
100日連続企画 東京マラソンハリー杉山の炎上について 29日目
東京マラソンのハリー杉山問題—ルールと精神の狭間で
こんにちは、皆さん!今日も100日連続企画の一環として、私の考えをお届けします。本日のテーマは、「東京マラソンのハリー杉山問題」です。ハリー杉山さんは、テレビでもお馴染みの芸能人であり、今回は東京マラソンにも出場していました。彼は、ランニングが仕事の一環でもあるほど、マラソンに対して真摯に取り組んでいることで知られています。だからこそ、今回の出来事が多くの人々の関心を引き、炎上してしまったのです。
この問題について私なりに深く考え、ブログという形で皆さんにお伝えしたいと思います。
ハリー杉山の快挙と炎上
まずは、今回の出来事の背景を説明します。ハリー杉山さんは、東京マラソンで サブスリー(2時間55分) という素晴らしい記録を達成しました。この記録は、マラソンを走る人々にとって非常に高いハードルであり、3時間を切ることは並大抵のことではありません。そのため、彼の成績は称賛に値するものです。
しかし、その一方で問題が発生しました。実は、ハリー杉山さんは、マラソンのスタートブロックについてルール違反をしていたことが一部で明らかになったのです。この点が、現在の炎上の原因となっています。
スタートブロックとルール違反
東京マラソンには、タイムごとに参加者をブロック分けしてスタートするというルールがあります。これに基づき、ハリー杉山さんは Cブロック からスタートする予定でした。しかし、何と彼は Bブロック に並び、そこでスタートを切ったというのです。この行動が、あるユーチューバーの投稿によって明るみに出ました。これを見た一般のランナーたちが、「ルールを守らないのはどうなのか?」と疑問を抱き、批判が巻き起こったのです。
スタートブロックが前の方にあるほど、ランナーは早くスタートを切ることができ、スタートラインまでの待機時間が短縮されるため、競技に有利になります。そのため、このルール違反が不公平だと感じる人が多くなったのでしょう。
ルール違反に対する二つの視点
さて、ハリー杉山さんの行動について、私自身は二つの異なる視点があると感じています。それぞれの立場から見た意見を述べてみましょう。
1. 成績を追求するために前に進むべき
スポーツの世界では、どんな手を使ってでも勝利を目指すという気持ちが強くなることがあります。特にマラソンのような長時間の競技では、少しでも有利な位置にいたいと思うのは自然なことです。そのため、「少しぐらいのルール違反は許容されてもいいのではないか?」という考え方も理解できます。
また、実際には多くの大会で、競技中に微妙なルールの曖昧さが存在することも事実です。選手がそれに基づいて行動する場合もあります。そのため、もしルールに対して不明点があるのであれば、多少の判断ミスは許されるべきだという意見も成り立つでしょう。
2. ルールを守るべきだという立場
一方で、スポーツにはルールが存在する以上、それを守るべきだという立場も強くあります。特にマラソンのような競技においては、すべてのランナーが公平なスタートラインでスタートしなければ、結果が不公平になってしまいます。競技の精神を重視するのであれば、ルールを守ることが最も重要です。
競技のルールを守ることで、すべての選手が同じ条件で競い合い、公平な競技が成立するのです。この精神が、スポーツを通じて人々に伝えられるべきだと私は考えています。
スポーツとズル—罪悪感と成長
スポーツをする上で、時に「ズルをしたい」と感じる瞬間があるかもしれません。競技者として、どうしても結果を追い求める気持ちは強くなります。しかし、ズルをして勝利を得たとしても、そこには必ず後悔や罪悪感がついて回ります。
私は、ズルをして得た勝利には真の満足感がないと感じています。その後ろめたさや罪悪感は、いずれその選手に跳ね返り、心に重くのしかかるものです。また、勝利にこだわるあまり、正当な方法で努力を積み重ねることを忘れてしまうことが、最終的には選手としての成長を妨げる原因になります。とはいえ正々堂々がすべてという見方も違うのは事実ですが、、、
