vol.7 変化をうながす “ ひとつまみの介入 ” ~いくつになっても育て合い「おとなの子育て理論」~
こんにちは!あゆみです。
いつもご覧くださってありがとうございます😊おとなの子育て理論も、いよいよ大詰めになってまいりました。まだ数話ありますが、最後までどうぞよろしくお願いします。
はじめて見つけてくださったかたは「大人?子ども?はて・・・?」となるかもしれないので、簡単に概要を説明させていただきますね。
つまり、「大人の子どもごころ」を癒し合い、社会課題になりうる困りごとを「信頼の種」として芽吹かせて、みんなで協力して綺麗ごとを現実にしよう!というお話です。
▼過去のお話はこちらです。
第一回:いくつになっても育て合い
第二回:ハグハグよしよしの安心感
第三回:癒されたい人を見つける眼差し
第四回:私はあなたを想っているよ
第五回:プレイルームへようこそ!
第六回:気づきの種を芽吹かせよう
▼執筆の意図や免責事項について。はじめにご覧くださいね。
前回までの振り返り
「おとなの子ども心を癒しあい、やさしい世界をつくるために」取り組めることの一つとして、自分や他者の成長をうながし、信頼関係を結ぶために必要な「気づきの種」についてお話しました。
困ったぞの種。気づきの種。信頼の種・・・世の中にはいろんな「きっかけ=種」がありますが、やっぱり、あなたや私が「にこにこ笑っていられるもの」を選んで、大切に芽吹かせたいなと思うのです。
これを、ひとりきりでがんばるのは大変だから、できるだけ多くの「見守り隊」をつくって「発芽の瞬間をともにしたい」というお話でしたね。
しかしながら、現実を見るとそう簡単にいくことばかりではなく・・・私たちはいくつになっても大人になれない一面があって、自分や誰かを責めたくなる時があると思うのです。公にはしていなくても、こういった「子ども心の痛み」というのは、年齢や立場問わず、大なり小なり誰もが抱えているものではないでしょうか。
だから、いっそのこと「お互い様の精神」をもち、「見守りあい・育てあい」をするのが得策ではないかと思うに至りました。この、安心安全のプレイルーム(安全基地)をつくるために、助けになってくれるのが忍耐力と想像力だと捉えています。
自分や他者に対して、思うようにいかず「モヤモヤ」したり「イライラ」することがありますが、このようなきっかけこそが人間の器を今より大きくしてくれる「気づきの種」の正体であって、私たちを成長のステップへと誘ってくれるのですね。
そのうえで、しんどいことをそのままにしておくのは大変なことなので、指をくわえて見ているだけに留まらないお話もしていきたいです。
「ひとつまみの介入」
あくまでも「見守り育てる」をベースに置きつつも、今回は「ちょっぴりスパイスを加えたお話」ができればと思います。
親しいほど混ざりあう「感情の絵の具」
前回は、上記の実践編の標語を共有したのですが、記事の内容的にはどちらかというと、内側(こころ)の変化を捉えた「自己成長」寄りのお話でしたね。
ちまたでは、「他者よりもまずは自分を癒しましょう」と言われていることが多いように感じますので、お気づきのかたがいるかもしれませんが、「見守りあい・育てあい」というのは、もちろん、他者に対して行われるものばかりではありません。自身の子ども心を癒してさしあげるのも、とっても大切なことですよね。
たくさんのかたが理解されていることを、あえて私がここで繰り返すこともないと思いますので、別の視点から読み解いていきましょう。
方向性としては「まずは自分ありき」ではなくて、「とにもかくにも他者ありき」という設定で、出発進行したいと思います。
好みがわかれるかもしれませんし、人によっては「もやもや」するかもしれませんが、ぜひ、試しにちょっとずつ食べてみてくださいね。
◇◇◇◇◇
「あの人が笑っていると、私もうれしくなる」
「あの人が苦しんでいると、私もつらくなる」
このように、他者に強い関心を寄せていたり、そもそもの共感力が高いかたほど、良いことも・そうではないことも、まるで「こころの水彩絵の具」のように、気持ちが混ざり合っているような感覚を味わう機会が多いかもしれません。
「うれしいことは二倍以上に!」
こちらはそんなに困らないだろうし、むしろ、やったー✨の数が増えるのは喜ばしいことですよね!
