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諦めたらそこで試合終了?(定量評価、定性評価をめぐる考察)

同僚から、「目標設定の打ち合わせを部下としたのだが、設定しようとした目標が曖昧だと言われてしまい、合意してもらえなかった」と相談を受けた。聞くと、「他者に良い影響を与える」という目標にしたかったようだ。改めて考えると、人を評価するのは難しいことだなと思い、少し極端な例を使いながら、考察してみた。

評価には、一般的に定量評価と定性評価の2種類があり、私の属する会社でもその2つが補完しあって評価が決める仕組みになっている。

定量目標というのは、決められた目標値に対して、クリアしたか、しなかったか、100点満点のうち何点だったかを数字だけで見るという類の目標だ。その点数をとるまでの過程にどんな理由、事情があるにせよ、それは脇に置いて、数字だけで見るという世界である。

例えば、それは市民マラソン大会の足切りのように、指定された時間以内にある距離を走れないと、それ以上は走ることは許されず、そこで強制終了されてしまうのに似ている。仮に、解けた靴紐を結ぶのに10秒ロスしてしまい、もしそれが無かったら、足切りにひっかからなかったのに!なんて理由があっても、問答無用で足切りをされる。なんと非道で残酷なことかと思うかもしれない。テストの点数で決める受験もそうだ。本当は力があるのに、テスト当日、我慢できない腹痛に襲われて点数が伸びなかったなんて話はよく聞く。

私も青年時代は、数字なんかで自分のことを評価されてたまるかと、思春期の残り火のような大人への反抗心が未だにくすぶっていた。ただ、社会人になってからは、1周回って、数字は差別無く人を評価できるという特性があり、その方がフェアだなと思うことが多い。

苦手な科目の勉強を友達に教えてもらい、「じゃあ代わりに今度奢るね」と言ったのにも関わらず、平気でその恩を忘れ、更には影でその人の悪口を吹聴しているような、絵に描いたように性格の悪い青年Aがいても、その科目の点数が良ければ、青年Aの評価は高いものになる。そんなのおかしい?

でもここである疑問が浮かぶ。性格が良い、悪いって何?誰が決めるの?

そう、定性評価は、誰が基準を決めるか、どうその基準を各人の行動に当てはめて評価するか、とても難しいのだ。もし青年Aが、別の一面を持っていて、実はすごい家族思いで親孝行をしていたら、どうする?あなたなら青年Aにどういう評価を下すだろう。

定性評価は、下手をすると、評価者の単なる価値観、好き嫌い、ある一面だけを過剰、過少に注目して評価が決められてしまう恐れがある。私も以前、定性評価を受ける際に、「いたって普通」と言われて中くらいの評価をもらったことがある。私からすれば「あなたの普通」ってなんだよと今でも思うのだが、その評価者の主観では、私は「普通」だったのだろう。でも、そういう風に遺恨が残るのは、評価基準が曖昧だからなのだと思う。だから定量評価の方がわかりやすくて良いなと思うことが多くなったのだ。

でも、どうしても不可抗力な理由でテストの結果が悪いこともあるわけで、定量評価だけで評価されてしまうのも、世知辛い。では、曖昧にならない効果的な定性評価とはどのようなものだろう。それは裁判官のように判断を下すことだと思う。裁判官は、憲法や法律の知識と、その良心に従い、白黒つけることが難しい問題に判決を下す。(判断が難しくなければ、そもそも裁判で争わない) ただ、もし裁判官がその人の価値観、良心だけで判決を決めてしまうと、 価値観が全く異なる人は被害を受けることになる。例えば、いわゆる保守派の裁判官がその派閥の価値観の「良心」だけに従った結果、妊娠中絶は違憲だとか、同性婚は認めないと言われたら、困る人もいるだろう。だが、法律や憲法という判断基準があれば、裁判官が過度に一方的な信条に偏重することを防いでくれる。人には自分のことは自分で決める権利があるとか、男女平等とか。
(本当はそれでも万人が納得できる判断することは原理上不可能だから、アメリカの最高裁判事を民主党が選ぶのか、共和党が選ぶのかニュースになる)

会社の中の人事評価も全く同じだと思う。まずは、部下のことを、悪意をもって評価を下げてやろうとする評価者は、まず良心をもちなさい笑。(そういう上司、いますよね?) 冗談はさておき、裁判官の判決が依る憲法・法律のように、判断基準を明確にするべきだ。それは、会社毎のvisionやmission、チーム毎のスローガンなど色々あるだろうが、何か基準を明確にしない限り、適切な定性評価はできない。銀行なら「1円のミスも起こさない綿密さ」が行動目標になるだろうし、ベンチャー気質の会社なら、「60点でも良いからまずやってみよう」が目標になるだろう。目標の内容自体は状況に応じて適切なものを選択すれば良いと思うが、大事なことは、基準を明確にして、それを元に評価をするということだ。そうすれば、評価に首尾一貫性、透明性が出る。ある会社で高評価な定性評価を受けた人が、別の会社に転職して、過去と全く同じ行動をとったら、評価が最悪だったということはありうるし、その場合でも、ちゃんと基準を教えてもらえれば、被評価者は納得がいくと思うし、どう行動を変えれば良いのかわかるので、建設的だ。ただでさえわかりやすい定量評価に加えて、きちんとした基準に基づいた定性評価があれば、そうそう評価で揉めることは無いのではと思う。

あとは、今の会社でも奨励されていることなのだが、1on1などで日頃から評価者とコミュニケーションをとり、評価者、被評価者双方が歩み寄り、認識のすれ違いを防ぐことが大事だ。部下は目標に沿った行動をしているつもりでも、上司からするとそうは見えていなかったり。そういう時は、上司は軌道修正を部下に求めた方が良いし、部下は上司にフィードバックやコーチングを求めるべきだ。最後の最後に、期末評価面談で、「あなたはKPIの点数もひどいし、日頃の行動も全く的を得てなかった」なんて安西先生に言われたら、それは、そこで諦めて試合終了なのだから。

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