少年は真剣そのものの表情で「おっぱい」と宣うので、親世代の方々から教育上よくないのでは、という声も上がりました。
作品の良い部分だけ取り上げ悪いところは隠す、というのがズルをしている気になり書いておきましたが、注意書き程度にご理解下さい。
3、形式について
語り
作品はアオヤマ君の一人称語りで進みますので、ひらがなが多めです。アオヤマ君が知っている漢字が漢字表記でそれ以外が平仮名、という仮説も立ててみましたが冒頭の「大変」も「たいへん」と開かれているので、基準はよく分かりませんでした。これにより、読みやすい文となっています。
名前の表記
作中の登場人物は名前がカタカナ表記です。今記事でアオヤマ君を「アオヤマ君」と書いているのもそのためです。その理由については二つ考えられます。一つ目は、「音」を大切にしているのでは、というもの。語りはアオヤマ君の心の声で、人の名前を呼ぶときは漢字を頭に思い浮かべるなどせず「音」のままです。それにより、カタカナ表記になっているのでは、と。二つ目は、生物の学術上の表記方法と合致させている、という穿った考えです。生物学では生き物の名前がカタカナで表記されるので、それを意識しているのでは? というひねくれた考察になります。
名前の表記で興味深いのはお姉さんの名前が一度も出て来ないところです。その考察については中々面白いので、あえてここで伏せるとします。
この作品全体がアオヤマ君の日記?
これは私の勝手な解釈になります。作中に「ここまではためし書きである」(同書 P8)、「ぼくが初めてペンギンを目撃したのは五月のことだった」(同書 P9)とあり、劇中劇の形式を取っているのでは? と考えました。ただそのような言明も無ければ、証拠も乏しいので考察に過ぎません。
他の考察がある方の意見をぜひお聞きしたいです。
4、最後に
ペンギン・ハイウェイはまず映画で見るのが個人的におすすめです。SFは描写が正確でも想像しにくさは拭えないので、映像で見た後であれば描写の理解も容易になります。そして、既に映画を観たという方にも小説を読むのをオススメします。映画でダイジェストになっていたシーンもよく分かりますし、形式から読み取れる面白さもあると思います。
長い記事になりましたが、最後までお付き合いありがとうございます。
またお会いしましょう。