では・・・こちらはどうでしょうか。
「かなしみは半分こ」
半分ずつになるということは、つまり、人様の痛みを半分抱えるということになりますよね。現代ではあまり推奨されていない考えなのかな?と思いつつ、お話を続けますと、つまり、思いやりの気持ちが強ければ強いほどに、関係性が深ければ深いほどに、一緒に背負うものも増えるということなのです。
様々な見解がありますし、もちろん、時と場合と状況次第ではあると思うのですが、私個人の考えとしては、このような「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」は、尊いものであると信じて疑っていません。
※詳しくは、作中もしくはanotherstoryで真意をお伝えしているのですが、建設的で意図的な・・・の部分がとっても大事でして、つまりは「時に自分よりも他者を優先する思いやり」と解釈いただいて大丈夫です。
どうして、今この話題を持ち出したのかというと、やさしい子育て理論のハードルをあげてしまう「見守りがたい事情」の一因として「他者との同一視」が、大いに関わってくるからなのです。
つまり、「おとなの子ども心を育てあいっこ」する過程では、うっかりしっかり、時には「わざと」感情の絵の具が混ざりあうこともあるということなのですね。
こころの痛みと成長痛
「同一視って?感情の絵の具?どゆこと?」
例えば、身近な人や思い入れのある人が、落ち込んだり悩んでいる様子を目の当たりにしたとします。大切な人であるほどに、早く元気になってほしいと思いませんか。
時に、この想いが強くなりすぎると「共感」を超えて「あなたは私である」という感覚に、陥りやすくなります。感情が混ざりやすいぶん、つられてしんどくなってしまうことがあるかもしれません。そうして、つらい気持ちに耐えられなくなった結果、次のような言動につながることがあります。
これって、実は「私が安心したいから」というメッセージが込められていることがあるため、伝えられる側をはじめ、人によっては「本当の思いやりじゃない」と言われかねない現象なのですが・・・私は必ずしもそうとは言いきれないと思っています。
なぜなら、この「自分勝手」とも受け取れる言動は、「あなたを想っているよ」という、やさしい気持ちから生まれているように見えるからです。(vol.4 参照) 「愛情の裏返し」と解釈してもいいのではないでしょうか。そのため、「まずは自分理論」だけではなく「とにもかくにも他者ありき」から、関係性を深めていくことも可能だと思っているのです。
※ただし、いろんな状況のかたが見ていらっしゃるので、このお話が綺麗ごとに過ぎないケースもあるだろうし、当てはまらないこともあると思います。その場合はスルーしたり、しっくりくる部分だけお受け取りいただけますと幸いです。情報の取り扱いについては、こちらの記事も参考にしてくださいね。
「痛みを和らげてあげたい」
「苦しそうだから、助けてあげたい」
でも、なにもできない私。不甲斐なくてつらい。どうして、私は役に立てないんだろう。
もし、こんなふうに思われているかたがいましたら、気休めにしかならないかもしれないけれど、お伝えしたいことがあります。
「まずは、そのお気持ちを抱きしめてあげてください」
うまく関われない。逆に落ち込ませてしまった。それでも、変わらない気持ちがあるならば。「あなた」を想っている、あたたかな想いがあるならば。ひとまずは、責めてしまう思考をストップさせませんか。
これにはちゃんと、理由があるのです。
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過去の記事で、想いのパワーは理屈を超えるお話をしました。
ヒトだって自然界の一部に過ぎませんから、言葉にできなくても「なんとなく感じるもの」って、存在していますよね。例えば、ニコニコしてるけど怖そうな人、仏頂面だけど居心地がよい人・・・などが思い浮かびます。
私はあんまりスピリチュアルに詳しくないので深くは語りませんが、いわゆる「直感」は、誰もが持っているものではないでしょうか。
こういったことからも、意図せず理屈抜きにして、周囲に「想い」が伝わることはあるのではないかと思っています。だから、自身の心の泉から湧き出る「やさしい気持ち」を大切に守ってほしいのです。
なるべく安心しながら、やさしい気持ちで、気長にあなたや私を見守り続けられるように。こんな考え方を、インプットされるのはどうでしょう。
なぜ、あなたや私は悩むのか。どこまでが、見守りの範囲で、どこからが手助けを必要としているのか。こういったことを、深く理解しようとする試みが「洞察」です。
大切なのは、決めつけたり、上手にやることではありません。わからないことは、わからないまま、本人に尋ねるといいですよね。想像することをやめずに、諦めることなく。気持ちを全身で表現して、想いを届けるために歩み寄り続けましょう。
きっと、そのうち、少しずつ手がかりが見えてくるはずです。
変化をうながす「ひとつまみの介入」
共に気持ちを味わうこと。特に、つらい気持ちの場合、痛みに留まり続けるためには、たくさんの体力を使いますよね。だから、私たちはついつい「どうにかしてあげなきゃ!」って、思ってしまうのかもしれません。
でも、ひとまずはぐっとこらえて、「変化をうながすための介入」を微調整してみましょう。
「痛いよね・・・つらいよね」
「よかったね!うれしいね♪」
こんなふうに、一緒に味わってくれる人がいたら、なんだかホッとしませんか。
基本は「見守る」「受けとめる」を続けながら、タイミングを見て2割くらいの「変化をうながすための介入」をすることが、案外、ちょうどよい塩梅なのかもしれません。もちろん、これが全てではないため、各々の状況で、こまめに味見しながら関係性を整えてみてくださいね。
放っておくのでもない、べきべき言うだけでもない。あなたや私にとって、ちょうどよい感じを「探そうとすること」が大切です。いつもいつも、できるわけではないけれど。感情的になってしまうのが、私たち人間なのだけれど。それでも、「いつでも戻ってこれる地点」を定めておくのって大事です。
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次回は、引き続き「おとなの子育て理論」の実践編として、今回登場した「ちょっとばかりのおせっかい」に焦点を当てたお話ができればと思います。よろしければご覧くださいね。
お読みくださって、ありがとうございました😊