本当に価値があるのは、努力を通じて勝利を手にしたときの満足感であり、ズルをして得た結果ではないと思います。
ヤニック・シナー選手の問題—スポーツマンシップの重要性
最近、テニス界で話題となったのが、ヤニック・シナー選手のドーピング問題です。シナー選手は、 ドーピング検査に引っかかり、3ヶ月間の出場停止処分を受ける という事態に見舞われました。これもまた、スポーツの中でルール違反をしてしまった一例です。
シナー選手のケースでは、ルール違反がスポーツマンシップに反する行為として、大きな問題となりました。競技においては、どんな状況でも 公平性 と 正当性 を保つことが求められます。シナー選手も結果として処罰を受けましたが、これは彼にとって大きな教訓となるはずです。
この件から学べることは、勝利を追求する気持ちが強すぎるあまり、ズルをしてでも結果を得ようとすることがいかに危険で、選手自身のキャリアや信頼を失う原因になるかということです。シナー選手も今後、さらに強い精神力で成長することを期待していますが、ルールを守ることこそがスポーツマンとして最も大切なことであることは、彼自身も理解しているはずです。
私とハリー杉山さんのエピソード
さて、ここで少し私自身のエピソードをお話ししたいと思います。過去に東京マラソンを走った際、私とハリー杉山さんは同じレースで競いました。その時、私はハリー杉山さんと最後の最後で競り合うことになり、最終的にゴールで抜かせてもらいました。
当時、彼はメディアに囲まれて走っており、私もその姿を見て、「本当に大変だろうな」と感じました。それでも、彼は自分のペースを保ちながら走り続けており、その姿勢に深く感銘を受けました。私が彼を抜いた瞬間、何とも言えない感覚があったのですが、それは彼の努力と真摯な姿勢を見てきたからこそ感じたものでした。
その時のハリー杉山さんは、間違いなく努力を重ねている選手として、素晴らしいものを持っていると感じました。今回、問題が起きたことは事実ですが、彼が日々どれほど努力しているかを知っているからこそ、私はその努力を改めて讃えたいと思います。ハリー杉山さんは、私たちに「努力を続ける大切さ」を教えてくれる存在であることは間違いありません。

アスリートとしての心構え
スポーツ選手が持つべき心構えとして、正々堂々と戦う ことが最も重要です。もちろん、勝利を目指すことは素晴らしいことですが、そのために不正を行ってしまうのは本末転倒です。アスリートとして、正しい方法で努力し、勝利を目指すことが本当の成長を促すのです。
もし、自分に自信が持てない、または準備が足りていないと感じるのであれば、ズルをしてでも勝ちたいという気持ちは生まれません。むしろ、準備をしっかりと行い、自分に自信を持って競技に臨むことで、初めて真の勝利を掴むことができるのです。
結論
最終的に、ハリー杉山さんの行動については賛否が分かれるところですが、重要なのはその行動に対してどう向き合うかだと思います。もちろん、スポーツにおいてルールを守ることは非常に大切ですが、一方で、勝利を目指す気持ちや努力する姿勢も素晴らしいもので
あり、その気持ちを否定することはできません。非難することも一つの意見ですが、あくまで前向きな支援の言葉をかけることが、彼の成長に繋がるのではないでしょうか。
また、ヤニック・シナー選手のドーピング問題を通じて、スポーツにおける 公平性 と 正当性 の重要性が改めて強調されました。ズルをせず、真摯に努力する姿勢こそが、最も尊敬されるべきものです。

まとめ
今回のハリー杉山さんの問題を通して、私たちはスポーツの精神について改めて考えさせられました。競技の世界では、ルールを守ることが最も重要です。しかし、勝利を目指す気持ちや努力する姿勢も素晴らしいものであり、その気持ちを否定することはできません。私たちができることは、批判ではなく、前向きに声をかけ合い、お互いをサポートすることだと思います。
最終的に、スポーツマンシップを大切にし、他人と自分自身の成長を支えるような心構えを持つことが、真の勝利を手に入れる道だと信じています。ハリー杉山さんの今後の活躍を心から応援し、私たちも共に前に進んでいけるような気持ちを持っていきたいですね。
愛を込めて
Taka